第6話

 私の故郷は、海辺の小さな漁村でした。

 村中顔見知りで、おじいちゃんおばあちゃんだらけの古い地区。数少ない子供は大きくなると村の外の高校に通って、それから地元の企業に就職するか、都会に出て行くかするのが普通でした。

 そんな衰退していくばかりの故郷でしたが、自然に溢れ、人情に溢れたその村が、私は大好きでした。

 そこに私は、両親と双子の妹の四人で暮らしていました。

 両親は優しく、妹とは仲がよく、ありふれた、温かい家庭でした。

 そんな私たちの生活は、ある日突然終わりを告げました。

私と妹が小学校の林間学校に通っていたときのことです。世間は数千年に一度の彗星の話題で持ちきりでした。私と妹がキャンプ地で眺めていた彗星は、専門家の推測では地球に墜ちることはなく、軌道に乗って宇宙に戻るはずでした。

 その彗星が、私たちの故郷に墜ちたのです。

 同じ時期に林間学校に行っていた小学校と中学校の子供たちは無事でしたが、村の三分の一の人口が、その深夜の衝突によって失われました。

 家にいた両親も同じく、命を落としました。

 私と妹は孤児になりました。被害を免れた小学校の体育館には、避難生活をする子供たちがひしめき合いました。私と妹はそこで両親を想い、見慣れた景色が燃えさかる炎に包まれる悪夢を見ながら、毎晩泣きました。

 そこに、あいつらが現れたんです。

 新興宗教『星の導き』。

 彼らは最初、ボランティア活動をするために私たちの村を訪れました。実際に食べ物や服を援助してくれたり、被災者の救助に当たったりもしてくれしました。

 しかし、彼らの目的は別にあったのです。

 彼らは子供たちに向かい、君たちは星の祝福を受けた子供だ、ぜひ私たちの教団に来てほしい、と言ったのです。教団には孤児院もある、そこでは衣食住と手厚い教育が保証される、君たちを家族として迎え、共に生きていきたいと。

 身寄りのない私と妹と、何人かの子供たちは、その教団に迎え入れられることを選びました。

 そうするよりほかなかったのです。

 しかし、それは間違いでした。

 私たちは教団本部のある山の中の村に移り住みました。寮の個室をあてがわれ、学校に通うとともに、教団独自の『手厚い教育』を受け、休日には奉仕活動をして暮らしました。

 『星の導き』はその名の通り、天体の運行から未来を読み取り、それに従って生活することを教義としていました。そのため、放課後になると教団内で天文学に関する講義が行われました。講義や試験で答えを誤ると、皆の前で鞭で打たれました。

 けれどもそれも、立派な信者になるためには必要なことなのだと、教えられ、私を含め子供たちもそう思い込むようになりました。

 また、教団の儀式と奉仕活動のために、私たちは音楽に関する教育も受けました。

 具体的に言うと、声楽です。私たちは皆で歌を歌うことで一体感と神からの加護を授かると教えられました。レッスンは厳しかったですが、そうして磨かれた私たちの合唱は、耳にした信者の方や奉仕先の施設の人々に感動の涙を流させました。

 教義は厳しく、私生活に自由はなく、勉強と折檻だらけでしたが、贅沢は言えませんでした。それに慣れてしまいさえすれば、明日食べるものの心配をしなくていい平凡な生活でした。

 あのころの私の心は、死んでいたように思います。自分の頭で考えることを放棄し、ただ日々を他人に決められた規則に従って過ごす、人形のような。

 ある日のことです。教団での暮らしにすっかり慣れた私と妹は、その日も教会での勉強会を終え、寮に帰るところでした。

 その途中で、激しく抵抗しながら大人によって乱暴に引きずられていく子供を目にしたのです。

 また折檻かと思いましたが、様子がおかしいのです。教団で生活する中で、見知った子供が突然行方知れずになることはありました。私たちはそれを引き取り手が見つかっただとか、教義に離反したから出て行っただとか聞いていましたが、内心大人たちの言い分に違和感を覚えていたのも本当でした。

 その日、私と妹は違和感の正体を突き止めるため、引きずられていく子供の後をこっそりつけることにしました。

 二人は教団本部の建物の奥深く、一般の信者では立ち入りできないところに入っていきました。

 私と妹は息を殺して歩を進めました。

 そして重い扉の隙間から、目にしたのです。

 子供の体が生きながらに引き裂かれ、母を呼びながら絶命していくさまを。

 あまりに凄惨な光景に、妹が嗚咽を上げました。

 その声を聞きつけて、中にいた大人が扉の方に向かってきました。

 私は妹の手を取ると、一目散に駆け出しました。

 施設の外に出ると、あたりは宵闇に包まれていました。

 どこに向かうのかも分からず、がむしゃらに走りました。

 大人たちは連絡を取り合ったのか、方々から現れ、追いかけてきます。

 普段は優しい神父様も、慈愛に溢れたシスターも、そのときは鬼の形相をしていました。

 私と妹は走って、走り続けました。

 その途中、妹は森に仕掛けられた罠に足を取られました。畑を荒らす害獣を捕らえるためのものです。私の力では外すことはできませんでした。大人たちの怒号と足音、手にしたかがり火が迫ってきます。

 妹は、逃げて、と言いました。

 あそこに戻ったら私たちの命もどうなるか分からない。

 でも妹は、必ず生きて待っているから、と言って私を送り出そうとしました。

 私は泣きながら、必ず助けに来ると約束して、その場を離れました。

 村を囲む森の中を、がむしゃらに走りました。

 不意に視界が開け、街中に出ました。私たちがたまに買い物に来る小さな街でした。私は記憶を頼りに駅を目指し、そこから行き先を確かめずに電車に乗って、呪われた忌まわしき地を離れました。

 私は疲れて座席で眠りました。

 悪い夢をたくさん見ました。目が覚めたとき、私の頬には涙の跡がありました。

 終着駅は深夜ということもあり、駅員さんの姿はありませんでした。私は改札の横を通り抜け、駅の中の地図を確かめると、外に出ました。

 駅前に出ると、『星の導き』の周辺よりずっと発展した街に来ていることが分かりました。

 探していた交番は、幸い駅のすぐ近くにありました。交番に駆け込み、駐在していた警察官に自分の状況を精一杯話します。自分は『星の導き』という教団から逃げてきた。そこではひどい拷問が行われていた。仲間の子供たちが大勢いて、今このときにもひどい目に遭っているかもしれない、と。

 聴取に当たった警察官の方は丁寧に話を聞いてくれました。

 私は警察署に送られ、そこで休ませてもらえることになりました。

 しかし、トイレのために起きて、貸された部屋を離れたときのことです。

 廊下の曲がり角の向こうで、警察の方と長いコートを着た人物が話しているのを聞きました。

 コートの人物は、『星の導き』の手先でした。

 彼は逃げた子供を連れ戻しに来たのです。それは紛れもなく私のことでした。彼と警察官は、その情報提供に対する報酬について口論をしているところでした。

 私は足音を殺してその場から離れ、警察署の出口を見つけると一目散に駆け出しました。

 建物の中で声が上がり、足音がばたばたと追いかけてきます。

 私は公道に出ると、手近な路地裏に入り、何度も角を曲がって、追っ手を撒こうとしました。

 私のめちゃくちゃな逃走は功を奏し、やがて追っ手の気配が消えました。

 しかし私は途方に暮れました。妹を危険な場所に残したまま、名も知らぬ街で迷い、警察も頼れない。

 絶望的な状況でした。

 そして夜の街は、子供がうろつくような場所ではないのです。

 柄の悪い男が、私に声をかけてきました。当然目を合わさないようにして逃げましたが、彼はどんどん歩を早めて追いかけてきます。汚い言葉で罵られ、私の心は恐怖でいっぱいになりました。

 ついに私は路地裏の袋小路に追い詰められてしまいました。

 助けを求めては、警察に感づかれるかもしれない。

 そうなってはおしまいです。

 私は目に涙をためて、彼の浅黒い手が私に迫る瞬間目を閉じました。

 しかし、その手は私には触れませんでした。

 鈍い音と短い悲鳴が聞こえました。目を開けると、男が地面に倒れるところでした。

 目の前に立っていたのは、背の高い男でした。彼は構えていた手刀を下ろし、私と目線を合わせるようにして膝をつきました。

 恐怖で喉の引きつっている私に、彼は心配はいらない、と深みのある声で言いました。

 迷子かな、近くにおうちの人はいるかね、交番に連れて行こうか、と。

 私はすべての疑問に首を振って、彼に抱きつきました。

 彼は父よりずっと年上の男性でした。この人なら頼れるとか、頼れないとか考える余裕はもう私にはなかったのです。彼はしばらく考え込んでいましたが、意を決して立ち上がると、私の手を握りました。

 私の家でよければ休んでいくといい。そこでじっくり話を聞かせてくれ、と。

 私の名前は、吾妻敏。剣士だ、と彼は名乗りました。

 

「それがお父さんとの出会いだったんだね」

朱音の父の名前をメモすると、桐生は手を止めて彼女を見た。朱音は頷き、冷めたコーヒーを飲んでいる。カップから離した唇は、濡れて年頃の少女のそれらしい輝きを放っていた。

「そうです。父はそのとき一人暮らしをしていました。なんでも、戦う仕事をしていたけれど引退して、隠遁生活を送っていたと。物静かな人に見えましたが、家の中は荒れていました。私は空き部屋に寝泊まりさせてもらいながら、少しでも恩返しになるように、しばらくは家の中を片付けるのを日課にしていました」

桐生は手帳に戦う仕事、と記しその下に線とはてなマークを書いた。万年筆を握っていた指の付け根のこりをほぐしながら、朱音に問う。

「お父さんには、吾妻さんの事情を話したの?」

朱音の形の良い爪を載せた指が、コーヒーカップを撫でる。

「最初は少し。家族は妹がいたけれど今は離れていて、警察には頼れないこと。父は急かさずに少しずつ事情を聞いてくれました。ある程度父の人となりが分かってきて、私が『星の導き』の名前を出したとき、父ははじめて怖い顔をしました。でも納得がいったように深く頷いて、私にねぎらいの言葉をかけてくれたのを覚えています」

「お父さんは『星の導き』のことを知っていた?」

「そうみたいです。そしてここに住んでいるのは危険だと言って、『星の導き』の村からさらに離れた都会に引っ越しすることを提案しました。でも、私は早く妹を教団から助け出したかったので、剣術の達人らしい父にそれを手伝ってもらえないか頼みました」

そこで朱音は過去の落胆を思い出したのか、声のトーンを落とした。

「父はそれはできないと言いました。そして、縁と仇の話をしたんです」


 私にとって確かに朱音は縁を結んだ存在だ。けれどもだからと言って、君の仇まで私の仇にしたわけではない。まだ。

 そう父は言って、自分の刃を私と妹を傷つけたものに向けることはできない、と言外に語りました。

 私はショックを受け、じれったくも思いましたが、父の言葉は当然でした。拾った子供のために隠居している父がわざわざ危険を冒す必然性はないのです。

 それどころか、私のために安全なところに引っ越してくれると言うのです。それ以上を望むことはできませんでした。 

 それでも私は、父に弟子入りを申し込みました。いつかこの手で妹を救い出すために、悪と戦う力を授けてほしいと。

 それには父は悩んだあと、承諾してくれました。ただ、みすみす死なすために私を鍛えるわけにはいかない、修行は厳しいものになることを覚悟してほしい、と続けました。

 私はそれに迷わず頷きました。

 それから私たちは新しい土地に移り住み、私は正式に父の養子となって、学校に通い、放課後には剣の修行をする日々を送りました。

 警察や教団の目に留まらないように、学校や街では目立たないことを父から言い聞かせられました。勉強も体育の成績も、中くらいになるように調整し、部活も帰宅部を選びました。友達は少なかったですが、両親を失ったあとの日々に比べれば、人間らしい温かみのある暮らしでした。

 妹のことは片時も忘れませんでした。厳しい修行のモチベーションは常に妹の存在でした。彼女を助けるためならば、どんな危険でも冒すと、誓って、私は木刀を振るい続けました。

 しかし、そんな日々もつい先日、終わりを迎えたのです。

 家で父と夕食を食べながらテレビを見ていたときのことです。テレビには夜の情報番組が流れていました。そこでは最近流行の歌手について特集していました。

 そこで私は、妹の姿を目にしたのです。

 新進気鋭の歌姫、というテロップの上に表示されていたのは、ステージで歌う妹の姿でした。

 私とよく似た顔、長い髪。歌姫の名にふさわしい白いドレス。

 朗々と歌うその姿は、間違いなく遠い日に別れた双子の妹のもので。

 私は食卓で箸を取り落としました。

 そして向かいに座っていた父にこう言ったのです。

 私は彼女の所属事務所に向かう。そして彼女を助け出す。

 彼女は間違いなく、私に見つけてほしくて、私にヘルプのメッセージを出すために、人前で歌うことを選んだのだと。

 だって、あんなに悲しそうに、今にも泣き出しそうな声と顔で歌っているのだから。


 そう言うと、朱音は下唇を噛んで黙り込んだ。桐生はコーヒーの最後の一口を飲むと、朱音の顔色を窺いながら聞いた。

「それには、お父さんはなんて言ったの?」

「反対されました。でも、私はいてもたってもいられなくて……剣もだいぶ上手くなったし、一人でも乗り込んでいけると説得したんです。でも、父からはそれまでにない厳しい調子で叱責されました」

「それは……そうだろね。俺もお父さんの立場なら君を止めるよ」

朱音は渋い顔をしていたが、桐生の言葉を認めたように頷いた。

「はい。父は次の日、打ち合いで私を激しく打ち負かしました。十中八九、私を諦めさせるためだったのだと思います」

「お父さんが姿を消してしまったのは、その喧嘩の結果?」

「半分は、そうですね。正確には……私の代わりに、妹を助けに行ったのだと思います」

「どうしてそう思うの?」

朱音はちらりと桐生を見ると、話を続けた。

「父の部屋が整理されていると以前お話ししましたよね。同時に彼の部屋から、彼が『戦いの仕事』で使っていた日本刀がなくなっていたんです」

日本刀を家に隠し持っていた吾妻父とは何者なのか、戦いの仕事とは何なのか、気にかかったが桐生は朱音に先を促した。桐生の視線を受け止め、朱音は低い声で言う。

「おそらく、彼は真剣で、『星の導き』に乗り込んでいきました。娘である私の代わりに」

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