5. セレーラン

 セレーランは名乗り終わると「お嬢ちゃんのお名前を教えてください」と続けて、簡素な丸椅子に腰掛けた。


(はて、セレーラン?)

 というリールーの呟きは気になるが、いま右目と話してみせるのは賢明でないように思える。迷っていると、再び名を聞かれた。

「私のいうことはわかりますか? お名前を、どうぞ」


 頷いて、理解していることを示す。ともかく名前ぐらいは教えていいだろう。

 

「……ユエ」

「なるほど、ヨァちゃんですね」

「ユエ」

 うんうんわかってるよ、といった感じでセレーランがうなずく。

 「わかってないです」と言いたかったし「発音が違う」と指摘したかったが、数十年ぶりの西の言葉は思ったように出てこない。話そうとすると慣れ親しんだ東の言葉ばかりが浮かんでくるのだ。


「目を覚ますかどうか、と思ってましたけど、まさか喋れるほど元気とはねえ、素晴らしい。はい、では、傷の様子を見ますね」

 聞くのは問題なくできた。ユエはひとまず怪我人らしくすると決め、様子を見る。

 医者と助手の二人が寝台の両脇に移動して、シーツと毛布が静かに取り去られた。



 包帯を解くには体を動かさなければならないので、そのたびに腹の傷が激しく痛む。ユエが落ち着いたところで、「ほらほら」と言わんばかりにセレーラン医師は患者の腹を指した。


「見えますか? ここが一番ひどかったところです」


 助手の手を借りて頭を起こすと、へその脇に縫い目が走っているのが見えた。

 他にも、胴や腕のあちこちに黒く小さな縫い目がポツポツと盛り上がっている。縫うの上手いな、とユエは他人事のように針の跡を数えた。

 医者と助手は軟膏を傷跡に塗り込み、包帯を巻き直していく。


 再びの痛みに歯を食いしばりながら、ユエはふと、在りし日に夫婦で釣った魚を思い出した。


 ――コイ。まな板の上の。


 包帯だらけの裸身をベッドにのせて、見知らぬ人間にされるがままだ。


「君は撃たれてたのね。撃たれた。わかる?」

「あー、てっぽう?」

「そう。鉄砲。イゥエちゃんをウチに運び込んできたのが私の従兄いとこなんだけどねぇ、なんでも、鉄砲の音がしてイゥエちゃんが上から落ちて来たんだってさ」

「ユエ」

「うんうん。従兄はカフェのテラス席にいたそうなんだけど、あそこって布の張り出し屋根があるから、それを突き破ったってことだろうね」


 そんな屋根あったっけと思ったが(言われてみれば)とリールーが言うので、あったのだろう。


「あそこのカフェはテラス席に軽銀アルミニウムのテーブルを使っているんだけどね。それも君が落ちてきてペシャンコになったって。折れた脚が刺さらなくてよかったねぇ。結果的には張り出し屋根と軽銀のテーブルが君を守ったよ。でも、グラスやお皿の破片が腕や胸に刺さっちゃったのはね、仕方ないよね。いっこいっこ抜いては縫って抜いては縫って、大変だったんだよ?」


 噛んで含めるようにセレーランが言う。お金の話かなと思ったが、そうはならなかった。

 

「お腹のこの辺りには腸が詰まってるんだけど、腸ってわかる?」

 頷く。

「鉄砲の弾が君の腸にちょっと穴をあけてたので、弾を捜して取り出しつつ、その穴も縫い合わせて塞いだりしたのね」

「なんで生きてる……?」

「それは、まあ、人類の医術の進歩やら、君のがんばりやらだよ」

「あー、あー」

 そっちじゃない、に驚いたのだ、と伝えたいがセレーランが話すのに追いつけない。


「あ、縫うのに使った糸はこれ。動物の腸でできてるの。腸で腸を縫ったわけだ。銀蜘蛛プラタラクネの糸の方が予後がいいんだけど、魔法協会さんの方でも品薄らしくて、手に入らないんだよねぇ」


 銀蜘蛛プラタラクネはユエも知っている。糸が優秀な包帯になる蜘蛛のモノ。

 セレーランの語りは続く。


「ま、なんにせよ、お腹の中の糸はそのうち身体に吸収されちゃうから心配しないでいいよ。君は至近距離で撃たれたようだけど、撃った人はこう、しっかり狙えてなかったのかな。それとも君の腹筋が強いのかな? とにかくずいぶん浅い所で弾が止まってたんだよね。国中探してもイェちゃんより運のいい人いないと思うよ」

「ユー、エー」

(わざとじゃあるまいな)

「うんうん。じゃ、鼻の詰め物抜こっか」

 とセレーランが助手に目配せした。

「ずいぶん変わった瞳をしているね。生まれつき?」

 そう思ってもらえれば、と頷く。

「あとでゆっくり見せてもらっていい?」

 それは嫌なので首を振る。

「あらそう」

 助手が無言で鑷子ピンセットを鼻に伸ばして来る。


 ずるずるずるずる、ぬる。


「イぅエエちゃん、従兄はね、あなたを実の娘だと思っていたよ」


 ずるずるずるずる、ぬる。


「だから、お酒にも多少感謝をしてもいいのかもしれないね」

 なんの話かわからないが「ユ、エ」と訂正は入れた。


 鼻血に黒ずんだ長い綿棒が琺瑯ほうろうの角皿に並ぶ。あんな長いのが、と驚くユエの鼻を、助手が清潔な手巾ハンカチで拭いてくれた。

「はい、チーンと」

 と鼻もかんでもらう。


 ――小さい時ってこんな感じなのかな。


 ユエは自分の幼少期を思い出せない。子宮の魔女に喰われて持っていない。

 セレーランはまだ喋っており、だんだん聞いているのもしんどくなってくる。


「――その従兄なんだけどね、五十を過ぎてから酒の量が増えてね。私も医者なので、飲み過ぎは良くないなんてことを注意したりもするんだけど、その従兄が泥酔してね、馬車で君をうちに担ぎ込んで来たんだ。僕の娘が死んでしまう、娘を助けてくれってね。で、酔いが冷めたらゲッソリして出ていきました。『実の娘と見間違えるとは。僕の目にはガラス玉でも入ってるのか』って。だから酒はやめろと言うんですが、まぁ人ひとり助けたんで良しとしましょうか。そういうわけでね、ユエちゃん」


「はい」

(言えたな)


「君は泥酔した従兄のカン違いで助かったわけだから、街で見かけたらお礼を言ってあげてくれますか?」

「だれ? イトコ、だれ?」

 急な状況の変化に加え、今の体調もあって頭が追い付かないが、目の前の女性とその従兄に恩義があるのはわかる。「街で見かけたら」などという偶然に期待するなどとんでもない、探し出してでも礼をしなければ、とはユエも思うのだ。


 セレーランは答えた。


「結構有名な版画家ですから、すぐ見つかりますよ。遊劇場キャブレのポスターとか、最近は本や新聞の挿し絵なんかかもやってるんでね。あー、まー、私の所にもそのうち来るでしょうから、その時でもいいんですけど」

「なまえ」

「うんうん。ウェラン・エスタシオって言います」

(なんだと!?)

 リールーの大声が骨に響き、ユエは顔をしかめた。

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