第5話

 ――――師匠に弟子入りしてから、五年の歳月が流れた。


「グオオオオオオ!」

「ハアッ!」


 俺は今、師匠からの試験として、ここ……極魔島に棲む、一体の鬼と戦っている。

 この鬼は俺より二回りも大きく、盛り上がる筋肉がその肉体の強靭さを物語っていた。

 額にも目が存在し、どうやら通常の視覚とは異なり、魔力や闘気を感知する力があるようだ。

 ただ、この鬼の名前を俺は知らない。

 極魔島の文献は少なく、どんな妖魔たちが生息しているのか未知数だったからだ。

 それに、元々俺が知っていた妖魔の数もたかが知れている。

 ……まあ、そんなことは関係ない。

 どんな相手であれ、俺は倒すしかないのだから。


「ガアアアアア!」


 巨大な腕から放たれる殴打。

 もし、まともに受ければ、俺の肉体など一瞬で潰されるだろう。

 もちろん、そのまま受け止めることはない。


「『流天るてん』!」


 俺は鬼の殴打に合わせ、相手の拳の側面に手を添えると、そのまま懐へと巻き込むように回転しながら進んでいく。

 その際、触れている腕に対し、指に闘気と魔力を纏わせながら、正確に破壊できる点を突いた。


「グオオオオオオオオオ!?」


 その効果は大きく、俺の指で突かれた鬼の腕は、一瞬で膨れ上がると、そのまま破裂したのだ。

 腕が破裂したことで怯んだ鬼に対し、俺はその隙を逃さず、確実に懐に潜り込む。

 そして、鬼の腹目掛けて、闘気と魔力を纏った拳を放った。


「『崩天ほうてん』!」

「ガッ――――!」


 抉りこむように、鬼の腹にめり込む拳。

 瞬間、腹から背に向けて、衝撃が突き抜けた。

 しかし、俺は自身の手ごたえに眉をひそめる。

 ――――浅い。

 鬼の強靭な肉体により、完璧に衝撃を突き抜けることができなかったのだ。

 そして、実際に鬼は倒れることなく前かがみになりながらも踏ん張った。

 だが……。


「もう一度ッ……!」


 俺は下がって来た鬼の顎に向け、再度『崩天』を放つ。

 すると、顎を打ち砕かれた鬼は、そのまま顔を跳ね上げると、後ろに向けて倒れていった。


「ふぅ……」

「――――ま、合格かのぅ」


 その瞬間、師匠が音もなく俺の傍に現れた。

 俺が魔力を扱えるようになったのも、こうして鬼のような妖魔と戦えるようになったのも、すべてこの師匠のおかげである。


「分かってるとは思うが、まだまだ甘いところがある」

「はい……」


 それは俺自身、酷く痛感していた。

 まだまだ俺は、師匠の技を確実に受け継ぐことができていない。

 【覇天拳】の基礎が身についたくらいだろう。

 そう思っていると、師匠は一つ頷く。


「うむ。では、次が最後の試験じゃ」

「なっ!?」


 師匠の言葉に、俺は目を見開く。


「ま、待ってください! 私はまだ未熟です! それなのに最後の試験だなんて……」

「確かに、今のお主はまだ未熟じゃろう。しかし、お主に伝えられることはすべて伝えた。あとはお主自身が技を磨くだけじゃ。それに……天寿じゃ」

「え……?」


 よく見ると、師匠の体が透け始めていたのだ。


「し、師匠……?」

「最初にお主と出会ったときに、言っていたじゃろう? 儂の天寿が近いと。それが来ただけじゃよ」

「そ、そんな……」


 師匠の言葉を、俺は素直に受け取ることができない。

 まだまだ、俺は師匠から学びたいことがたくさんあるのだ。

 それなのに……。

 すると、師匠は困ったように笑った。


「そう悲しい顔をするでない。最期じゃというのに、悲しい顔で別れるのは寂しいじゃろう。それに、儂の心配よりも、自分の心配をすべきじゃ」

「え……?」

「――――最後の試験は、この島の中心に到達すること」

「!」


 俺はその内容に、目を見開いた。

 師匠に弟子入りしてから、俺はこの極魔島で様々な妖魔たちを相手に戦ってきた。

 とはいえ、まだまだ島に広がる大森林の中間部でようやく戦えるようになったくらいなのだ。

 極魔島は奥地に向かえば向かうほど、妖魔もより強力になる。

 たった今倒した鬼も、奥地に行けば群れで襲ってくる可能性だってあるのだ。


「ほっほっほ。最後の試験の難しさが分かったかのぅ?」

「……はい」

「……お主がこの島の中心にたどり着けたとき、お主が求めていた生きるための力は確かなものとなる。そして恐らくそこに、お主が求める物があるはずじゃ」

「私が求める物……?」


 最初は自分の居場所を求めた俺だったが、五年前に父上に捨てられ、この地にたどり着いたことで、居場所を手に入れる以前に生き残るための力を求めた。

 それ以外で、俺が求める物って……。

 俺が首を捻っていると、師匠は島の中心部の方に視線を向ける。


「最初は何のための結界なのか分らんかった。しかし、お主とこの地で過ごす中で、徐々に分かったことがある。あの地には、刀真、お主が行かねばならない」

「え?」

「フフ……まあよい。儂の試験を突破し、たどり着けば分かることよ」


 そう語る師匠の体はもう、ほとんど消えかかっていた。


「さて、刀真よ。試験を突破し、この島の中心地にたどり着いた後は……好きにするがよい」

「好きに……?」

「そう、好きに」


 そう言われても、俺はどうすればいいのか分からなかった。

 ただがむしゃらに生きてきたから、好きに生きるというのが分からないのである。


「故郷に帰るもよし、旅をするのもよかろう。お主は何でもできるんじゃ。己の望みとゆっくり向き合うがよい。それが、生き抜くということじゃよ」

「俺の……望み……」


 今はまだ、俺の望みは浮かばない。

 もしかしたら、これから先も分からないままの可能性もある。

 それでも――――。


「――――分かりました。師匠に胸が張れるよう、精一杯生き抜きたいと思います」

「うむ。儂の最期の時を、お主と過ごせて幸せじゃったぞ――――」


 師匠は最後に笑うと、そのまま世界に溶けるように消えていった。

 ……師匠は、俺との時間が幸せだと言ってくれた。

 だが俺は、師匠に何かを与えられただろうか。

 俺はたくさん与えられた。

 これ以上ないほど、幸せな時間を。


「うっ……くっ……」


 自然と涙が零れ落ちる。

 こんな風に、純粋に誰かを想って泣いたのは何時ぶりだろう。

 初めてこの島に流され、絶望した時の涙とは違った。

 俺はその場に跪くと、深く頭を下げる。


「師匠……本当にありがとうございました……!」


 ――――旅立った師匠への、最後の挨拶だった。


***


 ――――師匠が旅立ってから、俺は寝食を忘れ、修行に打ち込んだ。

 最後の試験を達成すべく、徐々に徐々に島の奥地へと進んでいく。

 そして、目的地にたどり着いた時には、さらに五年が経過していた。


「ここが……」


 そこは今までの島の様子と明らかに雰囲気が違っていた。

 何故ならその部分だけ拓けており、洞窟があったのだ。


「師匠の話だと、ここに俺が求めている物があるらしいが……」


 あれから五年経った今でも、それが何なのか分からない。

 それと、師匠の話では結界が張られているらしいが……。


「元々この地は初代皇帝によって、とある妖魔が討たれたとされる島……ただ、かれこれ十年過ごしてきたが、その妖魔が何なのか、まったく分からない」


 というより、怨霊がいるのかどうかも怪しい。

 所詮、書物の中でしか怨霊や儀式は知らなかったので、世間での怨霊に対する認識などは分からなかった。

 もしかしたら、迷信なのかもしれない。

 ただ、この島に生息する妖魔が凶悪なのは間違いなく、この島に流されれば、まず生存は不可能だろう。

 そんな島であるにもかかわらず、目の前の洞窟は今まで相手にしてきたどの妖魔よりも凄まじい威圧感を放っていた。

 何なら、師匠よりも上かもしれない。


「一体、何があると言うんだ……?」


 師匠の試験はこの洞窟の中も含まれているのか不明だが……気にならないと言えば嘘になる。

 結界が張られているらしいが、それがどんなものなのかは俺には分からなかった。師匠は何なのか分かってたみたいだが……。

 だからこそ、俺をこの地に向かわせたのだろう。


「……行ってみるか」


 俺は覚悟を決めると、目の前の洞窟に足を踏み入れた。

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