第4話
悪い夢を見た。
日が落ちたのに明かりをつけない暗い家の中に、二人の男が倒れている。一人は大久保で、もう一人は父によく似た男だった。
家は見知った内装だった。無地の壁紙、四人掛けのリビングテーブル。ソファと柔らかそうなラグ。大型の液晶テレビ。それらは宵闇に沈み、本来の色と、収まるべき位置を失っている。
すべての家具はめちゃくちゃに散乱し、壊れていた。壁紙には血が飛び散り、ラグには血だまりができている。
その惨状の中心に、死体を従えるようにして一人の人物が立っている。
それは深くフードをかぶっている。空き地で出会った刺客のように、顔が見えない。
けれども桐生は、それが誰か知っている。
それはナイフを片手に、ゆっくりとフードに手をかける。
やめてくれ。
その中にあるものを暴かないでくれ。
フードがそれの背中に落ちる。
その顔を見て、桐生は絶叫する。
スマートフォンの着信音で、桐生はその悪夢から覚めた。
頭は重く、冷や汗をかき、心臓は早鐘を打っている。部屋の中はカーテンを閉め切っており暗い。隙間から覗く空も。一瞬朝か夜か判別がつかなかったが、すぐに昨夜のできごとが脳裏に蘇り、今が日没後であることを悟った。
スマートフォンは鳴動を繰り返している。桐生はけだるげにそれに手を伸ばし、画面を見た。表示されている名前を見て、すぐに応答ボタンを押す。
「もしもし、桐生です」
布団の中でスマートフォンを耳に当てると、安堵したような息が聞こえた。
「吾妻です。すみません、お休み中でしたか?」
桐生の低くざらついた声を聞いて彼女は問うたが、桐生は一度咳払いをしたあと優しく言った。
「いや、起こしてくれてすごく助かったよ」
あの悪夢から呼び覚ましてくれて。
朱音にはもちろん何のことか分からないだろう。彼女はすまなさそうに言う。
「そうですか。突然電話してすみません。最近スマートフォンを買ったばかりなので、フリック入力が苦手なんです。込み入った話になりそうなので、電話させてもらいました」
「込み入った話、というと?」
桐生は布団の中で姿勢を正し、耳を傾ける。
「学校から通達があったんです。最近殺人事件が区内で多発しているから、しばらく休校にして生徒も極力外出は控えるように、と。昨日の今日のことなので、その内の一件は大久保さんのことだと思います」
桐生は指で目をほぐして、宙を睨んだ。
「じゃあ、吾妻さんもあまり外に出ないほうがいいね」
「そうですね。身を守る術は心得ているので危険は心配していないのですが、確かに動きづらくなりました。たぶん街では先生が見回りをしていると思うので、見つかったら不良になっていまいます」
真面目くさった口調で朱音は言い、桐生は心配するところはそこなのか、と思う。
「うん。とはいえ電話だけでは伝わらないものが多いと思うし、直接会って話がしたいな。あ、決して変な意味じゃなくてね」
「分かってますよ」
思いのほか淡々と言われる。朱音は歯切れのいい声で続けた。
「そこで申し訳ないのですが、私の家の近所まで来てほしくて。寂れててこっそり話すのにちょうどいい喫茶店があるんです。お客さんはぜんぜんいないし、マスターはずっと店の奥にいるので、そこでなら内緒の話もしやすいと思います」
朱音の提案した店は二人の話をするには理想に思えた。何より桐生は寂れた店が好きだ。ブレンドと煙草の香りが漂っている店内を想像する。自然と好意的な声が出た。
「なるほど、いいね。仕事柄移動は苦ではないから、全然大丈夫だよ。お店の名前を教えてもらえるかな」
「喫茶ナギです」
桐生はスマートフォンの地図アプリを呼び出し、店名で検索をかけた。喫茶ナギ。電車と徒歩を合わせてもここから三十分もかからない。評価はほとんどついていないが、一枚だけある店内写真は桐生好みの渋い内装をしていた。
「出てきた。明日からいつでも行けるよ。いつにする?」
今朝帰宅してから仕事の予定をすべてキャンセルしたため、時間はたっぷりある。もともとコツさえつかめば誰でも書ける記事の仕事だ。桐生が抜けた穴も誰かが適当に埋めるだろう。多少の難色は示されたが、桐生の申し出は受理された。これで二度と同じところから仕事が回ってこなくなったとして、困りはしなかった。これから先、命があるのかすら怪しいのだから。
朱音と時間を示し合わせると、桐生はそれをスケジュールアプリに登録した。幾分明瞭になった声で挨拶をする。
「じゃあ、またね。何かあったら連絡して。電話でいいから」
「はい、よろしくお願いします」
少し待ってから、電話を切った。起き上がり、室内灯をつけて部屋を見回す。
ここも、整理しないといけない、と桐生は思った。
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