17. アマリラ
〝どうしよう、すごいどきどきしてる。わたし、おばばに会っちゃった。そんな、いろいろ話に訊くような怖い感じじゃなかったのが一番びっくりした。変な言葉遣いなのは、おばあちゃんだから? それともなにか理由があるのかしら。お話をしてたら、あっと言う間に時間がたっちゃった。別の国、別の時代のお話ももっと聞きたい。けど、おばばでも冬は足元が冷えるんだって。急に人間っぽいこと言うから驚いちゃったけど、ほんとにそうなら、ひざ掛けを作ってみようかな。編み物やったことないや。教わらなくちゃ。
そうそう、本当の名前は教えちゃいけないって聞いてたのに、あやうく口を滑らせるところだった。とっさに偽名を名乗ったのは、我ながらよくやったわ。わたしはアズレア、世界の理はわたしのものよ! なんてね。ふふふ、秘密の名前。
またこっそり会いに行ってみよう〟
〝ウェランとケンカした。わたしは魔法の素養があるだけじゃなくて、ちゃんと訓練だってしてる。なのにあの子ばっかりずるいよ、先生までつけてもらってさ。父さんはきっと、わたしに興味がないんだ。もし誰が見てもわかるような、圧倒的な「お手柄!」みたいなことをやったら、父さんもウェランも思い知るのかしら。ふんだ。母さんは、わたしの魔法を、一生懸命に褒めてくれようとしてくれるけど、でもやっぱりあんまりわかってはいなくて。わたしが何をしても「すごいね」って「自慢の娘よ」って言うんだと思う。それは、なんだか、ちがうなって思ってしまう。やだな、こんなの。いやになる。
〝母さんから手鏡をもらった。おなかいたい。いーい-い-。月のものって、こんなに痛いの?〟
〝(これだけじゃあんまりだと思いました。なので追記します!)母さんの家の、おばあちゃんのおばあちゃんの代から引き継がれた永久鏡ですって。それなのに傷ひとつないなんて。しっかり首にかけてなくさないようにしなくちゃ〟
”ウェランはどうしてわたしの持ち物勝手に触るの!? もう、せっかくの日記があいつとケンカしたことばっかりになる!”
〝やった! 王族猫だ! やったぁ!
嬉しくてはしゃいでたら怒られちゃった。猫に。寒いから早くしろって。使い魔なのに。やっぱり猫も王族だと偉そうなのかな。でも、やったぁ! 名前どうしようかな。ケト? リールー? リールーの方がかわいいかな。生意気そうな猫だから、かわいいほうの名前にしてやる。なんて呼ばせようかな。主人? あるじ? 「我が君」とかどうかな。「我が君よ」ってかしずかれるの(かしづかれる? どっちだっけ? まいっか)悪くないんじゃないかしら〟
〝あるじになった。呼び方ぐらい選ばせてはくれぬか、だって。名づけが安直すぎって文句も言われた。わたし、リールーとうまくやっていけるかなぁ〟
〝脚の成長を促すためだと言って、父さんが、折った。ウェランの脚を。骨を折った時にだけ呼び出せるモノが在るって。ウェランは顔が真っ青で、わたしは、驚いて、父さんを責めて、母さんにぶたれた。母さんに。父さんの気持ちも考えろって。母さん、だって、でも、ウェランの顔、あんなに真っ青で。まだ震えが止まらない。どうすればいい。どうすればよかったの〟
〝灯火。ともしび。この緑色の火がきっと希望の火になるわ〟
〝明日の事を考えると、眠れなくなりそう。わたしの人生で(人生だって!)一番の冒険よね。でもこれは遊びじゃなくて、ほんとうに人生を変えちゃうような一大事になると思う。
わたしだけじゃなくて、父さんや母さんや、ウェランの人生も変えてしまうと思う。脚が治ったら、ウェランは喜ぶかな。父さんもわたしを認めてくれるかな。母さんは、わたしが変わっても「自慢の娘よ」って言ってくれるかな。
きっと大丈夫。わたしはまだ子どもに含まれるはずだから、きっと大丈夫〟
※ ※ ※
「リールー、閉じていい?」
(充分だ、ありがとう)
ユエは日記を静かに閉じた。
毎日かかさず、というわけでもなく、何日も忘れられたかと思えば、急に再開したりする。
(気分にムラのある娘であったから)
とリールーは言った。
落ち付いた光が差す、黄色い花の壁紙に囲まれた「あの子」の部屋。
何もせずに、このままいつまでもベッドに座っていたくなる。
ウェランの絵に付き合っていない間は、リールーの行きたがる所に行った。「母さんを知りたい」と言ったのも、ユエ自身のためというよりは、リールーに見せてやりたいからだった。
例えば、食堂に飾られた夫妻の肖像や写真だったりした。
例えば、庭に生えた一本の木だったりした。
その場所であの子の感じていた気持ちが、残っている。
ユエはその気持ちを受け取ってまわる。
――リールー、わたしは、やっぱり、あの子にはなれないよ。今のわたしはリールーと一緒になってから始まっていて、魔女を何とかしようとしているのがわたしなんだ。いろんな事をなくしてしまったけど、それだけが変わらない。でも、その前の事にはね、つながっていかないんだ。わたしは、もう、別の人なんだよ――
夜明けを待つ屋根裏でそう打ち明けた。わかってほしくて、ユエがさらに言いつのろうとすると、右目はふるふると震え、言った。
(いや、よい。わかるよ。そんな気がしておったよ。――あの冬の日にまるまると着ぶくれして、真っ赤な顔で、鼻をすすりながらはしゃいだ魔法使いの小娘は……もう、私の思い出の中にしか、いないのだな)
あの子に会った事があるのは、ウェランと、リールーと、あとはこの世に何人いるだろう。
見上げれば、なんということのない、しかし胸に迫る天井。
毎晩寝る前に、朝がきて目を覚ました時に、または眠れなかった夜に。
あの子がこの天井を見るたびに重ねられてきた気持ちが、今、しっとりと降ってくる。
誰かの思い出の中にしかいない子が、かつて感じていた気持ちのかけら。
「わたしがいま感じてるのは、あの子の亡骸なんだろうね」
ユエはベッドに仰向けになった。
幼く、若々しく、もう帰らない少女の心が降り積もる。切なさに目を閉じてしまいたくなるのを、こらえた。
せめてもの弔いに。
※ ※ ※
「遅くなって、ごめんなさい」
エスタシオ夫妻の墓碑へ声をかける。
ウェランの描いたユエの肖像には、明るい色、特に黄色がふんだんに使われていた。きれいな色だと言ったら、こう教えられた。
「昔からある調色で、アマリラという色だ」
ユエは人生で最も肝を冷やした。
リールーは固まって
ウェランは絵に集中していたからか、気づかずに続けた。
「
夫妻の墓碑に新たな字を刻むのはさすがに
「きみの名前、わたしも好きだよ。いい名前だと思う」
書きながら、あの子へ声をかける。
「きみは、きっと、間違ってた。けど、あとはわたしがやっておくからさ。もう心配しないでいいよ」
立ち上がり、束ねた髪を左手で掴んだ。
「猫の爪は、鋭い」
ばつりと切った髪の束に赤い
「
「おいでませ、
火が羽化し、炎が羽ばたいた。
蝶の羽に髪が燃え尽きて、灰になり、いくらかは風に乗り、いくらかは土に刻まれた簡素な墓碑銘に降った。
「安心して行っておいで、アマリラ」
離れて待っていたセレーランに声をかけ、案内に礼を述べつつ、彼女の話に相づちをうちつつ、墓地から去っていく。
エスタシオ夫妻の墓碑と、そのすぐそばに書かれた墓碑銘に、木漏れ日がまだらに光る。
〝アマリラ・エスタシオ 放浪を終えてここに帰り ここよりまた旅立つ〟
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