第7話

 ――――初代皇帝陛下との邂逅から数日後。

 俺は師匠の【覇天拳】に加え、陛下の刀術――――【降神一刀流こうじんいっとうりゅう】の修練にも励んでいた。

 陛下の刀術はその名の通り、神をも降す一太刀。

 あの極魔との戦いを見た今では、それも信じられる。

 ただ、今の皇室に伝わっている刀術は確か別のものだったはずだが……どうなのかは分からない。なんせ皇室の方々が演武をする機会など、まずありえないからだ。

 何はともあれ、受け継いだ以上、俺はその技術を磨くのみだ。

 そして、俺も命刀を手にする時が来た。

 正確にはこちらも陛下から受け継いだものになるのだが、今は俺の命と確かな結びつきを感じる。

 ――――皇刀。

 王刀は耳にしたことがあるが、この皇刀は初めて知るものだった。

 というより、王刀は俺たち刀士の家系に生まれた子供たちの命刀を発現させる力がある。

 つまり、皇帝陛下が王刀を振るうことで、刀士の子供たちは命刀を手にし、新たに刀士としての道を歩むのだ。

 とはいえ、刀士の家系以外でもごくまれに命刀を発現させる農民もいるため、毎年皇居の前に齢十となった子供たちが集められ、その前で王刀を振るわれるのだ。

 これを『王選祝福おうせんしゅくふく』と呼ぶ。

 刀士にとっては重要な儀式であり、農民にとっては皇帝陛下からの祝福という意味で、王選祝福は陽ノ国最大かつ最重要な行事である。

 その結果……刀士の家系でありながら、俺だけ命刀を発現することができなかった。

 そんな俺が、初代皇帝陛下から命刀を受け継いだのだ。

 初代皇帝陛下の命刀ということで、王刀のようにさぞ強力な効果があるのかと思ったのだが……この皇刀の効果はただ一つ。

 ――――決して折れない。

 ただそれだけだ。

 他の命刀に比べ、あまりにも地味な能力に唖然としたが、同時に納得もした。

 神念という形とは言え、実際にお会いした今、あの方が命刀の能力に頼るとは思えなかったからだ。

 むしろ、陛下の降神一刀流を扱う上ではこれ以上ない効果だろう。

 普通の刀であれば、陛下の刀術に耐え切れず、壊れることが予想された。

 ともかく、新たな力を身に着けるべく、修練を続ける中、俺は迷っていた。

 それは、これからのことについてだ。

 師匠は俺に、好きにしなさいと言ってくださった。

 だが、今の俺は、師匠と陛下から受け継いだ技術を極める以外に、特に求める物がないのだ。

 ……故郷も、帰りたいとは思わない。

 あそこに俺の居場所は存在しないから。

 今の俺ならば、この島から脱出するのは簡単だが、脱出する理由もなかった。

 なので、このままこの島で修行を続けていくだろう――――そう、思っていた時だった。


***


 今日の食事を得るため、俺は浜辺にやって来ていた。

 この浜辺こそ、師匠と初めて出会った場所であり、俺がこの世を生き抜くと誓った場所でもある。

 そんな思い出の地を感慨深く眺めていると、いつもとは違うことに気づいた。


「あれは……?」


 周囲に散らばる白骨体とは別に、何かが浜辺に打ち上げられていたのだ。

 俺は少し警戒しながら近づくと、それが人間であることに気づく。

 そこから慌てて近づくと、その人間の姿に驚いた。

 なんと、その人間は黄金のような髪と、見慣れぬ衣服を身に纏った女性だった。

 こんな人間が陽ノ国を歩いていれば、噂にならぬはずがないのだが……。

 よく見ると、歳も近そうに思える。

 すぐに女性の状態を確認すると、気を失っているだけだと分かった。


「……目立った外傷などはないな」


 とはいえ、このまま放置しておけば体が冷えてしまう。

 俺は師匠に用意してもらった羽織を脱ぐと、女性に被せ、ひとまず森の方まで運んだ。

 その道中、食用可能な植物や果物を集めておく。

 いくつかの果物を入手すると、今度は草を集め、寝床を作り、そこに女性を寝かせる。

 そこから手ごろな木々を斬り倒し、薪を作ると、俺は指先に魔力を集めた。


「火よ」


 そう唱えると、俺の指先に小さな火が灯る。

 その火を薪に移すことで、焚火にした。

 ある程度落ち着いたところで、俺は改めて女性に目を向ける。


「この人は……どこから来たんだ?」


 少なくとも陽ノ国の人間ではなかろう。

 となると……海の向こうにあるという、大陸の人間だろうか?

 陽ノ国以外に国があることは、師匠を通して知っていた。

 とはいえ、実際に目にしたことはないので、どんな場所かは想像もつかない。

 この女性のように、不思議な衣服の人間がたくさんいるのだろうか?

 そんなことを考えていると、女性の呼吸に変化が。


「うっ……ん……?」

「目が覚めましたか」

「ッ!」


 なるべく警戒させぬよう声をかけたつもりだったが、女性は瞬時に跳び上がり、掌をこちらに向けた。

 よく見ると、その掌には魔力が集中しており、すぐにでも魔法を放てるだろ。

 だが、警戒されるのはある程度予想していたため、さほど驚かず、落ち着いてもらおうとした瞬間だった。


『――――!? ――――!』

「……」


 ――――女性の言葉が、分からなかった。


***


 私――リーズ・エレメンティアは、窮地に立たされていた。


「いい加減、諦めたらどうだ?」


 そう言いながら、十数人の男たちが私を囲むように武器を構えている。

 しかも、私は商船の縁まで追い詰められ、後ろは荒れる海。

 一応、何かのためにとマジックバックには携帯型魔導船を収納していたが、今の海で出現させても、一瞬で転覆するだろう。

 すると、リーダーらしき男が続ける。


「何も難しいことは言ってねぇだろ? このまま大人しく、俺たちについてくればいいんだ」

「……そうしたら、私をあの豚侯爵のところに連れていくつもりでしょ」

「まあそういう依頼だからな」


 男の言葉に、私は唇を噛みしめる。

 ……完全に油断していた。

 元々伯爵家の人間だった私は、ブレタン侯爵から求婚された。

 家格としても上であり、なおかつその侯爵家の領地を通らなければ王都からの物流が止まるため、立地的な面で見ても伯爵家は頭が上がらない。

 ただ、その侯爵家の当主には悪い噂ばかりで、非道なこともかなり多くやっているらしいが、侯爵家の力が強く、証拠を消される上にそのことを表立って口にする者はいない。私はそんな人間と結婚するのは嫌だった。

 それに、昔から冒険者に憧れていたため、貴族として生を終えるつもりは毛頭なかったのだ。

 そのことをお父様たちに伝えても、お父様は私の言葉に耳を傾けてくれない。

 今までも私がやることなすことすべてに拒否的だった。

 だからこそ、私は家を飛び出し、無理やり冒険者として活動することに。

 冒険者は基本的に自由な職業で、その仕事柄、非常に荒くれ者たちのイメージが強い。

 そのイメージは正しいのだが、それ以上に自由であり、A級冒険者にもなると、貴族クラスの待遇を受けることができた。

 それだけ強力な冒険者は貴重なのである。

 侯爵家からの干渉を跳ね除けるには、A級冒険者になる必要があった。

 幸い魔法が得意だった私は、早い段階でA級冒険者にまで駆け上ることに成功する。

 だが、侯爵は私のことを諦めていなかった。


「こんなことをして……国に報告すればどうなるのか、分かってるのかしら?」


 私がそう告げると、男は仲間たちと顔を見合わせ、下品な笑い声をあげた。


「ぎゃはははは! おいおい、そういうのは無事に帰れるからできることなんだよ。テメェはここで俺たちに拘束されるか……海の藻屑になるかだ」

「でもリーダー、勿体なくねぇっスか? どうせ殺すんなら、一発ヤッてからでもいいでしょ?」

「それもそうだなぁ……ぎゃははは!」


 ……本当に不愉快だ。

 普段の私なら、こんな連中、すぐにでも倒すことができる。

 でも今の私は、魔法がまともに使えなかった。

 それは……。


「それにしても、この『封魔玉ふうまぎょく』ってのはとんでもねぇなぁ? あのA級冒険者様が何もできねぇんだぜ?」

「侯爵様もそれだけ本気なんだろうよ」

「なあ、これが終わった後、コレ持ち帰ってもバレねぇかな?」

「やめとけ。後々バレて殺されるぞ」


 男たちの一人が手にしていた手のひらサイズの水晶だった。

 それは『封魔玉』と呼ばれるアイテムであり、高難易度のダンジョンから極稀に出現すると言われている、貴重品だ。

 その効果は一定範囲内での魔法の制限。

 当然、私だけでなく、男たちにも効果があるのだが、相手は大人数かつ武器を手にしている。

 それに比べ、私は短剣こそ持ってはいるが、近接戦闘はからっきしだ。

 どうやら相手は裏ギルドの連中らしく、実力こそそこらへんのチンピラと大差ないだろうが、今の私にとっては脅威である。


「なぁ、いい加減諦めろって。この場にテメェの仲間はいねぇんだ。大人しくしてりゃあ、死ぬことはねーんだぜ?」


 こんな連中と一緒になったのも、私が事前の情報収集を怠ったからだ。

 元々はここ数年で交易が始まった陽ノ国へ向かう商船の護衛として、この依頼を受けた。

 その商船は最近急成長してるガルド商会の船で、ギルド職員からの勧めもあって、何気なく受けてしまった。

 だが、実際はガルド商会はブレタン侯爵が出資しており、私が依頼を受けるようにギルド職員を金で買収、しかも私以外に受けたと思っていた護衛たちは、侯爵家に雇われた闇ギルドの連中だったのだ。

 その証拠に、腕には闇ギルド『ブラッドラット』の証である赤いネズミの刺青が。今まではスカーフなどで隠されていたが、ここにきてその必要がなくなり、まるで誇示するように見せつけている。

 ……ギルドを信頼し過ぎた私が馬鹿だった。

 いや、それは言い過ぎだ。ギルドにもいい人はいる。例えば私がギルドでどうすればいいか困っていた時、助けてくれたギルドマスターは恩人だ。今でも感謝している。

 ただ、ギルドにも悪い人間がいるという話だ。それを見極める目が、私になかっただけ。

 ――――最初はA級冒険者になるため、ただがむしゃらに依頼を受けてきた。

 それに、近づく連中全員が敵だと思っていたから、仲間も作らないでここまで来たのだ。

 そんな私を心配して、ギルドマスターはいつも仲間を作るように勧めてくれていたのに……。

 ……今さら後悔しても遅い。

 仲間がいない今、私一人でどうにかするしかないのだから。

 私は背後の海に一瞬視線を向ける。

 陽ノ国周辺は非常に海流が強く、特定の航路やある程度の船でなければ海を渡るのは厳しい。

 それでも――――。


「私の人生は、自分で決める……!」

「なっ!?」


 驚く男たちをよそに、私は海に身を投げ出した。

 ――――そこからは、どうなったのか、よく覚えていない。

 海に飛び込み、激しい海流に攫われたところで、ようやく封魔玉の効果から抜け出した私は、薄れゆく意識の中、少しでも生き残れるように様々な魔法を行使したように思える。

 とはいえ、それが具体的にどんな魔法を使ったかは、覚えていなかった。

 そして、私が目を覚ますと、青々とした木々が目に飛び込んでくる。

 それをぼーっと眺めていると、不意に声がかけられた。


「目が覚めましたか」

「ッ!」


 突然聞こえた男の声に、私はすぐに飛び起きると、声の主に向けて手を向けた。

 一瞬、封魔玉のことが頭に過ったが、魔力は問題なく循環しており、すぐにでも魔法が放てる。


「アンタは誰!? 答えなさいッ!」

「……」


 警戒しながら言い放ったところで、私は目の前の人物の姿をしっかり確認した。

 その人物は、異国の男……陽ノ国の人間に見えた。

 艶やかな黒い長髪を一つにまとめ、涼し気な黒い瞳が困惑したようにこちらを見ている。

 そのうえ女の私から見ても、ゾッとするほど美しい顔立ちで、どこか超俗的な気配を感じた。

 どう見ても普通じゃない……そう思いながら見つめていると、あることに気づく。

 この男……気配がまるでない……!?

 なんと、目の前の男からは、まるで気配というものが感じ取れなかった。

 A級冒険者の私が感じ取れないなんて……。

 だからこそ、声をかけられるまでこの男の存在に気づかなかったのだ。

 ともかく、ここがどこで、コイツが誰か分からない以上、警戒を緩めることはできない。

 すると、男は少し困った様子で頬をかいた。


「これは……困ったな。言葉が通じないか……」

「え?」


 男の言葉に、私は首を傾げる。

 何故なら、私は男の言葉をちゃんと理解できているのだ。

 しかし、どうやら男は違うようで、どうしたものかと頭を悩ませている。

 確かに、陽ノ国と私の住むアールスト王国は、言語が違った。

 だが、交易が始まり、言葉が通じなければ交渉ができないということで生み出されたのが、私の右手にも装着している『言語の指輪』である。

 最初こそこの指輪は非常に高価なものだったが、今は大量生産できるようになり、広まっているはずだ。

 特に目の前の男性は身なりから見ても、お金に困ってるようには見えない。

 とはいえ、言葉が通じなければ何もできないので、私はマジックバックからスペアの指輪を取り出し、男に投げた。


「ん? これを……嵌めればいいんですか?」


 私が頷くと、男は警戒した様子もなくあっさりと身に着ける。

 普通ならば、見知らぬ人間から渡されるアイテムに多少の警戒心を見せるだろうが、男は躊躇なく指に嵌めた。

 これは男が世間知らずなのか、底抜けのお人好しなのか……どちらにせよ、私にとっては好都合である。

 少なくとも、私を狙っているようなあくどい連中ではないだろうから。

 男が指輪を装着したところで、私は改めて口を開く。


「それで、アンタは誰? それと、ここはどこ?」

「おお……本当に言葉が……っと、すみません。私は護堂刀真。ここは……極魔島、と言って伝わりますか?」

「極魔島……それに護堂って確か、陽ノ国の重鎮じゃ……?」


 私が思わずそう口にすると、男……刀真は寂しそうに笑った。


「確かに、護堂家は陽ノ国の名家ですが……もう、私には関係ありません。どうか刀真とお呼びください」


 何やら込み入った事情があるようだが、今はそれを聞いてる場合じゃない。


「極魔島って言ってたけど……それって確か、陽ノ国の危険地帯よね?」

「ええ」

「ど、どうしてそんなところに……」


 すると、刀真は苦笑いを浮かべる。


「それこそ私が聞きたいくらいです。貴方は極魔島の砂浜に打ち上げられていたので、ひとまずここで寝かせていたんですよ」

「あ……」


 そう言われて、ようやく私は色々と状況を察した。

 よく見れば、私が寝かされていたであろう木の葉や、私のために使われていたであろう羽織など、この刀真という男が親切心で助けてくれたことは分かったはずだ。

 もしあの連中の手先なら、私が気を失っている間に連れ去ることもできたし、悪いことを考えているのなら、それこそ目が覚める前に色々できただろう。

 だが、私の体には特におかしな点はなく、純粋に助けられただけのようだ。

 ……本当に情けない。

 頬が熱くなるのを感じつつ、私は頭を下げる。


「そ、その……ごめんなさい。助けてもらったのに……」

「いえ、状況が状況ですから。警戒するのは当然です」


 ふわりと笑うその様子に、私はますます申し訳なさが募った。


「えっと……ありがとう。それと、歳も近いみたいだし、敬語じゃなくてもいいわよ。その方が私も気が楽だから」

「そう……か? なら、いつも通りの口調でいかせてもらおう」


 どこか無骨な印象を受ける口調に少し驚いていると、刀真は改めて口を開く。


「それで、貴女は一体、誰なんだ?」

「あ! ご、ごめんなさい。私はリーズ・エレメンティア。アールスト王国のA級冒険者よ」


 ごく普通の自己紹介をしたつもりだったのだが……。


「アールスト王国? 冒険者?」


 ――――刀真は首を傾げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る