つるぎの時代の第六紀二九七年、五月三日──。

 港湾こうわん都市ニアヘイムをバーナーム軍の脅威きょういから救うために出撃したフィオラの軍勢は、今、その目的を果たしてシアーデルンへの帰途きとにあった。

 シアーデルンまであと二日という地点で、フィオラは、これまでろくに休息をとらずに強行軍きょうこうぐんしてきた兵たちの疲れをいやすため、ロイレンという名の小村しょうそん近郊にじんを張って野営やえいしていた。

 シアーデルンとの間では伝令を頻繁ひんぱんに交換しており、たがいの状況を正確に把握はあくできるよう連絡をみつにしている。そしてその結果、今のところシアーデルンは無事であることが確認できていた。

 それでもフィオラは念のため大規模な偵察ていさつ騎兵を編制へんせいし、それらを先行せんこうさせ、シアーデルン周辺の状況をさぐらせてもいた。

 わずか三時間ほどの休息をおえたグランゼス軍は、朝日がのぼるのと同時に出発の準備にとりかかった。

 腕とあしにだけよろい装着そうちゃくしたで立ちでフィオラが自分の天幕てんまくをでると、乗馬に飼葉かいばをあたえている騎士や、ほつれた鎖帷子くさりかたびら修繕しゅうぜんしている鍛冶師かじし、あるいは白い炊煙すいえんをあげたかまを囲んで談笑だんしょうしている兵士らの姿が視界に飛びこんできた。

 彼らひとりひとりの表情をうかがうと、みな一様いちように疲労の色がい。じゅうぶんな睡眠もとれない短い休息では焼け石に水だったのかもしれない。

 それはフィオラとて同様だった。仮眠かみんのつもりで一時間ほど眠ったが頭のなかはすっきりとせず、全身に鎧をまとっているわけでもないのに体は重く、ふりそそぐ朝日が忌々いまいましいほどまぶしく感じられた。

 くわえて、ニアヘイムをめぐる戦いの傷あとがフィオラの心をしずめていた。

 救援のためにシアーデルンをった時には二万二〇〇〇を数えた麾下きかの軍勢も、今ではその半数が戦場となったドルト・ルアの丘のふもとで永眠えいみんしている。フィオラ自慢じまん近衛このえ騎兵団もうしなわれ、家族同然だった部下たちの顔をもう二度と見ることができない喪失感そうしつかんに胸がしめつけられる。

 それでもフィオラは勝った。その事実が唯一のなぐさめであった。

 主君しゅくんエリンデールのかたきであるバーナームはくの野望をくじき、ニアヘイムを救って海の商人たちの後援こうえんを取りつけることに成功したのだ。

 おかげで、しばらくは後顧こうこうれいなく、ローデランの東部に割拠かっきょしているかつての同僚たち──今はローデランの覇権はけんをめぐってたがいににらみあっている大敵たいてき──〈九枚の大楯ナインシールズ〉と堂々とわたりあえる環境が整ったのである。

 傷ついた軍勢も、シアーデルンに残した守備隊と合流すればかつての威容いようをふたたび取りもどせるだろう。

(それにしても、よく勝てたものだ・・・・・・)

 今になって、そんな感慨かんがいがフィオラの胸にこみあげてくる。

 シアーデルンを出発した当初は勝利への自信をゆるぎないものとしていたが、いざ戦ってみるとバーナーム軍は思いのほか精強せいきょうで、たくみにさくろうしてフィオラを窮地きゅうちに追いやった。

(かつて〈アズエルの使徒〉だった男が敵にいたのだから、それも当然か・・・・・・)

 怒りと悲しみでつむがれた納得が、フィオラにそう結論づけさせる。

 戦神アズエルを信奉しんぽうし、その教えに従って日々を軍学ぐんがくの研究にささげている教団の一員を〈アズエルの使徒〉と呼ぶ。

「味方を守るそのすべを神のごとくさんし、敵をめっするその策を悪鬼あっきのごとくはかる」とは、彼らの歴史的な偉業いぎょうたたえる際によく用いられる文言もんごんであるが、実際、様々な国の治乱興亡ちらんこうぼうにアズエル教団が関与していたことをうかがわせる神話や伝説は多数あまた、存在した。

 だが、フィオラにとって彼らの存在は決して絵空事えそらごとではない。現実に存在し、ききしにまさる名軍師であることをよく知っていた。敵としても、味方としても。

 敵として彼らのおそろしさを知ったのは、バーナーム軍との戦いが初めてであった。まるでこちらの心が見透みすかされているかのように先手せんてを打たれ、こちらがそれに気づいた時には敗北と死が確定しているわなのまっただなか、という有様だった。

 それでもなおフィオラが生存し、あまつさえ勝利を手にできたのは、フィオラのがわにも〈アズエルの使徒〉が味方として立っていたからである。

 その者の名をレイタスという。彼は、セルネアという名の少女をひとり、弟子としてつれていた。

 ちょうど今、そのセルネアがフィオラの目にとまった。

 出立しゅったつの準備でいそがしい兵士たちの邪魔にならない陣地の片隅かたすみで、少女がひとり、朝の光をあびながら剣舞けんぶにいそしんでいる。ちゅうに向かって剣を突いたりいだりするたびに、少女の全身をおおっている白亜はくあ色のローブが大きくひるがえり、なびいて、その様はまるで白鷺しらさぎ勇壮ゆうそうまいのようであった。

朝稽古あさげいこか・・・・・・ふふ)

 ふと、フィオラの胸中きょうちゅう邪気じゃきが頭をもたげてきた。悪戯いたずらを思いついた少女のように口もとをほころばせたフィオラは、侍女じじょに剣をもってこさせ、それを受け取るとセルネアのもとへ歩み寄る。そして、セルネアの側面そくめんから、声をかけるわりに自分の剣を引き抜いて彼女の剣舞に割りこんだ。

 剣と剣が激しくぶつかり、耳障みみざわりな金属音をひびかせる。

 セルネアがちゅうに向かってくりだした斬撃ざんげきを、横からみこんだフィオラが剣で受け止めたのである。

 セルネアは最初、おどろいたように目を丸めた。が、いで、フィオラを見あげてニヤリと笑った。稽古につきあう意思がフィオラにあることをさとったようである。

 セルネアが、今度はちゅうにではなく、フィオラに向かって突きをくりだしてくる。

 それをフィオラは音高おとたかはじいてしのぎ、弾かれて体勢たいせいくずしているセルネアに一撃をたたきこんだ。

 セルネアは軽やかなステップでそれを回避し、ふたたび攻撃にてんじてくる。

 フィオラはその斬撃を正面で受け止め、すぐにセルネアをおしかえして間合まあいを仕切しきりなおした。

 こうして、しばらくの間、ふたりの女剣士は攻守をめまぐるしく入れかえながら数十ごうと剣をまじえあった。

 フィオラにとっては朝の軽い運動である。が、セルネアは本気で撃ちこんできていた。

 セルネアには剣士としての素質そしつがじゅうぶんにそなわっている。彼女の年齢や体格を考えれば優秀とすら言えた。今のままでも、並の戦士が相手ならひけをとることはないだろう。さすがは〈アズエルの使徒〉の弟子、といったところである。

 特にフィオラを感心させたのは、古式こしきかたにとらわれない、機知きちんだセルネアの戦闘感覚だった。たびたび独創的な太刀たちすじを見せてフィオラをおどろかせてくれる。

(なるほど。これは成長が楽しみだ)

 軍師としての天賦てんぷは未知数だが、少なくとも剣士としてはフィオラにそう思わせるだけの才能をセルネアはすでに開花かいかさせていた。

 ただし、それはあくまでも並の相手と比較してのことで、例えば、フィオラのような百戦錬磨ひゃくせんれんま猛者もさが相手では、セルネアといえどもその未熟さをいともたやすく露呈ろていしてしまう。

 実際、フィオラはたいして呼吸を乱してもいないのに、目の前の少女はすでに大きく肩をゆらし、攻防のあいまに息を整えるのがやっと、という有様であった。

「動きに無駄が多い!」

 フィオラがするどく告げて決定的な一撃を見舞みまうと、もはや受け止める力も残っていなかったセルネアはあっけなく体勢を崩し、ふらついた足をフィオラに払われて転倒した。

 セルネアはおきあがらず、仰向あおむけになって四肢ししだいの字にひろげ、全身で「負けました」と告げていた。それでも、朝の空を見あげながら息を整えている彼女の汗ばんだ顔には、全力をだしきって満足げな笑みがひろがっていた。

 フィオラは手をさしのべてセルネアを立ちあがらせた。

「ありがとうございます、閣下かっか

 礼をべながらローブにまとわりついた土をパンパンと払っている少女に、フィオラはかぶりをふった。

「礼を言わねばならないのは、わたしのほうだ」

「閣下が、あたしに?」

 不思議そうな顔で見あげてくるセルネアに、フィオラは微笑ほほえみかけた。

「ドルト・ルアの戦いで、そなたに命を救われた。その礼をまだ言っていなかったな。あらためて感謝する、セルネア」

 ドルト・ルアの丘でバーナーム軍と対峙たいじした時、フィオラは敵の重囲じゅういにおちいって窮地きゅうちに立たされた。おのれ破滅はめつを覚悟して戦うことをあきらめかけたその時、背後に忍び寄る敵兵からフィオラの身を守ってくれたのが目の前の少女だった。

「ああ、いえ、そんな・・・・・・」

 思いだした様子のセルネアが、激しい運動のせいで上気じょうきしている顔に笑みを浮かべ、照れくさそうに肩をすくめた。

 その様子を微笑ほほえましく見つめながら、フィオラは稽古をとおしていだいた感想を世辞せじではなく本心から告げた。

「いい腕をしているな、セルネア。その調子であと五年、みがけば、レイタス相手にいい勝負ができよう」

 だがこの評価は、セルネアにとって不本意なものであったようだ。

「ええ~、あと五年もお?」

 うんざりしたような声でなげくセルネアを見て、フィオラは思わず苦笑くしょうした。

「レイタスとて、昔から今のレイタスだったわけではない。何年も地道じみちみ重ねてきた修練しゅうれんが今のやつをささえているのだ。自分の成長をあせるな、セルネア」

 陳腐ちんぷな説教だと自覚しつつも、かつてはセルネアと同じように成長をあせっていた時期があるフィオラとしては、あせるあまりに少女が自棄やけをおこさぬようくぎをさしておきたくなるのだった。

 それでもなお、セルネアは不満げに口をとがらせていた。が、やがて、ふとなにかに思いあたった様子で笑みを浮かべ、ふたたびフィオラを見あげてきた。

「閣下は、レイタスと昔からの知りあいなんですよね?」

くさえんだ」

「どんなでした? 弟子だったころのレイタスって。『俺は優等生だった』なんてえらそうに言うんだけど、実際のところはどうでした?」

「さあ・・・・・・わたしはやつの師ではないから、そのへんのことはよくわからん。ただ、まあ、少なくとも優等生だったとは思えんな。メルセリオによくしかられていたから」

「ほんとに?」

 セルネアがうれしそうに目を輝かせたあと、ニヤリとほくそんで身を乗りだしてきた。

「そのへんのこと、もうちょっとくわしく──」

「きいてどうする気だ?」

 とたずねたのは、フィオラではなくうわさ当人とうにんだった。

「げ、レイタス!」

 声をきいてはじかれたようにふりかえったセルネアの視線の先で、あきれ顔のレイタスがこちらに歩み寄ってきていた。〈アズエルの使徒〉が得意とする読唇術どくしんじゅつのせいで、遠くからでも会話の内容は筒抜つつぬけだったようだ。

 フィオラとセルネアのもとまでやってきたレイタスが、鉄の手甲ガントレットに守られた両手を腰にあてて弟子をにらみつけた。

「朝の稽古はどうした」

 セルネアが、ツンとすました顔で言いかえす。

「とっくにおわったもん」

「なら、次は兵法書へいほうしょ読誦どくしょうだ。天幕にもどって準備していろ」

「は~い」

 セルネアが不平満々ふへいまんまんていで返事をしたあと、フィオラに向きなおる。

「閣下。お手あわせ、ありがとうございました!」

 ぺこりと一礼するセルネアに、フィオラはうなずいて応じた。

 レイタスが弟子の背中を見送りながら小声でボソッとささやく。

「変なこと、あいつにきこんでないでしょうね?」

 にらんでくるレイタスに、フィオラは冗談めかした笑みで応じた。

「言われたら困ることでもおありかな、お師匠どの?」

「ありすぎて困るくらいです」

 レイタスが不機嫌ふきげんそうにそっぽを向いた。

「そもそも、俺は師なんてうつわじゃありません」

「そうか? 少なくとも、あの娘はおまえをしたっているように見えるが?」

「その割には、俺の言うことをちっともききやしない」

 愚痴ぐちるレイタスを見て、フィオラは思わず「ぷッ」ときだしてしまった。

「なんです?」

 レイタスが不愉快ふゆかいそうににらんでくる。

 フィオラは肩をすくめながら弁明べんめいした。

「おまえたちを見ていたら、かつてのメルセリオとおまえを思いだしてな」

「よしてください。俺は、あいつほどひねくれちゃいませんでしたよ」

「だが生意気なまいきで、血気盛けっきさかんだった」

「それはお互いさまでしょ」

「ふふ、たしかにな」

 フィオラとレイタスが同じ過去を共有する者同士で笑みをわしあった直後、遠くから野太のぶとい声がひびいてきた。

「閣下ァ!」

 声のぬしは、フィオラの忠実な副官ルーニだった。

 鎧をひびかせながらけよってきた偉丈夫いじょうふは、よほどあわてたのか、肩で息をし、左ほお刀傷かたなきずを残した顔を不安の色でくもらせていた。

「なにごとだ」

 いやな予感を胸によぎらせつつフィオラがうと、ルーニはつばをひとのみしてから口を開いた。

先行せんこうさせていた偵察ていさつ騎兵からの報告です! シアーデルンから黒煙こくえんがあがっているとのこと!」

 この報告の意味を瞬時にさとったフィオラは、レイタスと顔を見交みかわしたあと、ルーニに向かって早口はやくちで命じた。

「全員をたたきおこせ! すぐに出立しゅったつする! 急げ!」

「はッ」

 ルーニが主君の意向を実現するため、ふたたび鎧をひびかせながら走り去っていく。

 フィオラ自身も、出陣の支度したくのため自分の天幕へ足早あしばやに向かった。

 後ろからついてくるレイタスが自信に満ちた声で進言してくる。

「閣下。俺に三〇〇〇の騎兵をお貸しください。先行して、閣下が到着するまでの時間をかせぎます」

「ゆるす。行け」

 敵の規模がわかっていない現状でレイタスの進言を迷わず受けいれたのは、彼を信頼しているからである。レイタスならば三〇〇〇の騎兵をむざむざ死なせることはないだろう。それどころか有効に運用して、フィオラ率いる本隊が到着するまでの時間をしっかりかせいでくれるにちがいなかった。

 自分の天幕にもどると、フィオラは侍女じじょたちに鎧の装着を手伝わせながら思案しあんした。

 いったい、〈ナインシールズ〉の誰がシアーデルンにちょっかいを出してきたのか、と。

(さしあたって思いあたるのは、あの軽薄けいはくな男だが・・・・・・)

 その男の顔を思い浮かべるだけで、フィオラの美麗びれいな顔は忌々いまいましげにゆがむのだった。

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