第13話 妖魔の世界

 徳川軍は戦の準備は済ませていた為、即座に動けるようにしていた。

逆に隙を突かれない為の、用心も兼ねていた。


「徳川殿。先ほどは申し訳ございませんでした」北条氏政が声をかけてきた。

「北条殿。この戦いはまだ始まっていません。私はそれを心配しただけです。それよりも氏政殿は世継ぎの身でありながらの御出陣、なかなか出来るものではございません。くれぐれも御身を大事になさってくだされ。中に入って安全を確保してから伝令を飛ばします。それではお互いに、後の世の為の礎になりましょう。では御免!」


 今までの戦国時代を乗り切ってきた者たちは皆、地の利もあり、妖魔に圧倒されない、しかし心臓を妖魔の国に預けている手練れたちの心臓を、封印しなければ数で圧倒され出してからでは手遅れになる。


この世は地の利のある我々が戦い、若き者たちに封印させる為、妖魔の国に向かわせるしか勝利はない。


そして全国各地に妖魔に既になっている者もいるはずであり、その者たちが立ち上がる時は、人間の敗北を確信した時だと考えていた。


「後の世の為の礎か……我々北条家は、妖魔の強さを誤解しているのかもしれぬな。小太郎」「それについては、まだわかりませんが、徳川の服部半蔵の隠形は見事でした。あれほどの手練れ、未だ見た事がありません」

「あの場に半蔵が居たと言うのか?」

「はい。確かにいましたが、私でも気づく事しか出来ませんでした」


「私は全く気付かなかった。徳川勢が地盤を固めたら、次は我らが進軍する。風魔衆は、お主の判断で遊軍として自由に動け。しかしこれは正に、生死を分けた戦いになる。後の後まで考えて、手を抜く事だけはするな」


「委細承知」


「出撃の準備を始める。お主たちも十分に準備を怠るな」

「はっ。では」風魔の小太郎は一瞬で消えた。

そして北条氏政は、自軍に戻って行った。



 北条氏政が自軍に戻った頃、進軍の口火を切る合図が鳴り響いた。

大きなほら貝が、幾つも絶え間なく鳴り響いた。それも十数程度では無く、幾つもが木霊のように反響を繰り返して、長々と徳川勢の足音を消していった。


徳川家康は、まだ治安も乱れている自国の居城に千名残して、その他の砦や城には五百名づつ配備して、治安維持を任せた。松平家の復興を願っていた三河武士たちは、松平元康が岡崎城城主となり、再び独立を果たす事を待ちわびていた多数の三河武士が、この日の為に研ぎ続けていた刀を手にして、岡崎城に押し寄せた。


彼は治安維持に三千名を残し、自らは二千の兵で足掛かりとなる拠点を作り、己の命を懸けて、後の事は北条氏政に託すつもりでいた。松平家の当主は彼から数えて三代に渡り、暗殺で命を落としてきていた。


父や祖の求めた三河の地を確保し、自らの命をかけて大戦の口火を切る役を任された。三河に残って復興を待っていた者たちは、治安維持を志願してくれた。共に苦労を分かち合ってきた五千名で、彼は命懸けの任であったが、恐れなど微塵も無かった。


その男は先頭をただ一騎で進みながら、空を眺めた。ほら貝が鳴り響く中、己の心のように曇りひとつない青空を見て、彼は誰よりも高々と気勢を上げるように、天を突く雄叫びを上げた。彼は馬の速度を徐々に上げていき、家臣はそれに追いつくように速度を増した。


彼の猛る叫びは、ほら貝の音をかき消していき、それはまるで波が押し寄せるように妖魔の門へと突っ込んで行った。



 中に入って、一瞬困惑して背後を見た。妖魔の紫の煙が立ち込める門が、確かにそこにはあったが、城内に再び目を向けると、間違いなく浜松城だった。空を見た。黒さも混じり合いを見せる紫のような雲が、時折、雷を発して光っていた。そして僅かな間を置いて落雷が幾カ所にも落ちて、そのような空模様が天を埋め尽くしていた。敵の姿も一切見当たらず、しかし、ここの雰囲気は悪いが、正に浜松城そのものだった。「すぐに左右に拒馬を配備して、伝令にこう伝えて送らせろ、危険では無いが、不可思議すぎるとな」「わかりました」伝令を飛ばし、家康は暫く考え込んだ。


すでに手遅れで、人間界の各地へ行ったのであろうか? しかし、それでは人間界で死ねば意味は無くなる上に、妖魔が人間界に来ている事を、自ら吐露するようなものだ。我々は日ノ本に通じるこの門からしか来てはいない。もし、それぞれの門から門へと繋がっているのであれば、ここには大軍勢が待ち構えているはずだ。


徳川家康は嫌な臭いと、気味の悪い味がした。


「徳川殿。お待たせ致した」そう言いながら馬から降りた。そして辺りを見回した。

「これは一体、どういうことですか?」

「私にもさっぱりわかりません」


「北条殿はこの門を内側から守ってくだされ。我が軍は城郭外からあの内城へ行ってみます。城に少数の敵がいれば捕虜とし、大軍であれば倒します。その後、隈なく城内を調べ上げて、他に通じる門がないかどうか、徹底的に探してみます。何かあれば、伝令を飛ばします」


「本多正信と本多忠勝は、私と一緒に来い」

「服部半蔵と榊原康政は、二千五百名を率いて、東の城郭外道から内城を目指せ」


「わかりました。家康様、護衛や伝達係、諜報役に、役立つと思いますので、二十名だけ私の配下の御供をお許しください」

「確かに未知の世界では何かと重宝できる。共を許す」

「ありがとうございます」


「それでは氏政殿、ここはお任せ申す」


「それでは内城を目指して軍を進める。全軍用心しつつ速足で進軍せよ」


 皆が不安を抱くように、家康もまた不安を抱いていた。しかし、皆が抱く不安と、家康が抱いていた不安は別にあった。


彼は今川義元の事を考えていた。義元は家康を信用せず、だからこそ一族にする為に嫁を与えた。それでも尚信用出来なかった為か、先陣まで任され、家康は織田方に対して荒波の如く押し寄せ、すぐに砦も落とした。全ては信用を得るために。


義元公は何故、妖魔にならなかったのかを、家康は考えていた。信長たちから、粗方の話は聞いていた。妖魔になっても人格はあり、それでいて命を……家康は自分であるが故、理解した気がした。しかし、ここは戦場であるため、事を追求するのを止めた。しかし納得はできた。


突風が吹いた。その風が強い為、家康は顏を背けた。気づいたら目の前に忍者が片足をついていた。「北条氏政様からの伝言で参りました。私は風魔の使いの者です」家康は気づけなかったが、片手の袖の中に刃を持っていた。


突然、半蔵の配下が現れて「御免」と一言放つと同時に、斬り捨てた後、再び消えた。一刀の元に、風魔の使いの者だと言っていた、者の首を刎ねていた。家康にとっての一秒と、忍者にとっての一秒には大きな差があるのを感じた。斬り捨てた後、真の死を確認して姿を消した。少しでも妖魔に命を預けた可能性があるなら、その場に残ったはずだからだ。



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