第13話
「クソッ! アイツら、しくじりやがって……!」
――――アールスト王国のどこか。
薄暗い部屋で一人の男が声を荒げていた。
逆立った赤髪に、鋭い瞳。
筋肉質な体には無数の傷があることから、この男が様々な修羅場を潜り抜けていることがうかがえる。
そんな男の腕には、赤いネズミの刺青が。
この人物こそが、闇ギルド――『ブラッドラット』を率いるヴァンだった。
「このままブレタン侯爵の援助が切られたら……クソッたれ!」
ブラッドラットはブレタン侯爵からの依頼を受け、リーズの身柄を確保するか、確実に始末するように言われていた。
そのための下準備はしっかりと整え、魔術師であるリーズの魔法すら封じる手段も投じたことで、失敗するほうが難しいほどだった。
これらすべての援助がブレタン侯爵からのものであり、長年ブレタン侯爵の手足として、様々な表に出せない仕事を請け負ってきたからこその関係である。
しかし、リーズはレストラルの街まで生還してしまった。
部下から聞いていた話では、確実に死んだと言われていたのに。
その事実を知ったブレタン侯爵は激しく怒った。
「他の闇ギルド連中が邪魔さえしなければ……」
今回、リーズの始末に向かったのは、ブラッドラットの中でも下っ端の連中ばかりだった。
これには理由があり、最近はアールスト王国内で闇ギルド間の抗争が激しく繰り広げられていたのだ。
そのため、手練れの幹部たちは抗争のために駆り出され、人手が足りない状況下でのブレタン侯爵からの依頼だった。
本来ならば抗争に力を入れるべきところだったが、長年付き合いのあるブレタン侯爵からの依頼とあって、断るわけにはいかない。
それに、依頼さえ完遂できれば、今回の抗争でブレタン侯爵から支援を受けられることを約束していたため、結果的に闇ギルドの抗争で有利に働くはずだった。
だからこそ、何とか動かせる人員を捻りだした結果、下っ端たちに任せることになった。
正直、不安がなかったわけではない。
とはいえ、これでもかと言わんばかりにお膳立てした状態であれば、下っ端であってもやり遂げられると考えたからである。
その上、一人だけそれなりの地位のヤツも付けていた。これで下っ端がミスしても、対処可能だろう。
そう、思っていたのだが――――。
「おい! あの間抜けを連れてこい!」
ヴァンがそう指示を出すと、ほどなくして一人の男が引きずり出される。
それはまさに、リーズを追い詰めた連中のリーダー格の男だった。
リーダー格の男は、ボロボロの状態でヴァンの前に投げ出されると、震えながら懇願する。
「ぼ、ボス! どうか……どうか許してください……!」
「うるせぇよ」
だが、ヴァンは一切の容赦もなく、男の頭を踏みぬいた。
それだけで男の頭蓋は簡単に潰れ、床に血が広がる。
そして、自身の短気さで人員を減らしてしまったことに、さらに怒り狂った。
「あああああああああああああっ! クソがッ!!」
完全な八つ当たりでありながら、ヴァンは男の遺体を何度も蹴りつけた。
少しして落ち着くと、ヴァンは再び指示を出す。
「おい! アサシン部隊を連れてこい!」
指示を出してからしばらくすると、黒ずくめの男たちが部屋にやって来た。
すると、その中の一人が床に転がる男に一瞬視線を向け、口を開く。
「ボス、一体何用です?」
「仕事だ。そこの馬鹿がしくじりやがった。レストラルにいるリーズ・エレメンティアを必ず連れてこい!」
「しかし……我々が抜けても大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃねぇよ、クソが。だが、ここで挽回しねぇとさらに不味いことになるんだよ……!」
ヴァンが考える最悪のシナリオは、ブレタン侯爵がブラッドラットを切り捨て、現在抗争中の他の闇ギルドと手を結ぶことだった。
そうなってしまえば、ブラッドラットに抗う術はない。
「いいか、必ず連れてこい! 分かったな!?」
『ハッ』
一斉に返事をすると、黒ずくめの男たちは闇に溶けるように消えていく。
男たちはブラッドラットの中でも精鋭揃いであり、切り札的存在だった。
しかし、ここで使わなければ詰む未来がヴァンには見えていたため、アサシン部隊を出動させたのである。
そんな彼らを見届けると、ヴァンは空中を睨みつけた。
「……どうして戻ってこれたのか知らねぇが、ひとまずこれで安心だな。あとは俺がどうにか……」
その後、ヴァンはアサシン部隊が抜けた穴を埋めるべく、奔走するのだった。
***
――――レストラルの街に着いてから数日。
俺……刀真はギルドの依頼をこなしつつ、平穏な日々を過ごしていた。
リーズの手が空いてるときは、文字も習いつつ、この街やアールスト王国についても教えてもらっている。
そんな中で、いくつか変わったことがあった。
その一つが俺のギルドでの階級だ。
登録当初はE級だったわけだが、この数日、毎日薬草採取や街の清掃の依頼をこなしていると、自然とD級に上がった。
これはリリーさんからの説明でも言われていたし、実際にD級の依頼を見ても思ったことだが、ここからが冒険者として本格的に動き始めると言ったところだろう。
ただ、一つ分からないのが、薬草採取で指定されていた薬草だ。
この依頼で採取してきた薬草は、回復薬に使われるらしい。
ただ、採取対象は『ハムサ草』と呼ばれるもので、葉が五枚に枝分かれしている特徴的なものだったが、これを使う回復薬を俺は知らない。
ちなみに師匠との修行では、覇天拳のほかに人体の構造や、薬学も学んでいた。
というのも、師匠は拳士として以外に、薬師としての一面もあったらしく、その知識も俺に教えてくれたのである。
そんなわけで、俺もある程度薬について知識があったが、どれも師匠から学んだものばかりなので、絶対とは言い切れない。ただ、亜神となり、拳術と薬学などを極めた師匠の知識が間違ってるとも思えなかった。
とはいえ、依頼内容に口出すのもおかしな話なので、特に気にすることなく提出している。そのうちこのアールスト王国での回復薬の調薬法を見ることができればいいな。
また、前回見学させてもらった衛兵の訓練だが、こちらも毎日通い続け、今では顔見知りになった。
街中で衛兵の方に会うと、挨拶されることも多い。
こうして順調な毎日を過ごしていたわけだが、今日、ついにブレタン侯爵側の動きがあった――――。
***
「ん……」
夜中。
俺はこの宿に近づく人の気配を察知し、目が覚めた。
ただ、普通の人の気配であれば、ここまで気にする必要もなかっただろう。
しかし、この気配の主たちはまっすぐリーズの部屋の位置まで向かっており、その上、気配も巧みに隠していた。
「友好的……という感じでもなさそうだ」
一人ではなく、複数人。
気配を消し、リーズの部屋に忍び寄る。
どう考えてもブレタン侯爵とやらの刺客だろう。
隣の部屋のリーズの気配を探るが、この状況に気づいていないようで、安らかに眠っている。
となれば、俺がやることは決まっていた。
「さて……行くか」
俺は宿の窓を開けると、そこから周囲に溶け込むように気配を散らした。
そして、近づいてくる集団の方へ向かうと、そこにはいかにも裏稼業の人間だと言わんばかりに、顔を隠した男たち五人が集まっていた。
「この先にリーズ・エレメンティアがいる。窓から三人、扉の前二人。必ず封魔玉を使用してから突入だ。扉側では気配を消して待ち伏せておけ」
「そういえば、その目標をこの地まで運んだ人間はどうする?」
「確か、妙な陽ノ国人の男と入国したと情報が入った。同じ宿の、隣の部屋だ」
「それじゃあ少しでも気配を感じたら、動く可能性があるな……」
「それを抑えるための扉側だ。その男は殺しても構わん。ただし、目標は生きたままの確保が絶対だ」
「了解」
どうやら俺は、消されるようだ。
とはいえ、黙ってそれを受け入れるつもりは毛頭ない。
そっと一人の男の背後に降り立つと、指に魔力を集め、意識の終点が集まる首を突いた。
「かっ……!?」
「なっ!?」
一瞬にして意識を刈り取られ、倒れる男。
突然仲間が倒れたことで、男たちは動揺したものの、そこは本職、すぐに戦闘態勢に入った。
「戦闘準備! クソッ、どこのどいつだ!?」
お互いに背中を預け合い、必死に気配を探っているが……それじゃあ俺は、見つけられない。
再び別の男の傍まで移動すると、同じように意識の終点を突き、倒した。
「馬鹿な!? ……まさか、狙撃手が!?」
見当違いな推測を立てる男たちは、慌てて建物の上を探り始めるが、そんなことをすれば、ますます隙が大きくなるだけだ。
俺はこの隙を逃さず、残りの三人を同時に意識を刈り取った。
崩れ落ちる男たちを前に、俺は息を吐きだす。
「ふぅ……何とか気づかれる前に倒せたな」
恐らくブレタン侯爵の手の者だと思うが、一応確認しておくか。
俺は男たちの持ち物などを探ると、妙な水晶と、暗殺道具が出てきた。
特にこの水晶、魔力の動きを阻害する働きがあるらしく、これを発動されれば魔法を使う者からすれば致命的だろう。
幸い俺は、戦闘で魔法を使わないため、あまり意味はない。
だが、効果自体はかなり強力で、慣れてなければ体内の魔力にも影響を及ぼし、魔力の循環すら阻害されるだろう。
回収してもいいが、現状使うつもりもなく、誰かに悪用されるのも嫌なので、水晶をその場で破壊する。
こうして所持品などを調べていると、男たちの胸元に赤いネズミの刺青があることに気づいた。
「これは……前にリーズが言っていた、ブラッドラットの証か」
俺と出会う前もブレタン侯爵がブラッドラットを使い、リーズを襲った。
そして、今回のブラッドラットによる襲撃。
まあ十中八九、ブレタン侯爵の仕業だろう。
とはいえ、何か証拠となるような品があればよかったが、そういったものはなかった。
「しかし……凶手の身元が分かるような印があるのはどうなんだ……?」
こういう裏社会に生きる者たちは、衛兵のような者から追われることが多い。
その際、捕まってしまえば、尋問や拷問で情報を得ようとしてくるのは考えるまでもない。
だというのに、こうして身元が分かるような証拠があると、どこの組織による犯行かすぐに暴かれる。
「まあ俺には分からない、闇ギルド特有の理由があるのかもしれないな」
考えてみれば、陽ノ国の凶手についてもそこまで詳しくはない。これに関しては師匠から話を聞いたこともないしな。
「それはともかく、こいつらをどうしたものか……」
このまま消せば、また一時の安寧は得ることができるだろう。
しかし、いつまで経っても手下が戻らなければ、相手もさらに本腰を入れて介入してくる可能性が高い。
一番いいのはブレタン侯爵やブラッドラットを直接潰すこと。
しかし、相手の本拠地も分からないうえに、そんなことはとてもできない。相手戦力も分からないため、師匠のようなとんでもない強者が待ち受けている可能性だってある。
ならば……。
俺は素早く男たちを縛り上げると、衛兵の詰所まで運び、詰所前に転がした。
一目で身柄が分かるよう、刺青も見えるようにしてある。
そして、俺は気配を消したまま、詰所の扉を叩いた。
すると、中から見知った衛兵が姿を現す。
「なんだぁ……? って、なんじゃこりゃあ!?」
兵士の一人が声を上げると、異変に気付いた他の兵士たちが次々と中から現れ、縛られた男たちを前に目を見開いた。
「こ、コイツらは一体……」
「ちょっと待て! このマーク……ブラッドラットのものじゃねぇか!」
「何!?」
途端に騒がしくなる詰所。
男たちの身柄を回収する様子を見届けると、俺は宿まで戻る。
そして、何事もなかったかのように布団に入った。
最初はこのベッドにも驚いたが、寝てみると案外心地いい。
「さてと……これで権力者が動けばいいが……」
俺の目的は、この街を管理している権力者。
リーズから簡単にこの街の説明を受けた時、ここを治めている領主が公爵という、ブレタン侯爵より上位の貴族であることを知っていた。
そして、闇ギルドは基本的に見つけ次第討伐というのが基本らしく、この街は比較的闇ギルドの影響が少ないらしい。
そんな街で、闇ギルドの暗殺者が何人も見つかったとなれば、多少は話題になるだろう。あの身のこなしから考えても、組織内ではそれなりの立場である可能性が高い。
しかも、俺は姿を見せず、相手に渡しただけ。
これでより相手からすれば謎めいた状況となり、調べる必要が出てくるはずだ。まあ希望的観測だがな。
ただ公爵が調査に乗り出せば、ブレタン侯爵も公爵が動いてる中、迂闊に手を出してくるとは考えにくい。
「……まあ、そう簡単に済むとは思わないが……やらないよりマシだろう」
幸い、この街やその周辺を治める公爵は人格者らしく、だからこそリーズもこの街で活動していたらしい。
そのため、ブレタン侯爵と公爵が繋がっている可能性はほぼなさそうだ。というより、派閥的には敵対していると。
そこらへんの国のいざこざは俺には分からないが、リーズが安全に過ごせるならそれでいい。
ひとまず襲撃を防いだことで、俺は再度眠りにつくのだった。
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