第19話 好きなもの

 日が落ち、窓の外はすでに黒に染まっている。

 食堂には頼りない蝋燭の灯りが幾つも灯っている。

 光源は少ない。恐らく節約のためだろう。

 無言で食事するヴィルヘルム。

 長テーブルの反対側でシリカは料理を口に運んでいた。

 夫婦の食事とは思えないほどの、距離感と空気の重さだった。


(このままは良くないわね……)


 疎んじてはいないとヴィルヘルムは言っていたが、明らかに距離を取ろうとしている。

 こんな調子では信頼関係を築くことなんてできない。

 新婚だというのにすでに冷め切った夫婦のようだった。

 せっかく縁を結んだのだ。

 このままでは悲しいし寂しい。

 シリカは自分を勇気づけるため、小さく「よし」と呟いた。


「アリーナ、少しいいですか?」

「はい! いかがいたしましたか!?」


 食堂の端っこでそわそわしながら待機していたアリーナが、元気よく近づいてきた。

 妙にニコニコしている。何か楽しいことでもあったのだろうかと、シリカは小首をかしげる。


「こちらの料理なのですが」

「もしかして、もう満足なさいましたか?」


 なぜか嬉しそうに笑うアリーナに、苦笑を返す。


「いえ、あちらに運んでくれますか?」

「あちら……? 陛下の隣、ですか?」

「ええ。お願いできますか?」

「もちろんです!」


 特に何を疑問に思うでもなくアリーナは料理をてきぱきと運び出した。

 ヴィルヘルムがいる上座のすぐ横の席に、次々に皿が置かれる。

 ヴィルヘルムは何事かとその様子を見ていたが、しかし何も言わなかった。

 シリカが隣に座ると、ヴィルヘルムはほんの僅か目を見開く。


「隣、失礼いたします」

「…………ああ」


 逡巡は見えたが、止めるつもりはないらしい。

 食事を再開しながら、シリカはヴィルヘルムを横目で見る。

 食事以外に興味がないかのように、視線を皿にしか向けていない。


(そんなに私に興味がないのかしら……)


 きっかけは真っ当ではないにしろ、夫婦になったのだからもう少し歩み寄ってくれてもいいだろうに。

 初対面の時は、もっと気遣いを感じたのだが、あれ以来、あまり関わらないようにしていることは間違いなかった。


(かと言って、毛嫌いしているわけでもないし、要望は受け入れてくださるし……何をお考えなのかよくわからないわね)


 表情からは感情がまったく読み取れない。

 こんなにわかりにくい人は初めて見た。

 やはり自分から積極的にいくしかないようだ。


「陛下はお食事に興味はないのですか? あまりお食べになられないご様子」

「……最低限の栄養さえ取れればよい」


 栄養が取れていないからやせ細っているのではないか、とシリカは思ったがさすがに黙っておいた。

 口うるさい姑になる気はない。


「お好きなものはないのですか?」

「ない」

「ない? おひとつも? 飲み物もありませんか?」

「……紅茶は好きだ」


 シリカは目をキラッと輝かせた。


「紅茶! どういった種類が?」

「特定の種類はない」


 会話がすぐ終わる。

 これは会話が下手なのか、それともただ話す気がないのか。

 もっとヴィルヘルムのことが知りたい。

 そう思い、さらに言葉を繋げようとしたが、ヴィルヘルムが先に口を開いた。


「掃除をしているそうだな。侍女の仕事を手伝っているのか?」

「……は、はい。公務ではないので問題ないかと」


 僅かに緊張しながら、シリカは上目遣いでヴィルヘルムの様子を窺った。

 相も変わらずの鉄面皮しかそこにはない。


「余の言葉だ。覆す気はない。自由にすると良い」


 言いながら口もとをナプキンで拭くと、すぐに立ち上がり出て行ってしまった。

 パンやスープはほとんど残っていた。

 見るとテーブル上にはティーカップが置かれていた。

 確かにワインや水だけではなく、陛下は紅茶を嗜んでいるようだった。

 一応は許しを貰い、安堵した。

 それに、初めて彼の好きなものが知れた。

 それだけで少しだけ嬉しさを感じてしまう。

 ふと背後に気配を感じて、振り返るとアリーナがあわあわしながら佇んでいた。

 恐る恐るといった感じでシリカに話しかけてくる。


「あ、あのお気になさらず。陛下はいつもあのような、その、きっぱりというか、淡泊というか、ああいう感じでして。あ、いえ! 悪口ではなく!」

「ああ、いえ、大丈夫ですよ。気にしてませんし。陛下がどういうお方なのか、少しはわかっていますので」

「そ、そうですか……申し訳ありません、余計なことを」

「いいえ、ありがとうアリーナ。心遣いは嬉しいです」


 アリーナはわかりやすく表情を明るくさせ、歯を見せた。

 素直でわかりやすい、いい娘だなとシリカは微笑を浮かべる。

 ぐううううううう!

 突然、聞こえた音にシリカは目を見開いた。

 アリーナは慌ててお腹を手で押さえ、恥ずかしそうに俯いてしまう。


「す、すみません、お、お腹が……」


 主よりも先に食事をすることはまずない。

 夕食がまだなのだろう。

 先ほどもお腹が鳴っていたことはシリカも覚えていた。


「気にしないでください。私も食事を終えますので」


 今日はあまり食欲がなかった。

 久々に沢山働いたからだろうか。

 パンを半分残し、食事を終えた。


「せっかく作ってくださったのに申し訳ないのですが」

「いえいえ! むしろ嬉しい……じゃなくて、大丈夫です! 晩御飯代が浮く……じゃなくて、その」

「……もしかして食べ残しを食べるのですか?」

「ひゃ!? そ、それは……そ、そんなことは……」


 図星だったようで、アリーナはあちらこちらに目を泳がせた。

 あまりにわかりやすく、シリカはクスッと笑った。。


「咎めるつもりはありませんよ。もったいないですからね」

「え!? お、怒らないのですか? 侍女がはしたない! みたいに」

「見えないところであればよいのではないですか」


 表立ってバクバク食べられては困るが、裏でのことをとやかく言うつもりはない。


「あ、ありがとうございます! 助かります!」

「もしかしてお給金が足りていないのですか?」

「い、いえ、そのようなことは! ただ、家にお金を入れていますので、余裕がないと言いますか! ウチは両親がおらず、弟と妹の面倒はあたしが見ないといけないので!」

「そうですか……大変ですね」


 家にお金を入れて、余裕がなくなるくらいの給金しかないとも言える。

 親がいないという話はそこかしこで聞く。

 子供だけで生きていくのは大変だろう。

 シリカにはその辛さがよくわかった。

 立ち上がり部屋に戻ろうとした時、ふとヴィルヘルムが残した料理に視線が向かった。


「陛下は、よく料理を残すのですか?」

「はい。いつもパンやスープ、時にはメインをお残しになりますね。お飲み物はよくお飲みになるのですが」


 そう言えばと思い出す。よくアリーナに飲み物のおかわりを頼んでいたような気がする。

 単純に、小食だという可能性もあるが。

 食べきれないか嫌いだからという理由で毎回残すのならば、これからはいらないと言うこともできるわけだ。

 それなのにいつもパンやスープを残す。

 これは偶然なのだろうか。


 ちらっとアリーナを見上げる。

 パチパチと瞬きをする彼女は愛らしく、そしてどこか小動物らしさを感じた。

 雇い主の陛下であれば、彼女の事情も知っているだろう。

 この城で働く人間は多くもないのだから。


(……まさかね)


 使用人のために食事をせずに痩せてしまう、なんてことは本末転倒だ。

 給金を上げるなり、直接、食料を配るなりすればいいだけのことなのに、あえて食べ残すなんて周りくどいにも程がある。

 もしもそんな方法をとる人間がいるとしたら、なんと不器用で非効率的な方法をとるのか、と言いたくなる。

 考えすぎだろう。

 結局、そう結論付けて、シリカは席を立った。

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