第8話

 俺はリーズと名乗った女性の言葉に、首を傾げた。

 ――――最初、目を覚ました彼女は警戒した様子を見せ、俺に何かを訴えていたが、その言葉が俺には分からなかった。

 すると、彼女は腰につけられた鞄から、一つの指輪を取り出し、俺に投げ渡してくる。

 サッと魔力と闘気で指輪を確認すると、その指輪には特に悪いものは含まれておらず、何かを補助する働きがあることが分かった。

 なので、リーズが指輪を付けるように促され、すぐにつけたところ、不思議なことに彼女の言葉が理解できるようになった。

 そこからここがどこで、俺が誰なのか話し、リーズのことも聞いたのだが……。

 アールスト王国も、冒険者という言葉も、聞いたことがなかった。

 恐らく師匠から聞いていた、大陸の人間なのだろうが……一つ疑問がある。

 それは、彼女は陽ノ国のことを知ってることだ。

 なんせ、護堂家のことや、極魔島のことを知っているのだ。噂で聞いた程度の知識ではありえない。


「申し訳ないが、俺はアールスト王国というものや、冒険者という単語にも聞き覚えがない。しかし、リーズは陽ノ国を知ってると……」


 すると、リーズは恐る恐る訊いてきた。


「その……指輪も知らなかったようだけど……この場所に何時からいるの?」

「この島にはかれこれ十年ほどいるな」

「十年!?」


 改めて自分で口に出して思ったが、かなり長いことここで過ごしたものだ。

 思わず感傷に浸っていると、リーズは納得したように頷いた。


「なるほどね……それなら知らなくても無理ないわ……」

「ん? どういう意味だ?」

「ここ数年の間に、貴方の住む陽ノ国と、私の住むアールスト王国は交易を始めたの。だから、今の陽ノ国には結構私みたいな人間が訪れているわ」

「何と……」


 俺が知らない間に、そんなことになっているとは……。

 それならば、今の陽ノ国はリーズのような者たちが多く歩いているのだろうか?

 ひとまず新たな情報を得たところで、俺はリーズに訊ねる。


「それで、リーズはどうするんだ?」

「え?」

「何があったのかは分からないが、ここに来たのは予定外だろう? 陽ノ国か、アールスト王国に帰るのか?」

「あ……できるならそうしたいけど……っ!」

「おっと」


 すると、リーズは不意によろめいた。

 すぐに体を支え、俺は彼女の気の流れを確かめる。


「……傷はないが、疲労がすごいな。少し待っててもらえるか?」

「え?」

「すぐ戻る」


 俺はそっとリーズを座らせるながら、目に魔力と闘気を集中させ、森を眺める。

 そして目的の獲物を見つけると、今度は足に魔力と闘気を集め、獲物の位置まで一息で移動した。

 そいつは森の中間あたりにおり、別の妖魔を仕留め、食らっている。

 その隙を突き、俺は背後に音もなく忍び寄ると、そのまま手刀に闘気を纏わせ、妖魔の首を切り落とした。

 すぐにその妖魔の体を持ち抱えると、再びリーズの下へ一息で戻る。


「待たせたな」

「い、いえ、待つも何も、一瞬だった――――って!? あ、アンタ、その、く、熊の魔物は何よ!?」


 リーズは俺が持ち帰った妖魔を指さし、目を見開いた。

 ただ、その質問は少し困る。


「すまない、俺もこの妖魔の名は知らないんだ」

「知らない!?」


 リーズの言う通り、見た目は熊のようだが、その大きさはまるで違う。

 ちょっとした小山を思わせる巨体に、異常に発達した太い爪。

 今回は置いてきたが、顔は凶悪で、額に三本角が生えている。

 師匠もこの島に生息する妖魔のことはどれも知らず、この熊擬きは『三角熊みつつのくま』と呼んでいた。安直だが、分かればそれでいい。

 それよりも、俺はこの三角熊を妖魔と呼ぶが、リーズたちは魔物と呼ぶのだな。そういえば、師匠もそう言ってたか。大陸では共通なのだろう。

 ともかく、今回はこの妖魔の臓腑に用がある。

 コイツの臓物は滋養強壮効果があり、疲労もすぐに吹き飛ぶのだ。

 俺は妖魔の巨体を魔力を使って持ち上げ、空中に固定すると、指に軽く闘気を纏わせ、腹を掻っ捌いた。

 そして、そこから目的の臓物を取り出すと、魔法で水を生み出し、よく洗う。

 そこから自作のすり鉢に入れ、擦り潰すと、この島に生えているいくつかの薬草を投入し、再び擦り潰した。

 すると、だんだん臓物と薬草が絡み合い、混ぜ合わせていくと、練り合わせた薬が完成した。

 この薬もまた、師匠から学んだものの一つである。


「これを飲むといい」

「え」

「味はともかく、効果は保障する」

「う、噓でしょ!? こ、こんなもの、飲めるわけないじゃない!」


 リーズはあり得ないと言った表情で俺の作った薬を拒絶した。


「そ、そうか……すまないな。無理強いはしない」

「あ……そ、その、ごめんなさい。ただ……私には刺激が強すぎるというか……私のために、わざわざありがとう」


 どこか慌てた様子でリーズはそう口にする。

 確かに、初見では厳しいだろう。俺も配慮が足りなかった。

 俺は思っていた以上に、人恋しかったのかもしれん。驚くほどに舞い上がってるな。

 まあその結果、空回りしてるわけだが。

 とはいえ、このまま薬を放置するのももったいないので、自分で飲むことにした。疲労回復効果なので、特に俺が飲んでも問題ない。

 すると、リーズはそんな俺の様子に目を見開く。


「あ、貴方……よく飲めるわね……?」

「慣れてるからな」


 昔から兵糧丸生活を続けてきたのだ。今さらこのような薬では何とも思わない。

 何なら、師匠と修行を始めてからも、兵糧丸はよく摂取していた。

 兵糧丸は味や臭いこそ最悪だが、栄養素という点ではこれ以上ないほど効率的だからだ。

 まあ修行の中で倒した妖魔も、いくつか口にしているが、この地に調理道具もなければ調理の腕もないので、所詮は丸焼きである。

 薬を飲み終えると、俺は改めてリーズに訊ねた。


「それで、どうするんだ?」

「……当然、帰れるなら帰りたいわ。でも、陽ノ国周辺の海流は激しくて……特にこの極魔島と言えば、陽ノ国一の海流で囲まれてるらしいじゃない。どうやっても脱出は不可能よ。だから貴方もここにいるんでしょ?」

「……」


 俺はリーズの言葉になんと返せばいいか迷った。

 確かにこの島に来た当初は、リーズの言う通り島から脱出するなど不可能だった。

 しかしこの十年間、鍛錬を続けてきたおかげで、島から出る分には特に問題ないほどの実力を身に着けることができたのだ。

 ただ、あくまで脱出するだけならの話である。

 陽ノ国の方角も分からなければ、大陸の向きも分からないのだ。


「もし、この島を脱出できると言えば、君は国まで帰ることができるか?」

「え?」


 俺の問いかけに、リーズは一瞬呆気にとられるも、すぐに答える。


「そ、そりゃあ脱出できるなら、携帯型魔導船もあるし、国の方角も分かるから……いえ、やっぱり無理よ。脱出できたところで他の海域も荒れてるし、何より海の魔物が出たらどうしようもないわ。それに、脱出は不可能だって言ったでしょ?」

「……」


 俺はリーズの言葉を聞きながら、考えていた。

 師匠の試練も、初代皇帝陛下の試練も終えた俺は、この島に留まる理由は特にない。

 強いて言えば、一人で落ち着いた修行ができることだろうか。

 しかし、それだけである。

 陽ノ国に未練もなければ、外の世界に飛び出す理由もなかったから、考えなかっただけだ。

 だが、師匠は言っていた。

 この世界は素晴らしく、それを見て回らなかったことを後悔していると。

 もしかすると……これもまた、運命なのかもしれないな。


「はぁ……転移魔法のスクロールでもあれば……」

「――リーズ」

「っ! な、何かしら?」

「俺が君を、送り届けよう」

「……え?」


***


 リーズの言っていた携帯型魔導船とは、ちょうど二人乗りくらいの小さい船だったが、俺の知る船の形と異なっていた。

 聞いた話によると、どうやら魔力を動力として動くため、風向きなどに左右されず、動くことができるそうだ。

 しかし、激しい海流や向かい風にはかなり弱いらしい。というのも、その流れに逆らおうとすればするほど、魔力の消費量が大きくなるため、安定した航海ができないそうだ。

 そんなことを考えながら魔導船を観察していると、リーズが焦った様子で言う。


「ほ、本当に大丈夫なんでしょうね!?」

「ああ、心配ない」


 最初は酷く渋っていたリーズだったが、やがて何かを思い直し、航海に踏み切った。

 どうせこの場で朽ちるなら、いっそ一か八か賭けて飛び出そうと思ったのだろう。豪胆な性格だ。

 しかし、リーズの心配しているようなことは起きないし、起こさせない。

 船の操縦こそリーズに任せるが、護衛という形であれば、完璧にやり遂げよう。

 すると、しばらく迷っていたリーズは、決心したのか魔導船に魔力を流し込んだ。


「ああ、もう! どうにでもなれッ!」


 そして、極魔島を囲む渦潮へと向かっていく。

 俺は船の船首に立ちながら、渦潮を眺めた。

 ……十年前、この海流を眺めていた時は、己の無力さに打ちひしがれていた。

 だが、今は違う。


「ちょ、ちょっと! もう渦潮が目の前なんですけど!?」

「――――では、行ってくる」

「へっ!?」


 俺は軽くその場から跳び上がると、渦潮に向けて落下していく。

 そして――――。


「――――『覇天掌』ッ!」


 『覇天拳』の派生系であり、拳から掌底へと変化させた奥義。

 海のような絶えず動く物体には、終点がいくつも存在し、それが複雑に絡まり合っている。

 そのため、拳のような点での攻撃ではなく、面の攻撃で同時に終点を刺激するのだ。

 俺の放った掌底は、渦潮の表面に触れた瞬間、掌底の衝撃と渦潮の波が打ち消し合い、波の終点すべてが刺激されたことで、一瞬にしてあたり一面が凪いだ海へと変貌した。


「う、嘘……」


 俺は足に魔力を纏わせ、空中を蹴ると、魔導船に着地する。

 そして、極魔島へと振り返った。


「……ありがとうございました」


 今まで俺の全てを成長させてくれた土地に、最大の感謝を。

 万感の思いを込め、頭を下げた。

 そこから顔を上げると、再び前を向く。


「さあ、リーズ。君の国へ向かおう」

「っ! え、ええ!」


 師匠。

 俺も、世界を見てみようと思います。

 だから……行ってきます。

 ――――こうして俺は、新たな世界へ飛び出した。

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