第20話 初仕事
笑顔で佇むシリカと、一歩後ろで困ったようにしているクラウスがいた。
対面は採掘場を取り仕切るレオ。
彼は怪訝そうにシリカを睨み、そして言った。
「――なんの冗談です?」
「冗談ではありませんよ」
「冗談じゃなきゃなんなんですかね。王妃様が俺らの仕事を手伝いたいなんて」
カンカン照りの真下で汗だくになりながら働く鉱夫や、その世話をしている女性や子供が、何事かとシリカたちを見ていた。
「言葉通りです。もちろんお給金はいりません」
「そういう問題じゃねぇんですがね。お偉いさんの戯れに付き合わされる身にも――」
「戯れではありません」
毅然とした態度できっぱりと言った。
シリカは強い意志と共に真っすぐレオの目を見た。
レオは僅かにたじろぎ、そしてきまりが悪そうに目を逸らす。
「本当に平民の労働者に交じって仕事をするおつもりですか?」
「陛下はお許しになりましたよ?」
「そ、それはそうでしょうが。しかし……」
採掘場にまで一緒に来て、まだクラウスは納得いっていない様子だった。
彼の心情は理解できたが、シリカは考えを改める気はない。
これは必要なことなのだから。
「あなたは付き合わなくてもよいのですよ。執事長としての仕事もあるでしょうし」
「いえ……王妃殿下のおそばにいます」
頑としてそこは譲らないらしい。
彼には悪いが、クラウスに気を遣って行動を制限したくはない、とシリカは考えた。
レオは面倒くさそうに嘆息すると、作業中の女性たちに振り返った。
「おい、マルティナ」
不服そうにしながらレオの隣に並んだのは、二十代後半の女性だった。
平民が来ている一般的なウールのワンピース姿で、ところどころ薄汚れている。
「王妃様のご面倒を見てさしあげろ」
「はいはい」
レオほどではないが、多少面倒そうに答えるマルティナ。
特に感情を抱くことはなかったが、この国の王制が上手くいっていないことを如実に表すやり取りだった。
まあ、シリカは別に気にしないのだが、クラウスは頬をひくひくと動かしている。
目配せして、怒らないように促した。
「余計なことはせんでくださいよ」
レオはシリカたちを置いて、採掘場へと入っていた。
「えーと王妃様と……」
「シリカです」
「ああ、シリカ様ね。それと、そっちの人は?」
怒りを抑えるのに大変で答える余裕がなさそうなクラウスに代わり、シリカが答えた。
「こちらは執事長のクラウスです」
「クラウス様ね。わたしは世話役を取り仕切ってるマルティナ。よろしく。んじゃこっち」
マルティナに続き、採掘場の入り口横にある建物へと向かった。
二階建ての家屋で、数十人が入れそうなくらいには広い。
「女と子供は、男衆の手伝いをしてるんだ。力仕事はできないから、運搬や採掘以外が仕事。主に、食事の用意と洗濯、休憩所での飲み物や汗拭き用の手拭いの用意、道具の片付け、作業着や用具の用意、帳簿の作成、あとは選鉱だね」
「帳簿まで作るのですか?」
「人手が足りてないからね。できることは全部やるよ。子供にも教えてる」
「どなたが?」
「今はわたしたち女が教えてるね。子供に文字や数字を教えてるんだ」
小国であればあるほど教育に手が回せなくなるものだ。
識字率は著しく低くなり、当然ながら計算なんてできない。
特に平民は学がない人間が多い。
それほど時間がなく、学ぶ機会もないからだ。
「勉学の機会があるのは素晴らしいですね」
「そうしなきゃ生きていけないからね。まっ、元々は今の小さい王都に追いやられてから、やりだしたんだけどさ」
「小さい王都?」
「知らないのかい? ここは元々は中心地から離れた田舎都市だったんだよ。国土縮小でここまで逃げてきて、王都になったってわけ」
王妃様なのになんで知らないのとばかりに、ジト目を向けられ、シリカは申し訳なくなった。
「そ、その、最初に勉学を教え始めたのはどなたが?」
「あー、どうだったかな。確か、元貴族の誰かとか聞いたような。まあ、二十年近く昔のことだから、おっ死んじまったんだろうけどねぇ」
勉学の体制を作ったのはその元貴族なのだろうか。
だとしたら鉱山で働く人々は恵まれている。
マルティナの反応からして、そんな風には考えていないようだが。
ふと、ヴィルヘルムが鉱業に予算を割き、環境を整えていることを思い出した。
(……陛下が根回しした、とかないかしら)
もしもそうだとしたら、マルティナからヴィルヘルムの名が出るはずだ。
彼の名前が出ないということは、関わっていないということなのだろうか。
鉱業はロンダリアにとって重要な主産業であると認識しているはずなのに、鉱業従事者たちの教育をおざなりにするものだろうか。
「何してんだい。こっちだよ」
「す、すみません」
家屋の入り口横で、腰に手を当てながらマルティナが待っていた。
呆れた様子で敬意の欠片もないが、最初に感じた拒絶感は見えなかった。
面倒そうにしていたのは、王妃だからというより、単純に新人の世話をするのが面倒だったのだろうか。
シリカとクラウスが駆け寄ると、扉の横には『採掘場仮宿舎』と書かれていた。
中に入ると、いくつものイスとテーブルが並ぶ食堂があり、奥には調理場が見えた。
調理場には数人の女性が料理をしている様子が見えた。
昼時なのに、あまり繁盛していない様子で、席もガラガラだ。
「ここで皆さんお食事をなさっているのですか?」
「あー、まあね。ただ、あんまり評判良くなくてね。大体は持参のご飯か、わざわざ街まで戻ってるね。まあ、あんまり料理班の連中は、料理が得意じゃない女が多いからね」
「得意でないのに、なぜ担当している? おかしいではないか」
クラウスが怪訝そうに問いかける。
それは当然の疑問だった。
「しょうがないのさ。そりゃ少人数用の料理くらいはしたことがあるだろうけどさ、家庭の設備も大したものじゃないし、簡単なものしか料理したことないのが普通。こんな食堂で料理するのとはわけが違う。かといって職人はいないしさ」
部屋の端には階段があり、どうやら二階が宿舎となっていることが見て取れた。
調理場横に二つ部屋があった。
「クラウス様はそっち。予備の着替えは棚にあるから着替えて」
クラウスを見ながら、マルティナは横の扉を指さす。
クラウスは不服そうにしながらも男性更衣室に入った。
シリカは女性更衣室に入り、予備の作業着に着替えた。
簡素な作りの私服であり、作業服というより農民が着る服のような感じだ。
私服は畳んで棚に置き、外に出た。
ほぼ同時にクラウスが出てきて、二人で並ぶ。
「クラウス様は似合わないねぇ……シリカ様は妙に似合うけども」
「ありがとうございます」
元平民だからか、似合うと言われると少し嬉しかった。
マルティナが歩き出すと、慌てて二人で追いつく。
「わたしたちの仕事はさっき言った通りだけど、大体の班にわかれてる。料理班、洗濯班、選鉱班、事務班、雑用班の五種類。料理と事務は技術がいるし、選鉱班は新人がやるものじゃない。雑用班は子供もやるし人が足りてるから、残っているのは洗濯班だね」
話している間に辿り着いた宿舎の裏。
そこには数人の女性が、水の張った桶で泥と汗だらけの服を洗っていた。
その横には大量の洗濯物が山積みになっている。
恐ろしいほどの量だった。
「洗濯はやったこと……ないか」
「いえ、ありますよ」
「これは驚いた。王妃様なのに」
「私は元平民で元聖女ですので」
「そういえばそんな話を聞いたね。まっ、できるんならこっちとしちゃ楽だ。あとは頼んだよ」
「こ、この量の洗濯物を私たちだけでやれと、そう言っているのか?」
立ち去ろうとしたマルティナに、クラウスが信じられないといった顔で声をかけた。
マルティナは肩を竦めると、事も無げに言い放つ。
「それがここの仕事ってもんだよ。執事長様。まっ、お偉い人にはわかんないかもしれないね」
マルティナは背を向けたまま、手をひらひらと動かし、そのままどこかへ行ってしまった。
シリカはわなわなと震えているクラウスの肩を、ぽんと叩いた。
「あなたは付き合わなくてもいいのですよ?」
「い、いえ……王妃殿下だけに手を汚させるわけにはいきません! このクラウス、例え泥水すするほどの屈辱を受けようが、王妃様と共に!」
大げさだなと思ったが、彼にとってはそれくらいのことなのかもしれない。
付き合わせて申し訳ないと思うが、これも国民や国のことを知るには必要なことだ。
ただ仕事をするだけでなく、彼らと同じ目線に立つことが大事なのだ。
聖女の時も、ただ癒すだけでなく、相手がどういう人物なのか、どういう理由で怪我をしたのか、そう考えると不思議と治癒の力が強まった。
より相手のことを考える、それは聖女として基本中の基本。
いわゆる慈愛の精神である。
王妃になった今でも必要なことだと、シリカは考えていた。
だから一緒に仕事をする。
共に時間を過ごし、知り、学び、そして心を近づける。
それは王のヴィルヘルムには決してできないことだと思う。
だから自分がするのだ。
それにただで人手が得られるのだ。
鉱業に従事する彼らにとっても悪い話ではないだろうし、回り回ってそれは国益にも繋がる。
己の行動が正解なのかどうかはわからない。
でも、他にできることがないように思えた。
シリカは内心で奮起し、ぐっと唇を引き絞る。
そして綺麗な笑顔を浮かべた。
「さてやりましょう! よろしくお願いいたしますね!」
シリカは、はつらつと洗濯班の女性たちに挨拶した。
そんな彼女の姿勢に、洗濯班の女性たちは呆気にとられ、そして慌てて挨拶を返した。
「「「よ、よろしくおねがいします」」」
シリカの背中をクラウスが見つめる。
彼の眼はどこか品定めするような色が浮かび上がっていた。
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