第14話 必要ない

「――必要ない」


 それは見事な否定であった。

 そこに思慮深さなど微塵もなくただの拒絶しかなかった。

 あまりに予想しなかった答えにシリカの表情は固まる。


(お、落ち着くのよシリカ。考えてみればいきなり王妃になった私が、公務や執務ができるとは思わないわよね、うん。気が逸ってしまったわ)


 気を取り直して再び口を開いた。


「で、では王妃としての振る舞い、礼儀作法、王家の歴史などの勉学に励むことをお許しいただきたいのですが」

「必要ない」


 またしても即答である。

 一考の余地なしと、ヴィルヘルムは言っていた。

 先ほどまでの思慮深く、理知的な男はどこへ行ってしまったのか。

 一体何ごとなのかと、シリカは動揺を隠せない。

 実務を許されないのはわかる。その技術も知識も経験もないのだから。

 だが勉学に励むことさえ許されないのは一体どういうことなのか。


「な、なぜでしょう?」

「必要ない、そう申し伝えたはずだ」

「そ、それは、ええ。アリーナから聞きましたが」

「ならばこの話は終わりだ」

「わ、私は元聖女で無知な部分もありますが、ですが国や陛下に尽くしたいと思っています!」

「そなたは十分聖女として尽くしてきただろう」

「そ、それはそうかもしれませんが、今はそのような話をしているわけでは」

「この話に先はない。これ以上話す必要はない」


 意固地である。

 まるで耳を塞ぐ子供のようだった。

 建設的とは言えない問答が繰り返されている。


「な、何か理由がおありなのですか? でしたらお聞かせください」

「……ない」

「ないのならばお許しいただけるはずです!」


 ヴィルヘルムは何も言わない。

 シリカはそんなヴィルヘルムを見つめた。

 今までは真っすぐに見ていたヴィルヘルムが、不意に視線を逸らした。

 それは拒絶のように見えた。


「王妃としての公務や勉学はそなたには必要ない。それ以外ならば自由にしてよい」


 怒りはない。そんなものを持つ権利など自分にはない。

 悔しさもない。そんなものを持てるほど努力も継続もしていない。

 けれど悲しさはあった。巨大な壁が目の前に立ちふさがっていると気づいたから。

 当たり前のことだったのだ。


 元聖女である自分を受けいれてくれたのは責任感によるもの。

 それは同情や憐憫のような感情にも等しい。

 親愛も信頼の欠片さえあるはずもない。

 それらを築き上げようとする姿勢も、そこにはなかった。

 落胆を表に出さないように必死だった。

 笑顔を保てず、しかしヴィルヘルムを責めるような姿勢は見せないようにした。

 そもそもがヴィルヘルムを責める権利など、自分にはないのだから。


「……わかりました。ではそのように」


 僅かに俯きながら、平静を保ちつつ、シリカは執務室を出た。

 廊下を歩き、シリカは大きく息を吐く。


「うん、これくらいは当たり前よね! これからこれから!」


 言葉にしてシリカは自分を励ます。

 しかしすぐに黒い想像が脳裏をよぎった。

 陛下は、どうやら女として自分を見ていない。

 仮に容姿を気に入ったとしたらもう少しアプローチがあるはずだ。でもそれはまったくない。

 それに王妃としての働きにも期待していない。

 かごの中の鳥と同様に何もせず餌を与えるも、学ばせず、働かせるつもりもない。

 むしろ鳥の方が愛でられる分、幾分か良い方だろう。


 信頼もない、期待もない、だから何もしないことを望む。

 そして親密になる気もないし、興味もない。

 食事中は距離を保ち、会話もしない。話しかけても必要最低限。

 陛下と自分を結んでいるのは、聖神教団の圧力による強制的な婚姻と同情心のみ。

 それ以外には何もなかったのだ。

 そんなことを考えると無性に情けなくなり、そしておまえは無価値だと言われているように感じてしまった。


 長年尽くした結果、裏切られ、そして今は同情されている。

 惨めだ。

 たった一人だ。

 誰もいない。

 自分を見てくれる人も、必要としてくれる人も。

 いない。

 いないが。


「でも関係ない!」


 そう、関係ない。


「私はこの国に、陛下に尽くすって決めたんだもの!」


 一度裏切られたくらいでなんだというのか。


「頑張るって決意したんだもの!」


 努力することを誰が止められるというのか。


「みんなを元気に、そして幸せにする! 私はそのためにここにいるんだもの!」


 流された結果だとしても、そんなものはどうでもいい。

 大事なのは今、自分がどう思っているか、そして何を望むのか。

 人の笑顔が、幸せだと言っている顔が好きだ。

 だから助けたい、救いたい、頑張りたい。

 そう思って聖女として必死に努力してきた。

 それはここでも変わらない。

 ロンダリアの国民は今、幸福ではない。

 陛下も同じ。とても幸せそうには見えない。

 先ほどの一件もきっと理由があるのだろう。

 だったらその理由を覆すほど頑張ればいい。

 条件付きで自由にしていいと言われたのだから。


 挫けてなんていられない。

 挫けてなんてやるものか。

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