第15話

 ――――アロード公爵領の主都、メリス。

 人の通りが激しく、王都にも近い非常に栄えた街である。

 ここを治めるイスタ・アロード公爵は、非常に優れた手腕で街を発展させるだけでなく、人格者としても有名だった。

 そんな彼は、今日も執務室で領地に関する書類に追われていた。


「……王都で闇ギルドの抗争か」


 その中には王都に関する情報も含まれており、現在繰り広げられている闇ギルド間の抗争についても書かれていた。

 他の書類に関しては特に何かを感じることもない彼だったが、闇ギルドについてだけは見過ごすことができなかった。


「……」


 自然と手に力が入るイスタ。

 報告書を読んでいく彼の表情は、怒りで染まっていた。

 ここまで彼が感情的になるのには、大きな理由がある。

 それはかつて、王都に家族で訪れた際、とある貴族の策略により、愛娘を誘拐されたのだ。

 幸い、大事無く娘を救出することができたものの、連れ去られた恐怖から、心に傷を負ってしまった。

 まだ未婚の女性だったこともあり、世間では様々な噂が飛び回り、さらに娘の心を追い詰めた。

 その結果、イスタの娘は家から出てくることはなくなった。

 当然、イスタは公爵家の力を総動員して、実行犯の闇ギルドと裏で手を引いていた貴族を叩き潰した。

 しかし、相手の闇ギルドもある程度勢力が大きかったため、何名か取り逃がしてしまったのである。


「……クソッ」


 報告書をぐしゃぐしゃに丸めたイスタは、それを床に叩きつけた。

 王都での抗争は、イスタにとって他人事ではない。

 闇ギルドという存在が許せないのもあるが、敗れた闇ギルドの構成員が、王都から近いこのメリスに流れてくる可能性もあるのだ。

 現在はイスタの方針として、徹底的に闇ギルドの排除に動いてはいるものの、大量に流れ込んでくればどうなるか分からない。

 本当ならば、他の貴族たちも率先して闇ギルドを取り締まる必要があったものの、昔から貴族と闇ギルドの関係は深く、形だけの撲滅を謳いながら、決して排除することはなかった。

 何としてでも闇ギルドの流入は阻止しなければ……。

 どう立ち回るべきか考えていると、不意に扉がノックされた。


「ん。入れ」


 すると、イスタの腹心であり、昔から仕えている執事のドリスがやって来た。

 ただ、こうしてドリスが訪れる際は、何か重要な出来事だったり、緊急の場合が多かった。

 そのため、イスタは居住まいを正す。


「どうした、何か起きたのか?」

「旦那様。それが……」


 珍しく言いよどむドリスに、イスタが首を捻っていると、ドリスは一枚の報告書を提出した。


「こちらの件なのですが……」

「ん? これは……レストラルからか」


 それはアロード公爵領の一部、レストラルに関するものだった。

 レストラルはここ数年で始まった陽ノ国との貿易により、急成長を遂げている街で、他の領地に比べ、慎重に対応する必要があった。


「なっ……!?」


 受け取った報告書に目を通したイスタは、目を見開くと立ち上がった。


「ブラッドラットのアサシン部隊だと!? しかも捕縛した!?」

「そうです……」


 これこそがドリスが困惑していた理由だった。

 まず、イスタの方針により、元々闇ギルドの活動が極端に少ないこの領地で、闇ギルドの構成員を見るのですら珍しい。

 だからこそ、イスタが管理する街の一つで、闇ギルドの構成員が見つかっただけでも問題だった。

 しかし、それだけではドリスが報告に来ることはない。

 今回、ドリスが訪れたわけは、その見つかった闇ギルドの構成員が、ブラッドラットのアサシン部隊だったことが大きな要因だったのだ。


「ブラッドラットと言えば……今ちょうど王都で抗争中の組織じゃないか! しかもそこのアサシン部隊と言えば……奴らの切り札と言ってもいい」

「ええ。全体的な組織としての戦力はともかく、奴らのアサシン部隊は非常に優秀ですから」


 ブラッドラット自体は闇ギルドの中でも中堅規模の組織だったが、抱えているアサシン部隊が非常に優秀であり、中々足をつかめないことで有名だった。

 特に情報収集の能力にも長け、まさにネズミのようにすばしっこく、あらゆる場所で目を光らせている。

 そのため、捕獲するのも難しく、逃げ足が圧倒的に早かった。

 そんな男たちが、レストラルで捕まったというのだ。とても信じられない。


「これは本当なのか?」

「分かりません……しかし、ブラッドラットの証である刺青は確認されたようです。アサシン部隊かは分かりませんが、ブラッドラットの一員であることは間違いなさそうです」

「ううむ……」


 ドリス含め、困惑するのは仕方がない。

 しかし、イスタはすぐに決断を下す。


「レストラルに向かう」

「かしこまりました」


 たとえブラッドラットのアサシン部隊でなかったとしても、イスタの治める領地に現れたのは間違いない。

 それに、最近は闇ギルドの構成員が領地内で見つかることもなく、現在王都で抗争中の組織となれば、イスタの知らぬところで何かが起きている可能性もあった。

 だからこそ、見過ごすわけにはいかない。

 イスタは残りの仕事を素早く終えると、準備を整え、レストラルへと向かうのだった。


***


「それでは、よろしくお願いいたします」

「ああ」


 俺――刀真は、いつもの衛兵の訓練に顔を出すと、とあるお願いをしていた。

 それは、俺も訓練に混ぜてほしいというものだ。

 この街に来てから、体の鍛錬や型の修練こそ行っているが、走り込みなどはあまり満足に行えていない。

 そこで衛兵の訓練に参加することで、王国剣術を学びつつ、鍛錬も行えるというわけだ。

 すると、最近仲良くなった隊長のレナードさんが、呆れたように言う。


「それにしても……刀真はますます変わっているな。特訓に参加したいとは……」

「体を動かせるいい機会ですから」

「……そんな風に考えられるヤツの方が少ないよ。特にお前は、俺たちの訓練を見学したうえでの申し込みだ。正直、正気とは思えんがな」

「あ、あはは」


 正気を疑われてるとは思わなかった。

 まあレナードさんの言う通り、訓練を見学していれば、その大変さは目に見えて分かる。そのうえで参加したいと言ってるのだから……正気を疑われるのも仕方がないのか。

 とはいえ、俺も自分を磨ける機会があれば、積極的に参加したい。

 それはこの間のリーズとのやり取りも関係していた。


「リーズとパーティーを組むことになったので、少しでも足を引っ張らないよう、努力したいんですよ」

「それもいまだに驚いているよ。まさか、彼女がパーティーを組むとはなぁ……A級とD級じゃ大きな差だとは思うが……まあ努力することは悪いことじゃないな」


 そう……今の俺とリーズでは、階級に差があり過ぎるのだ。

 当然、リーズが俺とパーティーを組むとギルドに報告すると、ギルド内はちょっとした騒動となった。

 というのも、今までリーズは誰ともパーティーを組まないことで有名だったらしい。

 だが、リーズが押し切る形で、俺とのパーティーが受理されたわけである。

 ちなみにパーティーについてだが、少数の部隊のようなものだと教えてもらえた。

 ……まさか、パーティーを組むのにも報告が必要だとは思わなかったな。まあギルドとしては、基本的に自由な冒険者でも、管理できるところは管理しておきたいのだろう。特にリーズはA級冒険者で、ギルドやこの街にとっては大きな戦力だろうしな。

 それに、これからも行動を共にしていくわけだが、早く金銭面で自立できるようになる必要がある。残念ながら、まだリーズの世話になりっぱなしなのだ。多少は稼げたものの、まだまだ足りない。

 王都に向かう話もしたが、ブレタン侯爵がどう動くか分からないので、こちらも何とも言えなかった。

 ただ、これから先もブレタン侯爵を意識し続けるのも難しいだろう。

 ならば王都に飛び出してみるのも一つの手かもしれない。何より、王都はこの国を治める王のお膝元。ブレタン侯爵とはいえ、迂闊に動けないだろう。

 ひとまず急ぎではないので、もうしばらくこの街で活動を続けることが決まったわけだ。

 そんなことを考えていると、レナードさんが他の兵士たちに指示を出す。

 その指示の内容は、訓練用の鎧の装着についてだった。この鎧を着た状態で、レストラルの外周を一周するのである。

 初めて鎧というものを装着するため、他の衛兵さんに手伝ってもらいながら、何とか装着できた。

 すると、そんな俺を見て、レナードさんが何とも言えない表情を浮かべる。


「その……なんというか、あまり似合わないな」

「そうですか」


 別に見た目は気にしていないので、特に何とも思わなかったが、陽ノ国人がアールスト王国の鎧を着ると、珍妙な見た目になった。

 それよりも、この鎧、装着してみて思ったが、中々の重さだ。

 しかも、他の衛兵たちを観察したところ、魔力や闘気による強化はしておらず、素の状態で装着したまま走るのだろう。


「とはいえ、見た目以上に力はあるみたいだな。普通の者ならその鎧を装着しただけで疲れるのだが……」

「今のところは大丈夫そうです」

「そうか。ならば……総員、用意!」


 レナードさんの掛け声に従い、俺も他の衛兵に混ざり、開始地点に移る。

 そこで待機していると、ついにレナードさんから合図が出た。


「開始ッ!」

「――――!」


 俺は合図と同時に、全力で駆け出す。

 すると、背後でレナードさんたちが驚いているのを感じた。


「なっ!?」

「は、早ッ!」

「そ、そんなに飛ばしたらもたねぇぞ!?」


 後ろで色々言われていたが、すっかり彼らとの距離が離れ、声は聞こえなくなった。

 それにしても……確かにこれは疲れるな。

 この鎧だけでも中々の重さだが、これを装着した状態で走り込みを続けるとは……街を守る兵士は素晴らしい。

 思えば、昔から続けてきた走り込みも、すっかり習慣化してしまった。

 極魔島では、強力な妖魔たちから逃げ切るため、自然と逃げ足と体力が身に着いたものだ。

 だがそのおかげで、こうして気持ちよく走れるだけの力を手に入れたわけだ。

 早朝だからこその涼しい風が、徐々に熱くなる俺の体を冷やしていく。

 清々しい気分のまま駆け抜けていると、いつの間にか港にまでたどり着いていた。これで半分走ったことになる。

 港に泊まる船に目を向けると、朝早くから活動する漁師さんの姿があった。

 よく見れば、獲れたての魚が木箱に詰められている。

 うーむ……魚が食いたくなったな。朝食が魚でなければ、昼に食べよう。

 こうして新鮮な気持ちのまま、街の外を走り続けていると、気づけば元の開始地点まで帰って来た。

 すると、帰って来る俺の姿を見たレナードさんが、唖然と俺を見つめている。


「ふぅ……やはり早朝の走り込みはいいですね」

「……」

「? レナードさん?」

「はっ!? そ、そうだな! 早朝の走り込みは素晴らしいな! は、ははは!」


 乾いた笑みを浮かべるレナードさん。

 ……俺の走る速度が異常なのは理解している。

 極魔島で鍛えたからという部分も大きいが、それ以外に覇天拳の足運びも大きく関係していた。

 師匠が薬師であり、人体の構造について非常に詳しかったため、どう動かせば効率的に力を伝え、さらに疲れにくいかを知っているからこそ、この速度で走り切ることができたのである。

 こればかりは覇天拳と師匠の知識がなければ難しいだろう。

 しばらく他の衛兵がたが戻って来るのを待っていると、一刻経ったころに一人目の衛兵が戻って来た。

 その衛兵は戻って来るや否や、その場に倒れ伏す。


「し、死ぬ……」


 それに続き、次々と衛兵たちが帰ってきたが、誰も彼もが力尽き、辺りは死屍累々といった様相だった。

 ……これは申し訳ないことをしたな。

 普段の彼らであれば、自分なりの調子で走り切ることができたのだろうが、俺が参加したことにより、その調子が崩れてしまったのだろう。

 こうなってしまうと、もはや訓練どころではないな。

 俺はレナードさんに視線を向けると、頭を下げる。


「……申し訳ありません」

「いや、いいんだ。これも一つの経験だろう。ただ、この後予定していた剣術の訓練は後日になるが……」

「大丈夫です。本当にありがとうございます」


 最初に邪魔するなと言われていたのに、結果的に邪魔してしまった。本当に申し訳ない。

 もう来るなと言われてもおかしくなかったが、レナードさんは受け入れてくれた。

 すると、落ち込む俺を見て、レナードさんが苦笑いを浮かべる。


「そう気にするな。訓練とは、自分の限界を見極め、適切な力加減で行うものだ。その点、先ほどの走り込みは君にとって最適な速度だったのだろう。むしろ、アイツらに合わせてしまえば、それは訓練じゃなくなる。だからあまり気にするな」


 そう言ってもらえ、本当にありがたかった。


「ただ、この様子を見ると……明日の訓練が恐ろしいな」


 レナードさんの言葉に安心していた俺は、最後の呟きを聞き逃してしまうのだった。

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