第12話 実情

 馬車を使わず、王都から鉱山へと向かった。

 徒歩で向かったのは純粋に近場であることと、普段の国民の生活をより知るためだ。

 鉱山に出向く人々の多くは、鉱山近くの宿舎に泊まるのではなく、毎日王都の自宅へと帰り、早朝に出かけるようだった。

 鉱業はロンダリアの主産業であり、重要な財源だ。

 王妃としてより深く知ることは急務とも思えた。


 王都から鉱山への道は意外にも舗装がされていた。

 草木や岩石の類はなく、整地された道は歩きやすい。

 荷車の轍(わだち)がところどころ見えるが、それ以外は問題のないように思えた。

 王都内でさえ正門付近しか、舗装されていなかったことを思い出す。

 時折、すれ違う鉱夫たちは忙しなく荷車を引き、王都と鉱山を往復している様子だった。


 しばらく進むとすぐに鉱山が見えた。

 王都から徒歩三十分ほど。

 かなり立地は良く、また開けた場所のため移動もしやすい。

 幾つかの家屋が見えた。宿舎や休憩所、作業場などだろう。

 正面の岩壁に巨大な穴がぽっかり開いていた。

 入り口横には松明が無数に置かれており、洞穴からは明かりが漏れ出している。


「こちらが最も大きな第一鉱山、奥の方に第二第三とありますが、そちらは人手が足りず着手できていません」


 鉱夫らしき男性がつるはしや荷車を持って出入りしている中、女性や子供は作業場で鉱石の不純物を小さな工具で落としている。

 他にも食事の用意や道具の片付けなど、補助的な作業をしているようだった。

 力仕事は主に男性が、雑務を女性や子供が担当しているようだった。

 子供が働くことは珍しくないが、王都でさえ労働力が足りていないというのは由々しき問題だ。

 労働者たちは疲弊しているように見えた。

 仕事中なのだから当然だが……それとは違う、活力のなさを感じる。


(やはり街中だけでなく、こちらの方々も同じなのね)


 他にも気になったのは、鉱夫たちの怪我の多さだった。

 ところどころ青あざが見えるし、布地を包帯がわりに巻いている姿も見えた。


「……仕事中なんですがね、どちら様で?」


 不意に声をかけてきたのは大柄の男。

 体中が土と汗にまみれていた。

 クラウスが顔をしかめると、男は不快そうに眉根を寄せた。


「見てわからぬか! こちらはシリカ王妃殿下にあらせられるぞ!」

「王妃様? へえ、そりゃ知らずにすみませんね。なんせお披露目もなく、お姿を見る機会がなかったものでね。それに綺麗好きな王家の人間は、こんなところに来ることなんて滅多にないもんで」

「き、貴様、なんという物言い……無礼者が!」


 悪びれもせず、むしろ不愉快そうに腕を組む男に、さすがにクラウスは怒りをあらわにした。

 街中での国民の礼節のなさに関しては、寛容に対処していたように見えたが、さすがにここまで反抗的な態度を見ては黙っていられなかったのだろう。

 クラウスは鋭い眼光を男に向け、剣の柄を握った。

 一触即発の空気が生まれる、その瞬間にシリカが笑顔で二人の間に割って入る。


「仕事の忙しさは重々承知しておりますが、我が国にとって鉱業は重要な産業ですから、視察をしにきたのです。邪魔をする気はありませんので、私たちのことは気にせず、いつも通り働いてください」


 ニコッと笑いながら言い放つと、張り詰めた空気が弛緩した。

 毒気を抜かれたらしい男は、小さく鼻を鳴らすと肩の力を抜いた。


「俺はここの指揮を執ってるレオ。今後、来る時は事前に知らせてください。それと、あんまりうろちょろしないでくださいね。怪我しても責任取れないんで」

「ぐぬっ! き、貴様――」


 激昂する寸前のクラウスは、顔を真っ赤にしながら剣を抜こうとしていた。

 すぐにシリカは笑顔のまま、手でクラウスを制する。


「――ええ、気をつけます」

「…………俺たちの苦労を知らずに、いい気なもんだ」


 レオは気に食わないとばかりに鼻を鳴らすと、さっさと仕事場に戻った。


「あ、あの者、平民の癖に王妃様になんたる無礼な振る舞いを!」

「まあまあ、よいではありませんか。突然足を運んだのは事実ですからね」


 どうどうとクラウスを落ち着かせるシリカ。

 王妃としての立場を考えれば、シリカの行動は正しいとは言い難い。

 上に立つ立場の人間がへりくだれば示しがつかず、下の人間は調子に乗り、権利や利益を要求し、果ては暴動や反乱に発展する可能性があるからだ。

 ただ、現状は恐らく王家の力は大幅に弱体し、国民からの信頼を損なっているように思えた。

 無駄に威張り散らすのは賢い選択ではないだろう。


「し、しかしでございますね」

「あの方にも色々と事情があるのでしょう。それに私も元平民、元聖女ですし」

「そ、それは……」


 狼狽するクラウスの姿に前に、シリカの胸はちくりと痛んだ。

 不意にバルトルト枢機卿やユリアン王子の言葉を思い出す。

 平民ごときが、と。

 そう言った言葉を。


「……それに、この鉱山を取り仕切る方と敵対するのは得策ではないのでは?」


 労働者たちからの視線がシリカやクラウスに集まっている。

 それは明らかに好意的な感情ではなかった。


「……権威は時として必要かと」

「かもしれません。ですがそれは今ではないと思いますよ」


 現状を完全には把握していないが、それでもある程度は理解しつつあった。

 貧困にあえぐ国民と、財政が悪化し続ける国家。

 双方は手を取り合うべきであり、対立すべきではない。

 もちろん一方的に許容するということではないのだが。

 とにかくこれ以上、足を踏み入れば何をされるかわかったものではない。

 労働者たちの態度は、敵視しているとまではいかないが、明らかに歓迎はしていない様子だった。

 シリカだけでなくクラウスにも向けられているので、元聖女であるシリカに敵意を向けている、というわけではなさそうだ。


(クラウスの言っていた通り、数十年前の宗教侵略に関しての知識はない、と見ていいのかしら)


 まだ立腹しているクラウスをよそに、シリカは辺りの様子を見た。

 採掘場への入り口はきちんと補強されて崩れにくくなっている。

 松明の数も十分。

 彼らが使っている道具も比較的まとも。

 宿舎も、街中の家屋よりも手入れがされているようだった。


「鉱山の設備や鉱業従事者たちへの補償、環境整理は陛下が?」

「え、ええ。主産業への投資はすべきだと……予算を大幅に割いていまして」


 見るにかなりの人数が従事している。

 100人は優には超えるだろう。

 王都の人口は300人。

 働けない人間や別の仕事をしている人間を省けば、ほとんどの人間が鉱業に従事しているということになる。

 そこに予算を割き、環境をより良くするのは当然のことだろう。

 だが、その当然は誰にでもできることだろうか。

 少なくとも無知蒙昧で思慮のない王ができるではない。

 そのはずなのだが。


(どうも国民側は不服らしいわね……他に何か問題があるのかしら? それとも他に要因が?)


 財政状況を数字で見ないと何とも言えない部分ではあるが、城での食事や家具や衣服、陛下の仕事への姿勢等を鑑みるに裕福な生活をしているわけでも、無駄金を使っているわけでもないはず。

 クラウスの口ぶりだと、むしろ陛下の財政管理によって、何とかやりくりできているようだった。


「どうも国民たちには好意的に思われていない様子ですね」

「……先代からの凋落を王家のせいだと思っているのでしょう。陛下はどうにか再建を図り、休みなく働き続けています。それに先代の責は息子である自分にもあるとおっしゃり、寛大な対応をしているというのに……未だに愚かな王だという噂まで広まっている始末!」


 無知蒙昧であるという噂は、先代からの負債ということらしい。

 しかし、実際に見たわけでも、詳細を知るわけでもないが、先代が無能であったという風に判断するのは早計であるようにも感じた。

 シリカは考える。

 武力行使による侵略はわかりやすいが、内部からの宗教侵略は非常にわかりづらく、且つ抑制しにくい。

 聖神教は人々の救済を謳っている宗教であり、それを制限するということは人々を虐げることを掲げていると取られても不思議はない。

 必然的に、聖神教の布教を止めることはできなかったのではないか。

 ある意味では、ロンダリア先代国王の寛大さは己の破滅を促したということだ。


 仮にそれらの事実をヴィルヘルム自身の口で説明したとしても、国民は納得するだろうか。

 ただの聖神教への中傷と考え、国家の評判を落とし、より反発されるという可能性も否定できない。

 ヴィルヘルムは働き者だ。

 直属の部下でもあるクラウスの口ぶりからも感じ取れた。

 そんなヴィルヘルムが国民に説明をしなかった理由が、ただの怠慢であるとは考えにくい。

 ある意味では、聖神教団の行動が表立っていないため、元聖女であるシリカを王妃として迎え入れることに抵抗が薄かったともとれる。

 あるいはヴィルヘルムはそれを見越して、シリカを迎え入れようと考えたのかもしれない。

 国家全体の貧困、過去の遺恨、連合国への隷属、国と国民との軋轢、加えて元聖女を王妃に迎えてしまうというダメ押し。


 問題は山積みだった。

 輿入れして数日でこれほどの問題点が出てきたのだ。

 もっと調べればいくらでも出てきそうだった。

 とりあえず状況はわかった。

 解決しなければならない問題ばかりだった。

 自分にできることはあるだろうか。

 王妃という立場で、元聖女という肩書で、シリカという一人の人間として。


 シリカは難しい顔をして、うんうんと唸り、そして考えた。

 考えに考えて。

 そして結論を出す。


(なーんにもわからないわね!)


 そう、わかるはずがないのである。

 だって元箱入りの世間知らずの聖女で、しかも聖女の力は失われていて、しかも結婚したのは数日前で、それはわかるはずもないのである。

 そんなに簡単にわかれば苦労はしない。

 そんなことならば、すでに誰かが解決しているだろう。

 だからシリカは難しいことはとりあえず置いておくことにした。


 すでにここまで沢山頭を使って、色々と考え、知ったのだ。

 だから脳を動かすのはとりあえずここまで。

 あとはやるだけなのだ!

 シリカはなぜか晴れ晴れとした顔でクラウスに言った。


「帰りましょう!」

「さ、左様でございますか」


 シリカが意気揚々と帰路につくと、クラウスが慌てて彼女の後を追う。

 さて、忙しくなるわよ、と空を仰ぐシリカ。

 彼女が何をしようとしているのか。

 それは彼女にしかわからなかった。

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