戦神のガントレットⅡ

おちむ

第一章 旧知の敵

 かたい寝台しんだいの上でフィオラは目をさました。

 ゆっくりと上体じょうたいをおこして見まわした天幕てんまくのなかは、布でできた屋根からふりそそぐやわらかな光で薄明うすあかるい。

 天幕の周囲では部下の兵士たちがよろいをひびかせながら行きっていた。馬のいななきもあちこちからきこえてくる。東の空から差しこむ光が、天幕の壁に兵士や馬の様子を影絵かげえのようにうつしだしてもいた。

 戦場で起居ききょすることになれたフィオラにはおなじみの、陣中じんちゅうでむかえる朝の光景である。

「夢か・・・・・・」

 フィオラはひたいに落ちかかった赤い髪をかきあげつつ、先ほどまで見ていた映像がなつかしい過去の記憶だったことに気づき、そうつぶやいた。

 それは、メルセリオに初めて出会った時の夢だった。



 もう七年も昔になる。フィオラはまだ一六歳だった。

 幼少ようしょうのころより父親に武芸をたたきこまれてきたフィオラは、当時、すでに一流の騎士として領内りょうないに名をせていた。

 父親が、娘であるフィオラを騎士としてきびしく訓練した理由はいくつか考えられた。

 男子に恵まれなかった以上、フィオラが家督かとくぐことになるし、たとえ女であっても武門の家にせいけた以上、相応の武芸をおさめているべきという意向だったのかもしれない。

 あるいは、運命に翻弄ほんろんされることの多い乱世において、おのれの意志をつらぬけるだけの力を身につけさせておくことはフィオラの選択肢を多くする、と信じた親心だったのかもしれない。

 いずれにせよ、フィオラは父親の望みどおりグランゼスの名にじない騎士に成長した。グランゼス家が主宰しゅさいする、領内の騎士たちを集めた馬上やり試合や剣闘けんとう大会で、腕力や体格でまさる男どもを相手に素早い身のこなしと卓越たくえつした技量ぎりょうで数々の勝利をおさめるほどにフィオラは強かった。

 一方で武名とは裏腹うらはらに、浮名うきなというものに関してフィオラはまったく無頓着むとんちゃくだった。

 武門の名家たるグランゼス家の長女で、しかも、甲冑かっちゅうまでもがはなやかなドレスに見えてしまうほどの美女であるフィオラには、他家からの縁談えんだんが引く手あまたであった。にもかかわらず、どれも本人ががんとして首を縦にふらなかったのである。

 一二歳から一六歳までがローデラン貴族女性の婚期こんきと考えられているが、フィオラは自分よりも強い男としか一緒になる気はないと公言こうげんし、婚期をのがしかねない娘を心配する父親と口論こうろんする日がえなかった。

 そんなある日、縁談をしつこくすすめてくる父親と激しい口論になったフィオラは、ひとふりの剣を腰にび、狩猟しゅりょう用の軽装で護衛ごえいをひとりもともなわずに城外へ飛びだした。むしゃくしゃすると馬で野をかけて気を晴らすのがフィオラの習慣だった。

 だがその日は、せっかくの気晴らしを邪魔するやからがいた。丘のふもとで旅商りょしょうの一団を襲っている野盗やとうの群れを目撃したのである。

「おのれ! よくもが領内でッ」

 グランゼス家の領内で不埒ふらちな行為におよぶ野盗どもにフィオラは激怒げきどし、みずから成敗せいばいしてくれようと乗馬に拍車はくしゃをかけようとした。

 が、ふとその動作を中断する。

 旅商と野盗の間にふたりの旅人が割って入り、仲裁ちゅうさいをはじめたのである。

 しかし、話しあいはすぐに決裂けつれつしたようで、たちまちその場は白刃はくじんと悲鳴、そして血煙ちけむり交錯こうさくする修羅場しゅらばと化した。

 たったふたりで旅商を守るために戦っている旅人の心意気こころいき感服かんぷくしつつ、一刻いっこくも早く助太刀すけだちに入ろうと乗馬にむちを入れるフィオラであったが、現場にけつけたころにはすでに修羅場は沈静ちんせいしていた。

 そこに勝者として立っていたのは、数で圧倒的に優勢だった野盗たちではなく、白亜はくあ色のローブを野盗たちのかえり血で赤くまだらに染めた旅人ふたりだった。

 命と荷物を救われた旅商たちが、何度もふりかえっては旅人たちに手をふって感謝を示しながら立ち去る。

 彼らの背中を見送みおくっていた旅人のひとりが、近づくフィオラのほうをふりかえり、穏やかな表情と口調で語りかけてきた。

「ご来援らいえんに感謝いたします、姫」

 フィオラを見るなりそう言ってきたのは、ひじまで守られた鉄の手甲ガントレットを両腕につけている年長者ねんちょうしゃらしき旅人のほうだった。

「なれど、ごらんのとおり、ぞくどもはすでに成敗いたしております。彼らを言葉で改心させられなかったのが無念ではございますが・・・・・・」

 その旅人は、黒く長いしなやかな髪を両肩から胸もとへとらし、女のように秀麗しゅうれいな顔立ちをしていた。先に声をきいていなければ女と見誤みあやまっていたかもしれない。

 だが、なによりも印象的だったのは切れ長の目に宿やどされた黒い瞳だった。

 あれだけの修羅場をせいするほどの技量を持ちながら、それをほこるでもなく、むしろあやめた賊たちをいたんでいるかのようなやわらかくんだ眼差まなざし。

 この乱世にあって、同情やあわれみなどは弱さにつながるだけだと信じるフィオラにとって、およそ理解できない目をした男であった。

「なぜ、わたしがグランゼス家の者だと?」

 初対面にもかかわらず「姫」と言いあてられたことにフィオラが不審ふしんの念をあらわにすると、思いもかけない言葉がかえってきた。

「おまえ、バカかよ」

 えらそうにそう指摘してきたのは、もうひとりの旅人のほうである。白亜色のローブを着ているが両腕に手甲ガントレットはなく、風にそでをヒラヒラさせている。長髪の男よりも背は低く、髪も短く、おさなさをまだほんのりと残したその顔立ちから、歳は一二、三と思われ、生意気なまいきそうな目をしており、事実、生意気だった。

「おまえの馬のくらに刻印されてるじゃんか。アザミをくわえたカワセミの紋章が、これ見よがしにさ。そいつがグランゼス家の紋章だってことは、この辺じゃ誰だって知ってるぜ?」

 なかなかするどい観察眼である。が、そこにフィオラが感心することはなかった。生意気な小僧こぞうの発言の、別の言葉にカッとなっていたからである。

「バカだと? よくもこのわたしを愚弄ぐろうしてくれたな!」

 父親以外の人間に、面とむかってそのような口をたたかせたことなど一度もなかったフィオラにとって、剣のつかに手をのばすのをためらう理由はまったくなかった。鞍から飛びおり、剣をさやから抜き放ってえる。

「剣を抜け、小僧! わたしと名誉めいよをかけた決闘をせよ!」

「よさないか、レイタス」

 長髪の男が、弟をたしなめるような口ぶりでそう言った。

 どうやら、レイタスというのが生意気な小僧の名前のようである。が、「よさないか」という部分は、怒気どきをみなぎらせて剣をかまえているフィオラに対して放たれたように感じられた。

「弟子の無礼を、このメルセリオがわっておわび申しあげます、姫」

 メルセリオと名乗った長髪の男が、うやうやしくこうべれてきた。

 これほど物腰ものごしのやわらかな男に、どうしてあれだけの修羅場を制圧できるほどの力がそなわっているのか、フィオラには不思議でならなかった。と同時に、どれほどの強さなのか試したくもなった。

「ほう。その無礼な小僧はそなたの弟子か。では、弟子の粗相そそうを、師であるそなたにつぐってもらおうではないか、メルセリオとやら」

 フィオラが、剣のさきをレイタスからメルセリオにむけなおしてそう言いわたすと、メルセリオは真面目まじめくさった顔で小首こくびかしげた。

「つぐない、と申されますと?」

「知れたこと! 剣を抜いて、わたしと勝負せよ!」

「なにゆえ」

「我が名誉が傷つけられたのだ。このままでは引きさがれぬ!」

「お断り申しあげる」

 きっぱりと拒否され、フィオラはあせった。

「なッ・・・・・・逃げる気か!」

「剣をまじえる理由がないだけのこと」

「理由なら言ったはずだ! そなたの弟子に、我が名誉が傷つけられたのだ!」

「それは口実こうじつにすぎません。あなたは、単にわたしと力くらべがしたいだけ。そのようなおろかしい欲求につきあって剣を抜くつもりは毛頭もうとうございません」

「愚かしいだとッ」

 本心を見透みすかされてますますあせるフィオラだったが、弟子のみならず師匠にまで愚か者ばわりされた以上、もはや建前たてまえではなく本気で名誉を守る必要にせまられた。

「流れ者のそなたに、騎士の名誉のなにがわかる!」

「もお~、面倒くせえなあ」

 そう愚痴ぐちったのはレイタスである。

「俺にやらせてください、先生。このうるさい女、一瞬で負かして黙らせてやりますよ」

 このレイタスという小僧には、あきれたことに、自分がこの悶着もんちゃくの原因だという自覚がないようである。

 メルセリオも自分の弟子にあきれているような表情を浮かべていたが、あきれている理由はフィオラとは別の次元じげんにあるようだった。

「その過信かしんはどこからきている、レイタス」

「え?」

「どうして、おまえが彼女に勝てると断言できるのだ?」

「あ、いや、そのォ──」

「根拠もなく勝敗を語ってはならぬと、あれほど教えたはずだ」

 メルセリオから鋭くにらまれ、レイタスはあきらかに動揺していた。

 どうやら、弟子の発言のなにかが師を怒らせたようである。

 あれほど生意気だったレイタスが肩をおとしてうなだれた。

「つい、言葉のはずみで・・・・・・すみません、失言しつげんでした・・・・・・」

「おまえの過失かしつは言葉だけではない」

「それ、どういう意味です?」

「おまえは相手の力量りきりょうを読みあやまっているのだ。おまえが一瞬で勝ちをひろえるような相手ではないぞ、あの姫は」

「そんな・・・・・・」

「信じられない、といった顔だな・・・・・・しかたない。おまえの慢心まんしんいさめるためにも、彼女の助けをかりるとしよう」

 そう言うと、メルセリオは蚊帳かやそとに置かれていたフィオラに視線をふりむけてきた。

「気がかわりました、姫。あなたの挑戦をつつしんでお受けいたします。ただし、戦うのはわたしではなく、弟子のレイタスです」

 相手が決闘を受け入れたのは喜ばしいが、対戦相手にフィオラは不満があった。

「ふん。弟子のかげに隠れるとは、たいした師匠だな」

「この者を倒せないようではわたしの相手はつとまらない、と、ご理解ください」

「なるほどな」

 もっともな言い分である。師匠が弟子よりおとっていたら笑い話にもならない。

「いいだろう。だが、そこの小僧を片づけたあとは、必ずそなたに相手をしてもらうぞ」

ちかいましょう」

 メルセリオはフィオラをまっすぐ見つめて小さくうなずいたあと、ふたたび弟子をかえりみた。

「いいか、レイタス。これは修行の一環いっかんだ。必ず剣を用いて彼女と戦え。それ以外の得物えもので勝っても、わたしはおまえの勝利を認めない」

「わかってますって」

 レイタスは自信をみなぎらせた笑みを口もとに浮かべていた。

 意味のわからない師弟していの会話にフィオラは苛立いらだった。あのレイタスという小僧は剣以外の武器を所持していない。なのに、剣以外のなにを得物にして勝つというのか。あるいは白いローブの下に暗器あんきでも隠しもっているのかもしれない。

(用心は、しておいたほうがよさそうだな)

 フィオラは自分の勝利を確信しつつも、そう心もちかまえた。

 白ローブ姿のふたりは、野盗から商人を救ったことから悪人ではなさそうだが、得体えたいの知れない流れ者であることにはちがいないのだ。騎士道精神とは無縁の、どんな卑劣ひれつな手段にうったえてくるか知れたものではなかった。

「いつでもいいぜ、ねえちゃん」

 レイタスが抜身ぬきみの剣を右かたかついで、遊びにでもさそうかのように呑気のんきな声を放った。身がまえもせず、すきだらけの体勢たいせいである。

 どこまでも人をおちょくったその態度にフィオラは激怒し、容赦ようしゃする気を完全に消し去った。

「まいるぞッ、小僧!」

 フィオラは大地をって一気に間合まあいをめ、自分の間合いにみこむと、相手の胸部きょうぶめがけて剣を鋭く突きだした。

 それをレイタスは体を回転させてかわし、回転したいきおいにのって自分の剣を水平にいでフィオラの頭部をねらってきた。

 フィオラはとっさに身をかがめてけ、今度は下から上へ剣をふりあげる。

 が、その斬撃ざんげきは、剣の刃をねかせて受け流したレイタスのたくみな防御によって不発におわった。

 互いに肩を小さくゆらしながらにらみあい、両者は次に踏みこむをうかがった。

(なるほど。達者たっしゃなのは口だけではないということか)

 わずか数秒の間に行われた一連の攻防で、フィオラは相手の強さを素直に認めた。ひさしくえていた雄敵ゆうてきである、と。

 そして、そう認めると笑いがこみあげてきた。レイタスをあざけったのではもちろんなく、自分をわらったのでもない。強者を相手に剣を交りあわせているこの時間が純粋に楽しかったのである。

「気味の悪いやつだなあ・・・・・・」

 戦いのさなか、不意に笑いだしたフィオラを見て、レイタスが眉間みけんにシワを寄せながら正直な感想をもらした。が、その表情はすぐに真剣なものへとあらたまった。

 フィオラが猛然もうぜんと踏みこんだからである。

 フィオラは戦法をかえた。重い一撃でしとめようとはせず、素早い斬撃を左右に散らし、まずは相手を防戦一方へと追いこむことにした。

 速さを重視したフィオラの斬撃は軽くなり、その一撃一撃はやすやすとレイタスの剣にはばまれた。だがフィオラの思惑おもわくどおり、彼は歯を食いしばって斬撃をしのぐことで精一杯となり、反撃の機会をつかめないことに苛立いらだちはじめた様子である。

 この状況をつくりだしてから、フィオラは故意こいに斬撃のひとつを太刀たちすじの甘いものにかえた。凡庸ぼんような剣士なら気づかぬ程度の差であったが、レイタスの力量を認めたフィオラは、彼ならばこの差異さいに気づくはずだと確信していた。

 案のじょう、この、フィオラがあえてつくった猛攻もうこうのほころびにレイタスは気づき、さらに反撃の糸口とかんちがいして、フィオラの甘い斬撃をはじいたあと反撃にてんじてきた。

 その攻撃をフィオラは読んでいた。反撃するように仕向しむけたのだから当然である。

 そして、読みきった相手の攻撃ほど対処しやすいものはない。フィオラのように高い技量を持った剣士であればなおさらである。

 フィオラはやすやすと攻撃を受け止め、すかさず手首をかえしてレイタスの剣をからめとると、それをちゅうへ高々とはじき飛ばした。この一連の動作はよどみなく、流れるように行われ、フィオラ自身も会心かいしんのできであると心中で自賛じさんした。

 くるくると回転しながら落ちて、地面に突き刺さるレイタスの剣。

 勝負はついた。無手むてとなったレイタスの負けである。フィオラの常識が、というよりもローデランの騎士道がそう定めているからだ。一対一の決闘において、無手となった者をおそう習慣がローデランの騎士にはない。

 だから当然、フィオラは自分の確定した勝利に心おどらせつつ、かまえをといた。

 ところが、負けが確定となってうなだれているべき対戦相手が、フィオラの目の前で無手となった右のこぶしを引いてかまえだした。白いローブのたもとを風にヒラヒラさせながら、右手からなにかをくりだすつもりのようである。

暗器あんきか!)

 ローブの長いそでのなかに短剣かナイフのような小型の武器をしこんでいる。フィオラはそう直感し、あわてて防御の姿勢を試みた。

 ところが、くりだされてきたのはフィオラの予想にはんして、短剣でもナイフでもなく、ただの拳だった。革の手袋を着用しただけの、かたくにぎりしめられた拳──それでも、よろいを着用していない体の急所きゅうしょに打ちこまれれば重傷をまぬかれない、おそるべき凶器きょうきである。

(しまったッ──)

 防御の姿勢が間にあわないことをさとったフィオラは、勝負が決まったと思いこんで油断したおのれ失態しったいのろいつつ、打ちこまれてくるレイタスの拳にそなえて全身を強張こわばらせた。

 だが、不意にその拳がピタリと止まった。フィオラの鳩尾みぞおちをあと数ミリで打ち抜くというぎりぎりの距離で、である。

 見ると、レイタスの拳はメルセリオの手によってしっかりと受け止められていた。いつの間にかめ寄ってきていたメルセリオが、戦う両者の間に割って入っていたのである。

「言ったはずだ、レイタス。剣以外の得物えものは認めぬと」

 静かな口調でたしなめられた弟子は、悪戯いたずらがばれた子供のようにバツが悪そうな苦笑にがわらいを浮かべた。

「へへ、つい熱くなっちゃって・・・・・・」

「すぐ拳に頼ろうとするのはおまえの悪いくせだ。だが、これでわかったはずだ。彼女はおまえを本気にさせるほどの戦士である、と」

 弟子の拳を解放したメルセリオが、今度はフィオラにむきなおってうやうやしくこうべれてきた。

「この勝負、我が弟子の負けです。おみごとでした、姫」

「・・・・・・・・・」

 賛辞さんじおくられたフィオラはそれを苦々にがにがしい思いできいていた。メルセリオの賛辞は嫌味いやみでも皮肉ひにくでもなく、心から感服かんぷくしているようにきこえる。が、とうのフィオラが自分の勝利を認められなかったのだ。

 戦いを止められていなければ、レイタスの拳は確実にフィオラの鳩尾みぞおちに打ちこまれていた。そして、もし、これが決闘ではなく実戦だったら、鳩尾を打たれたことでフィオラは体を「く」の字に折り曲げ、息をまらせ身動きできなくなったところをレイタスに追撃され、絶命ぜつめいしていたことだろう。

 初めて味わう敗北感に、フィオラはくちびるみしめ、かたくにぎりしめた拳を小刻こきざみにふるわせた。これまで数々の剣闘大会で鎧をまとった大男たちを手玉てだまに取ってきたフィオラが、たかだか一二、三歳の小僧に敗北をいられたのである。

 まるで、フィオラがこれまでの人生でみ重ねてきた勝利は、しょせん遊びのなかの勝利にすぎないのだと指摘されたかのようでもあった。

(おのれッ・・・・・・)

 フィオラにとって、この恥辱ちじょくをはらすことができるのは純然じゅんぜんたる勝利だけであった。

 フィオラはメルセリオを鋭くにらみつけ、もう一度、剣をかまえなおした。

「わたしが勝ったというのなら誓いを果たしてもらうぞ! さあ、わたしと戦え!」

「どうしても、なさいますか?」

「誓いをやぶるつもりかッ」

「・・・・・・わかりました」

 しぶしぶといったていでメルセリオがうなずいた。腰にいていた剣をさやから静かに引き抜き、フィオラと正対せいたいする。

 今、フィオラの前に立っている男は、フィオラが雄敵と認めたレイタスをきたえあげた男である。その力量りきりょうは弟子のレイタスをはるかに凌駕りょうがしていることだろう。

 だがフィオラはおくしていなかった。むしろ、どれほどの男なのか、それを体感できることへの好奇と歓喜のほうが強い。そして、そんな男を負かした時の快感かいかんを想像して心をおどらせた。

(あの男を倒し、名誉と矜持きょうじをとりもどす!)

 フィオラがそう念じた直後だった。

「まいる」

 一言ひとこと、静かにそう告げるやいなや、メルセリオが大地をってみこんできた。

(突進からの、突き!)

 相手の攻撃をそう読んだフィオラは、メルセリオが突きだしてくる剣のさきを自分の剣でねあげ、がらきとなった彼の胴部どうぶに剣を払って勝負を決めることにした。

 読みどおり、メルセリオは間合まあいにたっすると同時に力強く踏みこんで、剣を鋭く突きだしてきた。

(やはりな!)

 フィオラは相手の剣をねあげようと、タイミングを見計みはからって自分の剣を勢いよくふりあげた。が、相手の得物えものを払いのけた感触と、刃と刃がぶつかりあってしょうじる金属音が伝わってこない。わりに、受け入れがたい現実がフィオラのもとにおとずれた。

(え・・・・・・)

 メルセリオの剣が、フィオラののどもとに突きつけられていた。彼の剣の切っ先が、汗で湿しめっているフィオラのはだにピタリと触れており、ひんやりとした鉄の感触がいやでも伝わってくる。

 フィオラの剣は、相手の剣をかすることもできずにからぶりしていた。メルセリオの突きが速すぎたのか、それとも、こちらの思惑おもわくを読まれて太刀たちすじを直前でかえられたのか。いずれにしてもフィオラの対応力をこえた絶技ぜつぎと言わざるを得ない。

「勝負あり、で、よろしいか?」

 剣をふりあげた体勢たいせいのまま身動きひとつとれず、喉に突きつけられた剣に緊張きんちょうして立ちつくしているだけのフィオラに、メルセリオが真顔まがおたずねてくる。その眼差まなざしは、先ほどまでのやわらかくあたたかなものから一変していて、氷のように冷たく、針のように鋭かった。

(こ、殺される・・・・・・)

 フィオラにそう直感させるだけのすごみを、その黒い瞳はもっていた。

 実際、あとほんのひと押し、アリを指先でひねりつぶす程度の力をこめるだけで、メルセリオはフィオラの命をつことができるのである。

 フィオラはよろよろとあとずさりした。二歩、三歩と足が勝手に動いたのだ。

 そうさせたのは、死を突きつけられた現実からの逃避とうひ、すなわち恐怖であった。

 勝負のなかでフィオラが今まで味わったことのない情念じょうねんが、彼女のなかに初めて刻みこまれた瞬間である。

 そして、恐怖で後ずさりするその足が、不意になにかにとられ、そのせいでフィオラは体の均衡きんこうくずした。体勢を立てなおそうと腕を振りまわす行為もむなしく、フィオラは地面に尻餅しりもちをつき、尻餅をついた瞬間、自分でも信じられない軟弱なんじゃくな声をもらした。

「きゃ!」

 その直後、左の足首に痛みと違和感が走る。地面のくぼみに足をとられ、無理に体勢を立てなおそうとしたせいで足首をひねってしまったようである。

 剣をおさめたメルセリオがフィオラのもとまでやってくるとしゃがみこみ、慎重な手つきでフィオラの左足をはじめた。ゆっくりと足首を曲げていき、フィオラが短く苦悶くもんするのを見て、彼は結論を得たようである。

「骨に異常はなさそうですが、これでは歩くのにも難儀なんぎいたしましょう」

 そう診断しんだんをくだすと、申しわけなさそうな顔でフィオラを見つめてきた。

「おゆるしください、姫。このようなくぼみがあなたの背後にあったことに気づけなかった、このメルセリオの不手際ふてぎわです」

 みょうな謝罪である。メルセリオが窪みをつくったわけでもないのに、彼は、窪みでフィオラが怪我けがった責任を自分のものとして考えているようなのであった。

 フィオラとの決闘で見せた死の権化ごんげともいえるほどのすごみもつメルセリオと、今しがた見せたような誰彼だれかれかまわずにそそぐ無制限の慈愛じあいをもつメルセリオと、いったいどちらが本当の彼なのか、フィオラにはわからなくなった。

(おかしなやつ・・・・・・)

 その強さはもちろんのこと、内面においても、今までフィオラのまわりにはいなかった異性いせいである。

 と、その時、メルセリオがフィオラの背なかと足に腕をまわしてきた。

「な、なにをするッ」

 そう抗議こうぎしている間にもフィオラの体はちゅうに浮いた。メルセリオの両腕によって軽々とかかえあげられたのである。

「一刻も早く城にもどり、薬師くすし治療しりょうを受けましょう」

 腕のなかのフィオラを見おろして、そうすすめてくるメルセリオの黒くんだ瞳は、先ほど戦いのなかで見せたそれとはちがい、足をくじいたフィオラを心から心配して悲しげな色をたたえていた。

 しばらく、フィオラは吸いこまれるような気持ちで彼の黒い瞳に見入みいっていた。が、やがてわれを取りもどすと、自分の身におこっている受け入れがたい体勢にふたたび抗議した。

「い、いいからおろせ! 早く!」

 メルセリオの両腕のなかで横抱よこだきにされたその様が、幼少ようしょうのころに読んだ本のなかの「いとしの騎士に助けられたお姫さま」を連想させ、フィオラの顔を真っ赤に染める。

 なにをかんちがいしているのか、ニヤニヤといやらしいみで見あげてくるレイタスの視線も気に入らない。

 そんなフィオラのじらいを知ってか知らぬでか、メルセリオはどこまでも真面目まじめな声で言うのだった。

「誰かの手をかりるのを恥じることはありません。真に恥ずべきは、おのれひとりの力で何事なにごとも解決できると思いこむ高慢こうまんさです」

「よけいなお世話だ! これくらい自分で歩ける! だからおろせ! おろさぬと絞首刑こうしゅけいにするぞ! おろせったらおろせ!」

 だが、フィオラの悲鳴にもた抗議は青空へと吸いこまれていくだけで、かなえられることはついになかった──。



「結局、城につくまでおろしてもらえなかったな・・・・・・ふふ」

 夢で思いだしたなつかしい過去に、フィオラは寝台しんだいから立ちあがりつつ苦笑くしょうした。

 あの時、フィオラの乗馬があったにもかかわらず、メルセリオは馬をレイタスに引かせ、わめき散らすフィオラを彼自身が両腕にしっかりとかかえて城まで歩いたのだった。

 フィオラに怪我けがわせてしまったことへの、メルセリオなりの贖罪しょくざいだったのだろう。

「まったく、あきれるほどのお人好ひとよしだったな・・・・・・」

 そうつぶやいた直後、なんの前触まえぶれもなく、フィオラの右ほおあたたかなものがひとすじつたい落ちた。

 彼の優しさを思いだして流れたそれは、もう二度とれることのできないぬくもりと、感じることのできない想いをしのんであふれた未練みれんしずくである。

(すべては過去だ。夢のなかの出来事にも等しい、遠い記憶の名残なごり・・・・・・)

 自分にそう言いきかせながら、フィオラは右頬をらしている涙を片手で払った。

 そうしたところで涙がれることは決してないことを知りつつも・・・・・・。

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