第4話
「わ、私が……亜神様の弟子、ですか……!?」
その信じられない言葉に、俺はつい聞き返す。
すると、亜神様は鷹揚に頷いた。
「そうじゃ。先ほども言ったが、儂は死ぬ前に世界を見て回った。その中で、儂は自分が見落としてきた世界の素晴らしさに気づいたんじゃ。それと同時に、もはや儂と世界の繋がりがないことにも……」
「せ、世界との繋がり……?」
「亜神はごく一部を除けば、皆基本的に己が領域に閉じこもっておる。そのせいで、世俗との繋がりは完全に断たれるのじゃ。それに、儂らは亜神になる前から、それぞれの道を極めようとしてきた者たちである。そのため、人間であったころから世俗との繋がりは希薄だったんじゃよ」
「は、はぁ……」
「つまり、儂が生きた証は、何も残らんのだ」
「あ……」
俺はようやく亜神様の言ってることが分かった。
亜神様は少し寂しそうな表情を浮かべる。
「……前はそれでもよかったんじゃ。しかし、死ぬ前に世界を見て回ったことで、儂はこんな素晴らしい世界との繋がりを切ってしまったのかと、そう思った。そして、その素晴らしい世界には、儂の生きた証は何もない。この肉体が滅び、消えると、誰も儂のことを覚えてなどおらんじゃろう」
「……」
「そこで、お主じゃ」
「わ、私が?」
「ああ。儂はまさに生涯をかけて、この拳――――【
「そ、その伝承が……」
俺が恐る恐る訊くと、亜神様は再度力強く頷いた。
確かに生き抜くための力が欲しい。それは間違いない。
そういう意味では、亜神様のお力が学べるのであれば、これ以上はないだろう。
だが――――。
「……私なんかには、もったいないです」
「む?」
「話しましたよね? 私は魔力が扱えぬ欠陥品。このような体では、亜神様の武術は……」
歯噛みしていると、亜神様は穏やかに笑った。
「そのことなら心配するでない。お主の魔力もどうにかなる」
「え!?」
それは、俺にとって、何よりも望んでいたこと。
ただ、そう簡単に信じられる話ではない。
「ど、どうにかって……この体が治るとでも言うんですか!?」
「ああ、治るとも」
簡単に言ってのける亜神様に対し、俺は呆然とした。
そんな簡単に言うなんて、本当なら腸が煮えくり返るような思いをするはずだ。
俺がどんな気持ちで過ごしてきたのか、何も分かっていない。
しかし、それは普通の人間に限っての話である。
もしかしたら、亜神様なら……。
そんな藁にも縋る思いでいると、亜神様は険しい表情を浮かべた。
「しかし、それはお主の想像を絶する苦痛が伴うじゃろう」
「それは……どういうことでしょうか?」
思わずそう訊くと、亜神様は俺の背中に手を当てた。
「ふむ……お主の体を治した時も思ったが、誠に不幸じゃのう」
「不幸……?」
「そうじゃ。……お主は【
「い、いえ」
「天武体とは、すなわち武術に最も適した理想的な体のことを指す。先天的にこの肉体を持つ者もいれば、鍛錬で後天的に獲得できる者もいるのぅ」
「はあ……」
「そんな天武体とは別に、【
「その……それが私の体とどう関係しているんでしょうか?」
「お主が、まさに天魔体なんじゃよ」
「なっ!?」
「しかも、天武体でもある」
「ええっ!?」
まさかの事実に、俺は開いた口が塞がらない。
「見たところ、天武体に関しては後天的じゃな。非常に効率よく栄養素のみ取り入れ、体を鍛えた結果じゃろう」
「あ……」
それはまさに、俺が毎日食事として食べている兵糧丸と、日課の鍛錬のことだろう。
すると、俺の反応を見て、亜神様が笑う。
「どうやら心当たりがあるみたいじゃな」
「は、はい。その……ずっと食事は兵糧丸で、毎日鍛錬してましたから……」
刀次には否定された俺の鍛錬。
しかも、ただの栄養補給でしかなかった兵糧丸が、結果的に俺の鍛錬を支えていたとは……。
元々、あの兵糧丸を食べ始めたのは、父上や家の者が俺の食事を作らなくなったことからだ。
自分で作ろうにも、家に近づくことさえ許されていなかった俺は、台所を借りることもできず、あの物置小屋で過ごしてきたのである。
幸い、兵糧丸だけは許されたようで、物置小屋に元々置かれていたそれを、毎日食べて過ごしてきた。
それが、こんなことになるとは……。
だが、まだ分からないことがある。
「その、天武体については理解しましたが、天魔体って言うのは本当なのでしょうか……」
それだけは未だに信じられなかった。
なんせ、俺は魔力が扱えないのだ。
亜神様の話とはまるで違う。
すると、亜神様は険しい表情で続ける。
「まさに、そこが問題じゃ。お主の体は天魔体……しかし、不完全なのじゃよ」
「不完全?」
「うむ。魔力は心臓から送り出され、
「それは……」
「お主の魔脈は、恐ろしく硬く、狭い。本来の天魔体の魔脈であれば、柔軟さと強硬さを兼ね備えた強靭なもの。天魔体の心臓から押し出される魔力は、強靭な魔脈でなければ簡単に破裂してしまうからのぅ。しかし、お主の場合は魔脈が狭いがゆえに、どれだけ強く心臓から魔力を押し出しても、体に行き渡る量は微々たるもの。よって、魔力が流れていないも同じなのじゃ。これこそが、お主の天魔体が不完全であるということじゃよ」
「そんな……」
「不幸中の幸いなのが、魔脈が硬かったことじゃのう。もし魔脈が柔らかければ、己の魔力の流れに耐え切れず、魔脈が破裂し、体調を崩すことになる。そして最後には、己の魔力で殺されるのじゃ」
「それって……!」
俺の脳裏に、母上の姿がよぎった。
母上は、何故か昔から体が弱かったらしい。
どんな名医に見てもらっても、その理由は不明。
そして最後には、帰らぬ人となった。
「気づいたと思うが、お主の母親も同じく不完全な天魔体だったからこそ、亡くなったのじゃろう」
「……」
俺の表情を見て、亜神様は不憫そうな表情を浮かべた。
「……ともかく、お主の問題は魔脈にあるわけじゃが……儂がお主の心臓に直接魔力を流し込み、魔力の激流を生み出す。そして、その流れを魔脈にぶつけることで、無理やりこじ開け、貫き通すことができれば、お主は完全な魔脈となるだろう」
「……」
「簡単な原理はそんなもんじゃが、実際はお主の魔脈を開通させつつ、魔脈自体を儂の魔力で解きほぐし、柔軟性も獲得する必要がある。ただ、それには最初にも伝えたが、想像を絶する苦痛が伴うはずじゃ。その痛みで死ぬこともあるじゃろう。さて……どうする?」
亜神様の言葉が本当なのであれば、俺はその苦痛を乗り越えることができた時、魔力が扱えるようになるはずだ。
でも……。
「お願いします」
「……よいのか?」
再度、確認するように聞いてくださる亜神様。
だが、俺の思いは決まっていた。
「大丈夫です。確かに、その方法は危険で、とてつもない苦痛が伴うでしょう。しかし、私は……それよりも、心の痛みの方が辛いのです」
俺にとって、体の痛みは耐えられるものだ。
無能と嘲笑されること。
大切な母上が侮辱されること。
不要と断じられ、捨てられること。
これらすべての原因が、俺が弱いから。
俺は、自分が弱いことこそ、何よりも耐えられない。
だから……。
俺はその場に膝をつくと、深く頭を下げた。
「どうか……私に力を……!」
「……よかろう」
亜神様は短くそう告げると、さっと腕を振った。
その瞬間、俺の体は宙に浮かび上がり、そのまま空中に固定される。
そして、俺の背に亜神様が手を置いた。
「では……お主の願いを叶えよう――――!」
「ッ!?」
亜神様の言葉を合図に、俺の心臓にすさまじい圧力がかかる。
その圧力によって、心臓はかつてないほど激しく動いた。
「ごぼっ!?」
人体の限界を超えた心臓の鼓動により、魔力だけでなく血液も凄まじい勢いで体内を駆け巡る。
そして、その勢いに耐え切れず、体中の血管が千切れると、あちこちから血が噴出した。
目や口など、穴という穴から血液が噴き出す。
さらに、激流となった血液により、酸素が脳に大量に送り込まれ、頭が沸騰しそうだった。
「ああああああああああああああああああ!」
「刀真! 気をしっかり保つのじゃぞ! もし一瞬でも気を抜けば、そこで死ぬと思え!」
「――――ッ!」
俺は必死に歯を食いしばった。
すると、激しく鼓動していた心臓から、血液とは違う、別の力が動き始めたのを感じる。
それはまさに、ずっと心臓部で留まり続けていた、俺の魔力に他ならなかった。
俺の魔力は亜神様の補助を受けながら、俺の魔脈に激しくぶつかると、狭い俺の魔脈をこじ開けていく。
その瞬間、魔脈が少し開くたびに、そこの筋力や神経が勢いよく活性化され、その勢いに耐え切れず、自分の体があらぬ方向にねじ曲がり始めた。
「があああああああああああああっ!」
「いかん! 活性化が早すぎる……!」
魔脈が開けば開くほど、俺の体は悲鳴を上げていく。
骨は超活性化した筋肉に耐え切れず砕け、神経は引き千切れていく。
内臓はもはや限界を超えた活動をはじめたかと思えば、周囲の筋肉に押しつぶされた。
「――――!!!!!」
「くぅ……! まさか天武体による弊害があるとは……! 活性化した筋力が強すぎる……このままでは、自身の細胞や筋力に押しつぶされるぞ……!」
もはや俺の耳には、亜神様の言葉は入ってこない。
あらかじめ聞かされていたとはいえ、それはまさに、地獄のような痛みだった。
だが、亜神様はこのことを見越していたようで、回復術もかけてくださっていたものの、やはり俺の魔力による活性速度に回復が追い付いていない。
骨も皮も筋も神経も、何もかも、ぐちゃぐちゃになっていく。
ああ……確かに、痛い。
堕飢に体を食い千切られていたのが可愛く思えるほどに。
こんな痛みは、これから先経験することはないだろう。
でも俺は、この痛みを耐えてでも、力が欲しい。
母上に胸を張って、生きていくためにも……!
――――永遠のような時間だった。
何度も何度も己の体に殺されそうになるたびに、亜神様のおかげで回復を繰り返す。
もはや、俺の体に無事だった場所など一か所もない。
すべて破壊され、再生され、全身を引き裂き、へし折り、かき混ぜられながら過ごした。
だが、亜神様が仰っていたように、何事にも終わりは訪れる。
……必死に耐えていた俺の体は、いつの間にか魔力が駆け巡っていたのだ。
「はぁ……はぁ……な、何とかなったのぅ……」
「あ――――」
そんな亜神様の言葉を耳にした瞬間、俺は糸が切れたように意識を失うのだった。
***
「はぁ……まったく、大したもんじゃ」
儂は目の前で気絶した刀真を見て、そう呟いた。
正直、一か八かの賭けであった。
魔脈をこじ開けるということは、言葉以上にとんでもない危険性を孕んでいる。
それほどまでに生物にとって、魔力とは切り離せない関係であり、その魔力のための魔脈に手を加えるのだからこそ、死を覚悟するのは当たり前だった。
だが、刀真は乗り越えた。
全身が砕け、擦り潰されようと、必死に生にしがみついたのだ。
この生命力は、これから儂の【覇天拳】や【
そこまで考えた瞬間、儂は不意に心臓に痛みが走った。
「っ……少し、無茶したのぉ……」
凡人の魔力であればともかく、天魔体の魔力を制御するのは非常に難しかった。
回復魔法と併用しながら行ったが、魔力の活性が早すぎて、回復が追い付かなかったほどだ。
しかし、そのかいあって、刀真の全身には魔力が巡っている。
あとは儂が、その魔力の扱いも教えるだけである。
ただ――――。
「――――五年、かのぉ……」
儂は小さくそう呟いた。
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