4. わたしだけが

 夢だ。

 夢を見て泣いた。

 というのは目を開ける前にわかった。

 まず感じたのはと主張する左腹。

 体全体の痺れたような鈍さ。

 鼻の詰まり。


 目を開けると、暗がりに古い木組みの天井が見えて、右の視界がびくっ! と波打った。


(おおおお、ユエ!)

「リぃ!! ぃいっだぁ……!」

(大丈夫か!?)

 痛みと安堵の涙が滲んだ。

「あ、あんまり、大きな声出さないで。骨が震えて鼻の奥がズキズキする」

(―――――喰――――――あ――――、――――――わからん。何―)

「もうちょっと大きな声でも、大丈夫。ごめんね」

(強烈な光を喰らった覚えはあるのだが、その後は全くわからん。何があったのだ?)

 思い返す。

「ええと、目がくらんで、壁にぶつかって、そのあと何か強烈なのくらって――それから、落ちた? 落ちたね。リールーはなんともない? リールーだけ気を失うなんて初めて……だよね?」

(初めてのことだよ。暗闇で瞳が開いていたからかな、まるで光に頭を殴られたようだった。なんだったのだあの光は)

「まったくだよね。リールー、平気?」

(今は不調は感じぬが……細かなゴミが浮いているように思える)

「ほんとだ、なにこれ。洗えば治るのかな……」

(見るのに支障はあるまい)

「そういう問題じゃ!」



 悶絶。



(そなたの傷こそどうなのだ)

「……ひどいのは、おへその左あたり。中にっちゃいハサミでも入り込んだみたいな……動かすとすごい痛い。他は、打ち身とか切り傷の痛みがあちこちにある。あと鼻。地味にキツいし何か詰められててイライラする。全部ひっくるめても、いざとなったら気合で乗り切るよ」

(無茶を言うな。怪我をするといつも熱を出すだろうに)

「だから、いざとなったら、だよ。誰かに助けてもらったのは確実だけど、まだ安心できるかわからないんだもの。シュダパヒに着いて一晩でこのざまってなに? が何かした気配は感じなかったんだけど、油断したのかなぁ? リールー、わたしが眠っている間に何かあった?」

(二度ほど誰かが様子を見に来た気配はあったよ。だが、それだけだ)

「そっか」


 ユエは慎重に首を傾け、辺りをうかがう。これだけの動きに、全神経をつぎ込まなければならなかった。 

 暗がりでも、右目リールーの視野は明るく物を見せてくれる。

 小さな石造りの部屋、自分が寝かされているベッドと、枕側に窓が一つ、足元側には扉。右目の視界に浮いたほこりに、ユエは唇を噛む。

 壁際に旅行たびこうと平笠があるのを確認して、一息ついた。


 手の指、脚の指から順番に動くかどうかを確かめる。動きの鈍さや痛みはあるが、動かせない部分はない。手鏡を出して顔も見たいが、鈍い手足でベッドを降りて行李のところまで……と想像して諦めた。


 ――運が良かったよね。


 腹に衝撃を受けた時には、「猫纏ねこまとい」が解けきっていなかったように思う。かなり高いところから落ちたはずだが、猫状態は落下にも強い。これも幸運のひとつだ。


 事実を確かめるように声に出した。

「わたしの怪我が治ってないってことは、魔女は出なかったんだ」


 ユエは子宮に魔女がいる。

 「月明かりの魔女」の子が寄生している。

 宿主ユエが命の危機に瀕すれば、魔女の子は目を覚まし、宿主を完璧な状態まで治し、埋め合わせのように捕食を行うのだ。

 喰われるものはユエの魂ひとかけら――つまり記憶や思い出と、周囲に在るモノたち。


(すんでのところで救われたのだな。そなた自身も、周りの者らも)

「うん。あの場にはモノたちの姿もなかったから、確実に『発酵』が起こったと思う」


 モノの怪、あやかし、妖怪、妖魔、精霊、妖精などの不思議なモノたち。周囲にそういったモノたちが十分に無ければ、子宮の魔女は生き物を――たいていの場合は人間を――モノの怪に変えて代わりとする。その過程を、魔女の子は「発酵」と呼んでいた。


「命に関わる傷だと思ったけど、助かっちゃったよ。西こっちに来てから驚くことばっかり」

 傷に響かないように、ゆっくり息を吐く。見たばかりの夢を思い出す。


「――こっちなら、クォンの病気も治せたのかな」

 わたしじゃダメだった。


 右目が、ふるるん、と震える。

 リールーの嘆息。言葉にはならない震え。ユエが夫を埋葬し、別れを告げたときにも同じ震動があった。

 

 ――わたしだけが、死なない。

 


「だめだね、弱ってる。もうちょっと寝る」




  ※ ※ ※




 誰ぞ

 お主は

 あの小娘は

 何処か

 呼べ


 呼び示せ我が前に

 霊銀エーテルの底で告げた名で

 我が魂はつがわねばならない

 私の魂と溶け合う者の名前を

 呼べ。よべ。よんでってば

 でないとおなかがすくの

 ひとつになりたいの

 おねがいかあさま

 ほんの少しだけ

 わけてほしい

 ちょうだい

 少しだけ

 ほしい

 魂が

「嫌」

「まあそう言わないでくださいよ」



 知らぬ声にユエは鋭く目を開く。リールーが驚いて目を覚ます。

 夜が明けていた。

 扉の所に、真っ白で薄手の長衣を羽織った背の高い人間がいる。声と骨からして女性、三十代半ばか。その後ろにもう一人ずんぐり気味の女性と、いろいろと積みこんだ鋳鉄の手押し車がある。

「――寝言に返事をしないでもらえる?」

 とりあえずまじない師として文句を言ったが、女性二人は顔を見合わせ、どうも通じた様子がない。

 使う言語を間違えたと気が付き、西の言葉を思い出そうともたつく間に、白衣の人間がゆっくりはっきり声に出した。

 低めの、良く響く声だった。


「はい、わかりますか? まずはお互いの名前からいきましょう。私はユベニー・セレーラン。ユ、ベ、ニー・セ、レー、ラン。この診療所の医者です」

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