第21話 シリカ食堂開店

 マルティナは腰に手を当て、目をパチパチとした。


「こいつは驚いたねぇ」


 一日で洗える洗濯物の量ではなかった。

 しかしすべての洗濯物は洗い終えただけでなく、干されていた。

 時刻は夕方。それは、作業を半日で終わらせたということだ。

 シリカは汗を拭いながら満面の笑みを浮かべる。


「何とか終わりましたね」


 洗濯班の女性たちがシリカに駆け寄ると、興奮した様子で話しかけてくる。


「王妃様のおかげですよ! とっても手際が良くて!」

「ええ、驚きました。あんなにお上手なんて。しかも効率的な方法を教えてくださったし!」

「いえいえ、みなさんのおかげです。私たちはお手伝いをしただけで。ね、クラウス」

「そ、そうでございますな……うぬぅっ!」


 困ったように笑うシリカの隣で、座り込んでいる人物が一人。

 クラウスは脂汗を滲ませながら、腰を抑えていた。

 寄る年波には勝てなかった、ということだろう。

 シリカは胸中でクラウスに謝りながら、再びマルティナに向き直った。


「一体、どんな方法を使ったんだい? 元聖女様ってのはまさか魔法を使えるんじゃないだろうね」

「まさか。普通に洗っただけですよ。ただ、ちょっとやり方を変えただけで。ほら、今までは大量に山積みになった洗濯物の中から近場のものを一つ取って、それを洗うというやり方をしていたでしょう? それだとどうしても頑固な汚れが残っているため、洗うために時間がかかります。ですので、付け置きしておきました」

「付け置き? 水に付けておくのかい?」

「ええ、石鹸を混ぜた水ですが。そうすると汚れが分解されて、洗いやすくなります。ですので、まずは大量の桶を用意してそこに付け置きし、しばらく経ったものを洗い、途中からは干す係と洗う係にわかれて作業をしました。その方が効率がいいので」


 感心したように口をあんぐりと開けるマルティナ。

 別段難しいことでもないし、それなりに知識がある人間なら当たり前のことだ。

 ただそういったものは先駆者から伝えられるもので、時間が必要だったりもする。

 そして仕事の効率化をする、という意識を持つことが大切だ。

 これが中々に難しく、過去のやり方を維持してしまう人間が多い。

 この国、ロンダリアは歴史が古いが、国土縮小に伴い文化や伝統、知識が上手く伝達されていないということは、識字率の流れから何となく理解できた。

 それゆえの提案だったのだが。


「へぇ、シリカ様は物知りなんだねぇ」

「色々とやってきましたから」


 世界中でも、元孤児の元聖女の現王妃なんていないだろう。

 我ながら面白い遍歴だと思いながらも、過去の知識や経験が活きたことは素直に嬉しかった。

 自分の人生は無駄ではなかったと、そう思えたのだ。

 クラウスは腰を抑えて、唸っている。

 次からはクラウスにはもっと腰に優しい仕事を与えてくれるように頼もうと、シリカは心に誓った。


「そりゃ頼もしい! それじゃこれからもっと仕事を任せることにしようかね!」

「ええ、是非とも!」

「うぐっ! もっと仕事をするのですか……ううっ」


 やる気満々のシリカに対して、クラウスは腰の痛みのせいか死にそうな顔をしている。

 一先ず、可哀想な執事長のことは置いておいて。

 まずは一歩前進。

 これからどんどん仕事をしていこう、とシリカはやる気に満ち溢れていた。


   ●〇●〇●〇●〇


 一か月後。

 採掘場前、宿舎の食堂。日中。


「おかわりだっ!」

「うめぇうめぇっ! うめぇよ!」

「はふはふっ! パワーが溢れてくるぜぇっ!」


 人で溢れかえり、誰もが食事に夢中だった。

 ガツガツと肉やパンをほおばり、そして満足そうにしている。


「シリカ様! 芋肉揚げ定食、五人前追加です!」

「はい、すぐに!」


 調理場でフライパンを振るシリカ。

 料理班の女性陣があわただしく料理を作る中に、シリカも混じっている。

 むしろシリカは指示を飛ばし、料理の出す順番まで考えていた。

 ちなみにクラウスは腰の負担の少ない雑務や、帳簿作成をするようになっている。


「ひぃっ! こ、こんなに食堂に人が来るの初めてだよぉ! い、忙しすぎるぅ!」

「シリカ様が来てからお客さん増える一方で! 採掘場の労働者以外も街からもわざわざ来てる人もいるんですよぉ!?」

「シリカ様がご提案なさった料理が全部好評だからね! ほら、口じゃなく手を動かす!」

「「はぁいっ!」」


 料理班のメンバーにも活気があふれていた。

 突然、料理班に入れられた時は、シリカも少し驚いたものだ。

 理由は食堂の客入りが悪く、そのテコ入れのためだ。

 料理があまり得意でない女たちが、料理を作っているのだからそれも仕方がない。

 しかも家庭用料理しか作ったことのない彼女たちの料理は、総じて量が少なく、そして簡単なレシピに偏っていた。

 まずくはない。だが美味くもないという食堂に来る労働者は多くはなかった。


 だがしかしそれも仕方ないことではあった。

 なぜなら十分な食料がロンダリア国にはないからだ。

 ロンダリアは自給自足できる土地も人材もおらず、農業や畜産業は盛んではない。

 それゆえ基本的にロンダリアの食糧事情は、輸入に頼っているのが現状だ。


 しかし、シリカがやってきたからそれは一変する。

 まず肉体労働者用に、がっつり食べられる定食を作ることを考えた。

 国内の食料は偏っており芋や小麦、あとは低価の肉と野菜だけだった。

 肉は筋張っており、野菜は痩せているものばかり。

 そんな素材しかなかったため、今まではスープやパンのような家庭料理を作ることが多く、栄養が少ないし、体力がつかないものばかりだった。

 毎日、肉体労働に勤しむ鉱夫たちには物足りないだろう。


 そこでシリカは主食となる『芋肉揚げ』を考案した。

 芋をすりつぶし、細かく切り刻んだ肉を混ぜ、最低限の味付けをして、小麦粉をつけて揚げて特製のソースをかけるだけの簡単な料理だったが、パンにも合う濃い味と脂っこさに加えて、濃い味を薄れさせる野菜スープとのバランスは絶妙と評判だった。

 好評を博し、次々に素材を組み合わせた料理を考案した。

 食堂の飯が美味くなった、という評判は徐々に広がり、そして今に至るというわけだ。


 元々、立地はよく、労働者たちが入りやすい環境にはあった。

 あとはどれだけ料理に魅力があるか、労働者たちにあった料理を出せるか、それだけだったのだ。

 しかし、シリカは気づいていないが、他にも要因はあった。


「シリカ様! 美味かったです!」


 シリカが働く調理場近くまで来た若い男が、でれでれとした顔を見せる。

 汗をキラキラと輝かせ、シリカは相好を崩した。


「それはよかったです、また来てくださいね」

「は、ひゃいっ! き、きますぅ!」


 胸を押さえつつ、仲間たちと店を出ていく若者。

 こいつ顔真っ赤でやんの、と茶化されつつ出ていった。

 あまりにわかりやすいやり取りだというのに、シリカは笑顔のまま頭の上に疑問符を浮かべるだけだった。


「シリカ様ってもしかして天然、ってやつかね?」

「いやありゃ経験不足だわ。男関連に疎そうだし」

「あんなにお綺麗なのにねぇ……むしろだからなのかね?」

「そもそも王妃様なのに分け隔てなく接してくださるし、そりゃ男衆はコロッと行くさね。禁断の恋的な」

「「「「罪作りだねぇ」」」」


 料理班の四人のおばさま方が、ため息を漏らしシリカを見守っていた。

 件のシリカはと言えば、一生懸命料理を作り続けていた。

 その横で感心した様子で話しかけてくる、初老の女性がいた。


「しかしシリカ様は本当に何でもできますね」

「子供のころ生きるために色々と学んだというのもありますが、聖女の時も補佐官が厳しくて、あれもこれも勉強しろ! と言われまして。料理はその時に教わりましたね。考案した料理も、大体は教わったものですし」

「子供のころならわかりますけど、聖女の時に必要なものなのですか?」

「私も必要なことなのかなとは思いましたが……そういえば、今、役に立ってますね」

「ほー、不思議なこともあるもんですね」


 確かに、聖女に料理の技術など必要ない。

 しかし補佐官のソフィーからは、これくらいはできて当たり前、聖女と言えど、常識を知らないのは恥であると言われ、家事全般や礼儀、一般知識など色々と教わった。

 その積み重ねが活きている。

 今になって思えば、聖女として必要ないことも多く学んだ気がする。

 ソフィーが独断でやらせたことなのか、それとも教団としての方針だったのか、当時は気にすることもなく、必死で学んだものだが。


 そういえば、ソフィーは元気だろうか。

 彼女は他人にも自分にも厳しい人だったが、信頼のおける人だった。

 今も元気だといいのだけど、と胸中でシリカは一人ごちる。

 そんな彼女を遠くで見つめる人物がいた。

 レオとその取り巻きたちである。


「ちっ! お気楽なもんだな。王妃様ってのは」

「そりゃそうさ。自分たちは裕福な暮らしをしてるんだろうからな」

「レオ……いいのかよ」


 取り巻きの一人が不満そうに言い放った。

 レオはシリカを凝視する。


「構いはしねぇさ。今はな」


 含みを持たせた言葉に、取り巻きたちは不服そうにしていた。

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