第15話 現聖女
聖ファルムス独立行政区、大聖堂。
巨大な聖堂には、相も変わらず長蛇の列ができていた。
先頭には治療を施す治癒場がある。
ベッドのような形をしているが、硬質な石材でできているため寝心地は最悪だろう。
そこに聖神教徒の男が横たわっていた。
肩は腫れあがり、骨折していることが見て取れた。
男の顔は青ざめ、痛みに必死に耐えていた。
「……はぁ、全然治りませんわね」
辟易とした顔を見せたのは、現聖女ドーリスだった。
両手から淡い光を放ち始め、すでに数分が経過している。
だというのに男の怪我は一向に治る気配がない。
通常、一人前の聖女であれば骨折程度の怪我は一分もかからず治癒が可能だ。
しかしドーリスはその域に達していない。
辛いのは間違いなく患者である男の方なのに、なぜかドーリスの方が我慢できないとばかりに愚痴を漏らしていた。
その様子を傍で見守るのは聖女の侍女数人。
その中には聖女補佐官であるソフィーも入っていた。
彼女は歴代の聖女を支え続けてきた、いわばベテランである。
シリカも当然彼女から手ほどきを受け、聖女となった。
姿勢を微塵も崩さずに、ソフィーが口を開いた。
「聖女の力は多大な集中力と、何よりも慈愛が必要です。どちらかが足りなければ扱えはしません」
「やってますわよ、まったく」
やってないからできていないのだ。
ため息はつく、愚痴は漏らす、患者を睨むし、時には悪態をつく。
やる気も見られず、明らかに別のことを考えていることも多々ある。
聖女としての清廉さや凛々しさなど微塵もない。
青い髪と聖印以外は、どこからどう見てもただのわがままな貴族の娘だった。
彼女の口癖は「休憩はまだか」「疲れて力が出ない」「ユリアン王子と会いたい」の三つだ。
客観的に見ても、聖女として何もかもが足りていないことは間違いなかった。
すでにドーリスが聖女としての洗礼を受けてから、一か月以上経過している。
それなのに未だ貴族気分が抜けない。
いや、抜く気もない。
ソフィーは人知れず、嘆息した。
歴代の聖女でもここまで手を持て余した人はいない。
聖女は一日で大体200人ほど治療するものだ。
しかしドーリスの治療人数は平均50人にも満たない。
おかげで朝から並んだ怪我人や病人は体力を消耗し、むしろ体調を悪化させている人も出てきている。
当然、重傷者や歩けない患者もいるので、全員が全員並ばせているわけではないが。
通常の治療は軽症、軽傷者向けだ。
中症、中傷者以上の人間を治療するために、別の時間に教団直営の診療所へ行くことになっている。
ちなみにシリカの治療人数は平均500人であり、治療時間の短さや治療の内容も歴代一位であった。
「ああ! もう、さっさと治りなさい!!」
「も、申し訳ありません……うぐっ」
聖女が患者に言うセリフとは思えなかった。
主に聖神教徒である彼らは、聖女や教団に絶対的な敬意を抱いており、恐れ多く感じることはあっても理不尽さに憤ることはない。
敬虔な聖神教徒に八つ当たりする聖女など聞いたことがない。
しかし、民衆の面前で強くたしなめることは難しい。
それは聖女補佐官であるソフィーであってもだ。
先を促すくらいはできるのだが。
何よりも聖女にへそを曲げられたら治療そのものができなくなる。
そのため侍女たちは、治療の様子を見守ることしかできなかった。
仮に何を言ってもめげず、実直で、愛をもって人々に尽くし、自らの使命を喜びと感じ、まい進し続ける、そんな聖女であれば別だろうが。
そんな人は過去に一人しかいなかった。
重い空気の中、若い侍女が耐えきれずに声を漏らした。
「……シリカ様ならもうとっくに終わっているのに」
「口を慎みなさい」
「……申し訳ありません」
青さから我慢が利かなかったのだろう。
そう思い、端的に叱るにとどめたソフィーだったが、侍女たちの心情は簡単に読み取れた。
一か月の間、ドーリスは努力もせず、だらだらと治療をし、何か言えば不機嫌になるのだ。
侍女たちだけでなく護衛役の兵たちも色々と手を焼いている。
当然、最もあおりを食うのは聖女補佐官のソフィーだった。
「終わりましたわよ。はー、疲れましたわ……怪我とか病気とか見るだけで気持ち悪いし、最悪ですわ!」
気怠そうにしながら、外聞も気にせず言い放つドーリス。
ようやく治療が終わったらしく、男の肩は動くようになっていた。
だが完治しておらず、まだ腫れているし、動きはぎこちない。
男は痛みに顔をしかめている。
「あ、あの聖女様、まだ肩に痛みがあるのですが」
「はあ!? そんなのわたくしの知ったことじゃないですわ。治してもらっておいて文句を言うなんて何様ですの!?」
激昂するドーリスに男は平伏した。
「も、申し訳ありませんでした! な、何もございません!」
「当たり前ですわ! さっさとお行きなさい!」
男は慌てて立ち去る。
その姿を見て、ソフィーの眉間に小さな皺が一つだけ走った。
ドーリスには他者を慈しむ気持ちが皆無であった。
それは聖女としてあるまじき態度でもあった。
侍女全員がドーリスの所業に明らかな不満を持っていた。
そんな中で、さらに彼女たちの苛立ちの原因がやってきた。
「やあ、ドーリス。治癒は順調かな?」
聖ファルムス国第一王子のユリアンだった。
まだ治療の途中で、大勢の人たちが自分の番を待っている。
誰もが怪我や病気を患っているのだ。
痛みや苦しみを抱えたまま、遠方からここまでやってきた民もいる。
そんなことは、誰にでもわかること。
だが暗愚で無知な王子はへらへらと笑いながら、空気も読まずにやってきた。
ユリアンの姿を見ると、ドーリスは満面の笑顔を浮かべる。
「ユリアン様! わざわざ来てくださったのですね!」
「ああ、愛しい婚約者の様子が気になってね」
「ふふふ、嬉しい。もちろん順調ですわ! 先ほども患者を治療したばかりですの」
「なんと! さすがは我が君。やはり貴族は平民と違って優秀だ」
あまりに的外れな会話に、その場にいる全員が苛立っていた。
侍女や護衛だけでなく、並んでいる聖神教徒たちにまでそれは伝播する。
聖神教において聖女は救済の象徴であり、絶対的な存在。
ゆえに本来は不満を持つなどあり得ないし、評価や感想を持つことさえない。
それは治療に専念し、慈愛をもって接する、という歴代聖女たちの努力の結晶でもあった。
特に、前代のシリカは治療人数の多さ、治療の完璧さ、何より人々への溢れんばかりの愛があった。
それらが当たり前だと思っていた聖神教徒たちは、だからこそ絶対的な聖女としての在り方を受け入れ、敬っていたのだ。
聖女は美しく、優しく、清らかで、そして素晴らしい存在なのだと。
だが、今はどうだろうか。
「また、ですか」
「いい加減にして欲しいです」
「民やわたしたちをなんだと思っているのか」
侍女たちの愚痴は止まらない。
今度はソフィーも止めなかった。
少しくらい愚痴を吐かなければ、爆発してしまう。
最早、焼け石に水かもしれないが。
シリカが聖女の資格を剥奪されてから、たった一か月で状況は一変した。
以前はあれほど静謐で、永遠にも思えるほどの救いがここにはあったのに。
そんな空気はほとんどなくなってしまった。
聖堂内には不穏な空気が漂っている。
今後どうなるか、ソフィーには手に取るように分かった。
(さて……どうしましょうか)
その呟きは、誰に知らせることもなくそっと胸にしまっておいた。
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