15. 針金雀枝

 銃声、六発。ユエの脚に熱い痛みが走り、とっさに少女を引き寄せた。一呼吸置いてまた銃声が六発。少女を抱え込むように庇う。

 老婆の塊が緩んでいる。小銃の弾は容易に老婆を貫通して届く。

 銃声、六発。右耳と左肘に激痛。

 うめき声をあげながらも、頭を下げ、右目リールーを腕で覆い、歯を食いしばる。胸のあたりで少女の悲鳴がくぐもっている。

 死なせたくない、と強く思う。

 この子は、あの子だ。

 あの子は死んだ。

 この子を死なせてしまっては、だめだ。


猫纏ねこまといを解け! 解いて、王族猫ケトリールの通り道へ逃げろ! ユエ!) 


 銃声、六発。


 リールーの叫びに、ユエは答えられなかった。

 背中や腰に弾を受け、痛みに悲鳴を上げた。

 あんなにしぶとかった老婆の結合はと崩れ、見る影もなかった。


 ――金属が、弱点、か。


 銃声、六発。


 頭から血の気が引いていく。息がごぼごぼとして苦しい。四肢が感じられない。

 

(ユエ、ユエ。大丈夫だ、私がついておるぞ)

 死の淵に瀕するたび、リールーの声は切ない。

 怪我をしないように、と祝いの言葉ももらったというのに。


 ――セレーランせんせい、けが、しました。


 化け猫の強い身体は小銃の弾を受け止め、少女エーラを守った。

 放たれた三十発のうち、被弾したのは六発。そのうち一発は脾臓を割り、一発は肺を破り、さらに一発は背骨に刺さっていた。

 魔法が内側から解かれる。子宮から爆発のように熱がひろがる。

 魔女の魂が、動き出す。



  ※ ※ ※



 銃声が静まり、シュダパヒ市民がすくめた首を伸ばそうかという頃合いに、少女の歓声が起こった。

 どこから現れたのか誰も見ていない。だが気づけばそこにいた。

 後に行われた市の調査に対し、目の前にいたと答える者もあれば、離れたニレの樹の根元に腰かけていたという者もあった。軍の車に立っていたと述べた者もあれば、空中を泳ぎ回っていたと語る者もあった。


 あやし子の片割れ。子供返りした魔女の魂。下腹の居候。

 子宮の魔女が雨上がりの午後に藍色の髪を波打たせ、金と藍の瞳を喜びに細めていた。


 

〝ああ!

 母さま!

 大好きよ!


 いいのかしら

 こんなにたくさんの

 おいしそうなモノたち

 情念のこもったいい匂い!

 

 うれしい! うれしい! わたしのために準備してくれたのでしょう?


 それにここは、なんだかよい気分になるのね。

 「きねんこうえん」というの?

 そこのかた、きねんってなぁに?

 ふぅん。

 魔女がいたところなの?


 あ、そちらのかた、そのままで。

 邪魔をなさらないでね?

 わたし、とっても気分がいいの。

 だから人間の方々はおとなしくなさっていて。

 でないと、うっかり潰してしまうわ。



 ね?〟



 ハリ金雀枝エニシダが生え茂った。

 複製の老婆たちを余すところなく絡めとり、上へ上へと伸びていく。

 棘に引っ掛かった人間は拒絶するように弾かれ、硬い茎はやがてぎりぎりときしねじよじれて一本となり、ついには天をく棘の塔が公園に立った。

 黄色く、さえずる小鳥のような花が塔のあちこちに咲く。



 この日は一晩中、少女の歓声や笑い声がハリ金雀枝エニシダから聞こえていたと、記録に残っている。


 ウェランは、公園入口でプルイと合流した。娘は友人宅に泊まると言い張ったが、自宅へ連れ帰った。


 エーラは銃声が止んだ後、崩れた大猿の中から禿げ頭のけいに助け出され、混乱の続く公園から、母親の待つ家へと帰された。


 ユエは子宮の魔女の右目にいた。

 金色の右目の中で、相棒と共に見ていた。


 塔の頂上で、棘だらけの枝を渡り歩きながら、踊るようにうきうきと、やさしく口づけてはと、抱きしめてはと、子宮の魔女は複製の老婆を捕食し続けた。

 棘が魔女を傷つけることはなかった。柔らかくたわんで道を作った。

 魔女が歌えば、花が揺れた。


 ――黄色アマリロ一面の黄色アマリラーダ黄色い一輪を左手にフルール・アマリラ・エナ・モン・エスケーダ恋人の円舞を一ヴァルサ・デア・アモラーダ・エナに春咲く黄金色の中で・プリマヴェラ・ドウラーダ――


 聴く者のない塔の上で、幼い魔女は歌い、食べ、遊んだ。


 そして日が暮れ、月が高く昇る頃、来客があった。


「あら、初めましてのおばあちゃま! と、黒山羊さん? せっかく来てくれたのだけど、わたし幽霊は食べないのよ。なんだかモソモソしておいしくないの」

「よく知っておるわエ。あやよ」

「あやしご? おばあちゃまったら、おかしな言葉をつかうのね。あのね、いま、とっても美味しいモノの怪を頂いているの。おばあちゃまにそっくりなモノの怪よ。トクベツにおひとついかが?」

「それは嬉しいね。だが残念なことに、わいはモノを喰わんのだ」

「あら、そう。つまらないのね。じゃあおばあちゃま、ダンスは踊れる? 幽霊ならお年は関係ないのでしょ? わたし、いまとっても踊りたい気分なのに、お相手がいないの。ね、いいでしょ!」


 少女にねだられ、老婆が安楽椅子から立ち上がる。茜色のひざ掛けを安楽椅子に置き、しゃんと腰を伸ばして左手を差し出した。少女は差し出された手に右手を重ね、左手を老女の肩へと乗せた。

 皺深い手が少女の背を支える。

 いつのまにか老婆の瞼はしっかりと開いて、藍色の瞳が見つめていた。

 ハリ金雀枝エニシダの花が歌い、枝鳴りが三拍子を打ち、月下で老女と少女が踊る。

 滑らかに回り、軽やかに切り返し、丁寧に足を置く。

「ふふふ、おばあちゃま、おばあちゃまなのにダンスがとっても上手なのね。気持ちがいいわ」

 踊りながら、少女の左手に力がこもる。

「でも、だめよ、わたしを食べようだなんて。リードをとるのはわたしなの」

 逆転する。少女が老女の右手を取り、腰を手で捕らえる。

「ねえ、幽霊のおばあちゃま。あなたはダンスがとっても上手だからトクベツよ」

 老女が薄く笑みを浮かべる。

「引導を渡してくれるのかエ?」

 魔女は少女の姿で艶然と笑い、老女を踊りながら抱きしめると、すふすふと喰った。

 子宮の魔女はやがて残りの老婆も食べ尽くして眠りにつき、塔の上からは、いつの間にか誰もいなくなっていた。



 ぽつんと残された黒山羊は夜明けの頃に一声啼くと、ハリ金雀枝エニシダの塔を齧り始めた。

 そうして何日かが経ち、復層長屋アパルタメントからも枝をむ山羊が見えるようになった頃。


 ユエの姿がマートル丘の墓地にあった。 



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