14. 猿、都市、化け猫

 猿型が四つ脚で駆け去っていく。遠巻きに見ていた野次馬がその先にいた。慌てて逃げようとする彼らの行く手からは、さらなる複製の老婆がさくさくと芝を鳴らして駆けてくる。

 ユエは猿型を追う。目の前で猿型の腰から下が変形して上半身を、野次馬へと勢いよく投げた。 

 残った下半身は個々の老婆にバラけて、それぞれがまた走り出す。

 化け猫は鋭く舌打ちし

「おとなしく喰われろ」

 とバラけた老婆たちを追い抜きざま、懐の蟲袋から数個のさなぎを投げた。


「おいでませ、炎蛹えんよう!」


 ユエの呼びかけに、火を抱く蛹が羽化する。

 火炎を羽根とするむし、山火事にはばたく蝶、すなわちえんちょうの羽根が複製の老婆たちを焼く。が、

(いまひとつのようだ)

「えいくそ! 人間っぽいのは形だけか!」


 飛んでいった上半身からは、無数の老婆の手足が野次馬へ伸ばされる。

 彼らの真っ只中にぐにゃりと着地しつつ、悲鳴を上げる人間をせっせと引っ張り込み、追加のろうぐんと組み合わさっていく。

 ユエは手近の老婆の頭をかじり、それでも動きが止まらない事を確認した。血や体液の類はない。痛みを感じている様子もない。

「完食しろってことね」

 と食べきる。下腹の居候から恍惚感が昇って来て、喉奥が鳴る。

 向こうで再び組み上がった猿型は、ひとまわり大きくなっていた。

 老婆の複製で量的に増え、人間を取り込んでは情念を複写して質的に濃くなる食べモノ、ということらしい。


 ――わたし、情念に満ちたモノの怪がとっても好きなの!


 それは居候の好みだ。

 腹一杯にしてやりたいだの、たんと喰うがよいだのと月明かりの魔女は言っていたが

「愛がちょっと重い」

 ユエは呟き、脚力を全開に走る。


 取り込まれた人間に危害があるのかどうか不明だ。そうのんびりもしていられない。猿は逃げる人間を次々に追っては取り込んでいる。喰われる事よりも、大きく濃くなる事を優先する性質と見えた。

 であれば、この広場を抜けて街へ向かうだろう。しかし、街の人口はどう考えたって猿型をつくる老婆よりも多いのだ。お構いなしに人間の取り込みが行われたら、どこかが破綻しそうな気がした。どこがどう、というのはわからないが、なりたちが見えている今の段階でケリをつけたい。

 追いかける。猿の脚は速い。

「おばばの塊のクセして」

 ユエの一歩一歩も飛ぶように大きいが、容易には追い付かない。

 複層長屋アパルタメントの市街地が見えて来た。公園から逃げ出す人たちを、後ろにかばうように立つ、一人の男がいた。

 

 短い黒髪に白髪の混じる、肌の浅黒い五十代半ばの男だ。

 猿型をした老婆の塊にひるむ様子もなく、腰を落として両手を前に突き出している。


 ユエの猫頭に生えた髭が、魔力の流れを感じた。

 ――あのおじさん、ウソでしょ!?

 こんな離れた所まで魔力の取り込みが及ぶとは。

 街の魔法使いだろうか。とにかく何か大きな魔法が来る。だが猿の中には娘たちがいるのだ。


「だめ! そいつの中! ヒトが!」

 ユエは叫ぶ。男の黒い瞳がこちらを見た。

 ユエは警戒して高く跳ぶ。

 そして、どずん! 

 

 と地響きが聞こえた。眼下で猿が、まるで見えない砂山に突っ込んだように、見えない泥沼にはまったように、その勢いを失った。

 猿型はなおも前進しようとし、魔法との押し合いが始まる。魔法使いが歯を食いしばって踏ん張っている。

環力魔法フィジコとはな!)

 とリールーが驚いているが、ユエの知らない単語だ。それでも、獲物の脚が止まったという事実はよくわかるし、とても大事だった。

 猿はユエの落下点にいる。

 その背中を構成する老婆たちが、迎え入れるように両腕を広げた。背中の組み合わせが開く。隙間に見えるスミレ色。また別の灰色、青、白、黄色。ユエは大きく吸いこむ。息を、そして魔力を。

 猿のどこにどれぐらいの人間が取り込まれたのかわからない。だから切断は狙わない。娘の身体を無理に引っ張るのも危ない。中から喰らいつくすには時間がかかりすぎる。

 だが、この猿のたちは明らかだ。老婆の組み合わせであるこの猿型は、バラけるのだ。


 


 ユエが老婆の沼に飛び込む。邪魔なところは齧りとって掘り進み、スミレ色の娘に両腕を回す。身じろぎがあった。暖かい。鼓動を感じる。老婆の塊が、人々から複写した情念を見せつけてくる。頭にまたたく火花や、胸を包む圧迫感に負けじとユエは叫ぶ。


「せーの!」

 ぶるぶるぶるぶるぶるぶるぶるぶ。


「せーの!!」

 ぶるぶるぶるぶるぶるぶるぶるぶっ!


「せーの!!!」

 ぶるぶるぶるぶるぶるぶるぶるぶんっ!!


 ひらける視界。雲間から差す金色の光の帯。両腕に抱えたスミレ色の娘。


「よし!」


 獣が泥を払うように、ユエの魔法が老婆の塊を振り払った。老婆同士の結合がほどけて弾かれ、バラバラに跳ねとぶ。


 そのなかに少女を見た。藍色の瞳をした、厚ぼったい瞼の少女の顔だ。老婆の集団に最初に取り込まれ、泣き叫んだ少女だ。

 彼女だけが未だ複数の老婆に取り付かれたままで、隙間から顔が覗いていた。

「たす」と動いた口は老婆にふさがれた。少女を含んだ塊が、ユエの魔法に振り払われて飛んでいく。


 あの娘を軸にして、老婆は塊になっている。

 そう理解しながら、ユエは背中から落ちた。

 大柄なスミレ色の娘と地面の老婆に挟まれて、ユエは息を詰まらせた。


 まだ依頼は完遂できていない。

 

 ウェランの依頼は「娘が中にいるから助けてくれ」だったとユエは理解している。あの時点で猿の中にいた娘は、スミレ色の娘と、猿の軸になっている娘だ。

 月明かりが言う所の「なんぞ企んどる小娘」、魔女を生み出そうとした娘も、助けなければならない。


「よせ! その猫頭はちがう! 魔法だ! 『猫纏ねこまとい』だ! 黒い老婆を押さえろ!」

 

 大きな声を出しているのは、先ほどの魔法使いだ。猿を止めて消耗したのか、額に脂汗を浮かべ、それでも精力的に声を出す。後続の魔法使いも到着しつつあり、制服に身を包んだけいや陸軍消防隊の姿もあった。


 ユエは立ち上がり、スミレ色の娘に囁く。

「ウェランさんから、お願いされて、助けたよ」

 声も出せず蒼白な顔で頷く娘を「この子、お願い!」と先ほどの男に預けた。次の娘へ向かおうとし、足元がふらつく。

「足りてるか?」

 男の手には岩塩の粒。

「ありがとう」

 ひと粒を口に放り込んで、ユエは老婆の群れを飛び越えた。

 

 魔法使いたちが、蜘蛛、草、蜥蜴トカゲ、穴、さまざまな魔法で老婆たちを押さえている。その間に、猿から放り出された人間を警邏部や陸軍消防隊が抱えて離れていく。


 記念公園と市街地の境目でせめぎ合いとなった。魔法協会、警邏部、陸軍消防隊といったシュダパヒの都市機能が集結し、魔女の複製とぶつかる。その間にも駆け寄る老婆群がいまだ在る。


 少女を中心とした塊は小ぶりな猿となって再び立ち上がった。

 その股をすり抜けざま「いぇあ!」とユエが両脚を切る。

 体勢を崩した猿の身体から、老婆の足がわらわらと出た。無数の足で追加の老婆と合流しようと走り出す。が、猿を空中へ持ち上げた魔法があった。


「たかい、たかいだ! 空中なら他のバアさんも組み付けないだろ!」

 先ほどの魔法使いだ。

 ユエは老婆の塊へと跳んだ。

「なにしてる!?」と魔法使い。

「あとひとり!!」とユエ。

 邪魔な老婆を齧り押しのけ、内部へ身体をねじ込んでいく。

 あみつな、かき集めろ! アカネグモを起こせないか! と声が飛び交っている。



 混乱の中で、シュダパヒの都市機能はそれぞれ責務を果たそうと動いていた。

 惜しむらくは、彼らに対して横断的な指揮権を持つ者も、それができる者も居合わせなかったことで、この時、陸軍から最新鋭の「車」に乗って六名が到着した。


 指揮を担っている青年将校は、先日の喫茶カフェでの発砲を新聞に書かれて叱責を受けており、失点を取り戻したいと焦っていた。

 そんな中に下された出動命令であり、現場に到着した時には、対象と思わしき化物が宙に浮いていた。

 将校の目には「手柄」と書いてある的に見えた。

「構え! 目標、中空の物体! 全弾――」

 銃の遊底ボルトが引かれ、初弾が装填される。火線の向こうは公園の空、誤射の危険は極めて少ない。


「よせ!」

 と魔法使いが叫ぶが、将校までは声が届かない。



 ユエは老婆の塊の中、ついに少女の身体を掴んだ。

 痩せた腕が反応して、もがき、力いっぱい掴み返してくる。

「た、助けて……助けて……」

 猿の中心。さっき顔を見たばかりの少女だ。

「そのつもりで、来た」

 少女の顔がゆがむ。これは泣くんだな、とユエにも予想できた。子供だ。どうしようもなく子供だ。

「魔女になんか、手え出したらだめだよ」

「ご、ごめんなさい……ごめんなさいぃ、ごえええええん、ひえええええ」

 と泣きじゃくり始めた子供を、ユエは持て余す。

 この子の情念も、猿に見せられていた。

 例えば、スキットルに酒精アウカホルの魔法を仕込んでウェランにつけ込んだ事を、薬を飲んで月の巡りを止めてしまった事を、魔女をよみがえらせようと思った事を、後悔していた。今の恐怖から逃れたい一心で、無かったことにしたいと望んでいた。

 その幼く、愚かな後悔をユエはわらえない、責められない。ただ、言わずにはいられない。


「バカだね、ほんとうに」

 


 号令。

「撃て!」

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