「全部ひらがなでいいのに何で漢字使うの?」って訊かれたら何て答える?
※ 移転載しました:
https://kakuyomu.jp/works/16817330663922262667/episodes/16818023213584349733
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こんにちは、たてごと♪ です。
元気の神様からの配達がなんか
「
解説するまでもないかもですが、たとえば「
まあ訓読みの熟語版、のような感じですね。
似て非なるもので、「
つまりは非なるものなので、熟字訓を当て字と呼ぶのは間違いで、強いて呼ぶなら「
どうも一部には、そういう混同が大好きで大好きで大好きで、違いますよと指摘されようが
決めたらば断じて曲げぬ鉄の意志(五七五)、いやあカッコいいですねえ。
ごめんなさいいきなり脱線しました(
ぶっちゃけ当て字については、
それがたとえ伝統ある
なので論じません、さよなら(
†
一方で熟字訓については、既存の漢字で表現しづらい言葉を表現したり、あるいは意味合いに味付けをするなどの、明確な機能を持つもの。
だから実にさまざまな熟字訓が、これまで生み出されてきたものです。
が、なにしろ不完全である人の子が
中には「いやいやそれってどうなのよ青春の主張!」と、思わず海へ向かって叫びたくなるようなものも、いろいろ存在するわけで。
まあ海さんも、なんか夕暮れになるといきなり「バカヤロー!」って理不尽に怒鳴られたりするらしいですし、なんとも
ごめんなさいまた脱線しました(
たとえば「うるさい」。
意味の説明は不要ですよね。
普通に書くなら「
〈五月に飛ぶハエがとにかくウルサイ〉ということなんでしょうが、この元になってる「
というか、
たとえば「うたかた」。
原義としては〈水面に浮かぶ
ただ、その熟字訓としては「
でもこの「
つまり
すると他にどういう
ガラスの
てなわけで、これを「うたかた」の熟字訓として割り当てるのは、ちょっと違うんじゃないかと考えるわけですよ。
†
ちなみその「うたかた」、熟字訓じゃない書き方ならどうなるんだ、ということなら「
どうしてそんな断定ができるのか。
ここでまず考えなきゃいけないのが、〝日本語に漢字を当てるとは、そもそもどういう事か〟ってところでして。
古代の日本「やまと」の国では、日本語の原型たる「やまとことば」でもって会話をしておりました。
ところが実は、文字という物が存在しなかったんですね。
それで、さすがに口頭だけでは伝達に難があるってことで、お隣さんから漢字を拝借して、これに「やまとことば」をわしわし割り当てていったわけですよ。
ま、知らない
実際にも、漢字の普及には数世紀かかったみたいですし。
ほか、当て字のようなスタイルの〝
要は〝訓読み〟というのは、〝「やまとことば」に意味の合致する漢字を(勝手に)割り振ったもの〟なんですね。
「書く」もまあ{かく}とは読みますけど、〔書〕を{か}と発音すべき明確な根拠って、実はどこにも無かったりするんですね。
ただ、意味的にたまたま一致するから、この字はこう読み下すという事にしましょう、と。
そんなふうに漢字の訓読みって全部、むかしの「やまとのたみ」の勝手で決まってるんですよ。
で、勝手に割り振っていいのならば。
〈水面に浮かぶ
つまり、〝意味を語れるなら、由来や成り立ちは必要ない〟という事にしてしまったほうが「都合がいい」と、
なぜなら、「
ろくに情報もない
そこを、「字義だけですべてを判断する」という建前にしてしまえば、特に調べ物などせずとも漢和辞典ひとつ有るだけで、「日本語が読み書き自在になる」。
めっちゃでかいメリットだと思うんですよね、これ。
そういうわけで、よく質問サイトなんかで〝この
なんかこれ、「つまんないこと言うなあ」って思います。
だって意味の合致する漢字を、新たに当ててやったほうが、表現がより明確で豊かになるはずじゃないですか。
〝「訓読み」の生成作業について終了宣言は、まだ出されていませんよ〟。
まあそんな宣言を、
†
「やまとことば」について、もうひとつ。
なんか妙に長い訓読みのある漢字、というのが一定数、存在します。
たとえば「
まあ後ろ二つは冗談としても、こういった長い読みの漢字は、もっと小さい単位の漢字に
◦ 「
◦ 「
◦ 「
◦ 「
◦ 「
みたいな感じですね。
さて、じゃあ何でわざわざ、一字にそんなギュウギュウ詰め込むような真似を、かつての人たちはしたのか。
答えは簡単、「やまとことば」がそもそも、ボキャブラリーのおそろしく貧弱な言語だったから。
だから、とりあえず漢字を輸入してみたはいいけれど、ジャストフィットな「やまとことば」が無い。
じゃあ複数を組み合わせて、字義に合うような複合語を作ってしまおう、と。
そんな流れが、想像されるところですね。
まあそういった複合語も、漢字の輸入より前から当然あったんでしょうけど、漢字を契機に作られた語も多いんじゃないでしょうかね。
そんな感じの割り当て作業のお
たとえば「あきらか」という
【あきらか】
〖
〖
〖
〖
〖
〖
〖
と、
探せばもっと有るかと思います。
「やまとことば」にボキャブラリーが少ないからこそ、こういう事になる。
それは逆に言えば、少なくとも漢語では明確に区別されてるような概念が、「やまとことば」では
なんかそういう所を見てしまうと、どうも〝こまけぇこたぁいいんだよ!〟のような、「大らかさ」? 「いい加減さ」?
あとついでに〝全部語らせなくても空気で察しろよ〟みたいな、「同調圧力的な民族性」?
そんなようなものが感じられる気がするんですけど、気のせいでしょうかねえ。
†
あとこれは熟字訓じゃあなくて、当て字の
たとえば「かりそめ」。
〈その場かぎりの〉〈間に合わせの〉〈虚構の〉のような意味で使われる
これも一般に「
そもそも仮と
たとえば樹木のように「
で、「かりそめ」は「虚構」とも
つまり「仮」では全然ないわけですね。
「
強いて書くなら「
ちなみに、ただ
これ、そもそも正しくは「
あるいは〝
……〝
実際のところ「
でもそれは説明したとおり、こちらのお国事情的にごっちゃになってるだけでして。
一方で、そこに漢字が複数あったなら、区別すべき概念だからこそ複数の字になってるやつなんですよ。
「やまとことば」のほうで同源だとか何とか、そんな事情なんて〈仮:借〉〈初:染〉という漢字を混同していい理由には、まったくならないんですね。
漢字って個々の字義がはっきりしてるので、ちゃんと区別してないと
ああ、当て字については論じない、と言ったな。
あれは
†
さて、掲題の質問。
これってまあ子供や、日本語勉強中の外国人がよく口にするやつですけども。
回答するとしたなら、〝「やまとことば」がボキャ
特に英語圏の人、「やまとことば」だけを見たら、開いた口が
ヤヴァイです「やまとことば」。
まとめると、
◦ 「やまとことば」には、決まった文字がそもそも無い
◦ 〝訓読み〟とは、漢字に「やまとことば」を適当に割り当てたもの
◦ 〝熟字訓〟は、熟語を対象とする以外は〝訓読み〟とまったく同じもの
◦ その割り当ては、「
◦ 字義相応かという点以外で、漢字選びの正否を判定しようとすると面倒多発
◦ 漢字はきっちり区別してかないと、意味崩壊
◦ 当て字は遊びの
ってな感じですね。
書きたいことだけわーっと書いてしまったので、いまいち
守るべき物、
†
あと余談ですけど、当て字遊びって、〝元気の国のお兄さんたち()〟が大好きなやつですよね。
ほらその、「
「
そんな感じのアレです。
ただ冷静に考えると、自分に関わりのないワードに対して、そういう遊びってあんまりやらなくないですか?
とすると、そこで選ばれてるワードって、彼らにとって密接な言葉、必要な言葉、っていう事になると思うんですけども。
じゃあ彼らが、そういう言葉を重視するのはなぜ?
いや、なんかこれ、深読みするといろいろ
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