第3話 記憶の無い男3
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佐藤イブリースはとにかく闊達な少女であった。
見た目は完璧な金髪碧眼の外国人美少女なのだが、日本語が異様に上手い。
聞けば、十二歳ぐらいまでは日本に住んでいたそうだ。
それが、親の都合でルーマニアに引っ越し。
中学時代と高校時代の一部をルーマニアで過ごし、この度、親の都合で再度日本に戻って来たのだと言う。
ならば、ルーマニア語がペラペラかというとそうでもないらしい。
「ブカレストには日本人学校があるから、ルーマニア語はそんなに……。ちょっとだけ日常会話が出来るぐらい……?」
集っている女子たちに向けて、その日常のルーマニア語とやらを披露するイブリース。分かっているのかいないのか、女子たちは何やらきゃっきゃと歓声を上げている。
以上、俺の隣に集った女子たちの会話から読み取ったイブリースの情報である。
見た目からして目立つ彼女は一躍クラスの人気者となっていた。
クラスどころか、その姿を見に他のクラスの男子生徒たちもちょいちょい来ているので、学校一の人気者になる日も近いのかもしれない。
そんな人気者であるからして、休み時間ともなると彼女の席に黒山の人だかりが出来上がる。
そして、席が隣の俺は迷惑を被るのである。
俺の机は女子の椅子として接収され、俺は少し離れたところで椅子に座ってスマホで調べ物だ。
「ご、ゴメンね、丹生くん?」
「いいよ、いいよ、どうせ丹生だし」
「鈍い丹生だしね」
迷惑を掛けているのは周りの女子たちなのだが、何故かイブリースが謝る。
騒ぎの元凶になっている自覚はあるらしい。
「いや、別に」
俺はスマホ画面から目を逸らさすにそう答えた。
いけない。
イブリースに視線を送ってはいけない。
何故だか分からないが、俺の中の暗い感情はイブリースを好んでいるらしい。彼女を痛め付けたい、殺したいという欲望が際限なく湧いてくるのが分かる。
だからこそ、俺はイブリースを直視出来ない。
直視していたのなら、俺は理性を忘れて、その殺人衝動に身を任せていただろうから。
(無理をしているからか。脳がキリキリと痛む……)
キリキリ、キリキリと、まるで凧糸で縛られていくかのように脳が悲鳴を上げている。その痛みが顔に出て、俺の眉間には深い皺が出来上がっていた。
(こんな調子では上杉景勝になる日も近いのかもしれない)
そんな馬鹿な事を考えていたら……見つけた。ネットニュースに昨晩の殺人事件の記事が載っていた。
(深夜未明に北区の自然公園で身元不明の死体が複数……)
心臓が小さく跳ねる。夢の中の記憶と幾つかの符号点。
血液がゆっくりと重力に引かれて下がっていくかのような、視野が狭まるような感覚を覚える。
俺は目の前が暗くなる思いを抱きながらも、静かにスマホの画面をオフにしていた。
事件現場は繁華街より少し遠い自然公園の中で起きたらしい。その公園には何度か行った事があるが、深夜に出向いた記憶はない。
あの夢の中の景色が、その公園の景色のものなのかはイマイチ確証が持てないが……。条件は幾つか……いや、ほとんどが合致しているのではないだろうか。
(俺がやったのか?)
口にこそ出さないが、苦い顔をして腕を組む。
(どうする? 行ってみるか、殺人現場に?)
場所としてはそこまで遠く無い。
行こうと思えば行ける距離だ。
だが、行ってどうする?
行った事で自分が犯人であるという確証を得るのか?
そのまま警察署に出頭するのか?
……無理だ。
俺がやったという記憶すら無いのに、人生を棒に振るような選択肢を選べるわけがない。
捕まるのは……嫌だ。
だからといって、このまま悶々とした思いを抱いて生きるのか? 自分が本当に殺人鬼なのか、そうでないのか、ずっと思い悩み続けながら生きていくのか? そんな強い心の持ち主か、俺が?
それも……無理だ。
嗚呼、くそ、無理だ。無理だ。
どれも俺には不可能な選択肢だ。
今でさえ、イブリースを襲わないように気を張っているというのに、これ以上の心労を掛けられて俺が耐えられるわけがない。
ギリギリと脳の奥が締め付けられていく感覚がある。痛みが刃であったのならば、俺の脳は今頃サイコロステーキのように切断されていた事だろう。
頭が、痛い。
「――ね? 丹生くん?」
「え?」
考え事をしていたからか、俺は声を掛けられた相手に気付いていなかった。思わず顔を上げ、視線を向け、その相手がイブリースであると認識した瞬間に、思わず体中に血が巡る。結果として……。
「うわっ、丹生くん、鼻血出てるよ!」
「イブっち見て鼻血出すとか何考えてたんだよ、丹生!」
「むっつり丹生だね! むっつり丹生!」
ち、違う……!
いや、こんな状態では説得力がないか。
俺は今日という日を呪い殺さんばかりに恨みながら、ハンカチで鼻を押さえながら立ち上がる。
「保健室に行ってくる……」
こういう所で言い訳をしないと後で変な噂が立つかもしれないが、鼻声の状態ではどう転んでも笑われる未来しか見えない。
俺は諦めた表情のままに、歩き出そうとして――。
「あ、だったら、私にも保健室の場所を教えてくれないかな?」
そう言って、イブリースも席を立ち上がったのだった。
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