6. シュダパヒに行こうと思うんだ
「シュダパヒに行こうと思うんだ」
(なんだと!?)
以前にこんなやり取りをした。
クォンの弔いを終えて、数年が経った頃だった。
夫と死別して以降、ユエの口数はめっきりと減り、ぼんやりと物思いに沈むことが増えた。リールーにとっても喪失は大きく、モノの怪騒ぎを探しては、ユエ本人と子宮の魔女の腹を満たすだけの日々が長く続いた。
そんな中、ユエが突然つぶやいた里帰り。
「里帰りというか、わたしにとっては言葉のわかる外国なんだけどね、シュダパヒ」
東の言葉でそう言うと、ユエは目の前の乙女に向かって――正確には
「塩味ついてる」
ユエが沼乙女の沼部を食べ終えた。
(ならば、今度は水飴で倒してみるか?)
「水飴に弱いモノの怪っていたかなぁ。そんなことするぐらいなら普通に舐めようよ」
猫頭の口を大きく開け、
食べやすい末端のほうから
時折、ユエは身体を小刻みに震わせ、喉の奥をくふくふと鳴らす。
――気持ちいいのが、気持ち悪い。
と泣いていたのをリールーは覚えているが、そんな時期も最初の数年だけだ。
(なあ、ユエ、本当に行くのか?)
「ダメかな」
(なぜ今なのだ。まだあそこには元のそなたを知る者も居るだろう。私が右目になってから三十、いや四十年にはなるが、父君も母君も息災であるやもしれぬ。ユエ、元の名で呼ばれてしまえば、下腹の居候は今度こそ、そなたを食い尽くしてしまうぞ)
むしり、と白猫の牙が乙女部の腰を齧りとる。
「それは、うん、そうなんだけど、気をつけてれば大丈夫じゃないかな。住んでた家さえ見つけられれば――」
(家に行くのか!?)
頭蓋骨がびりびり震える。ユエは、めしり、と乙女部のヘソ周りを齧り取る。
「魔女の魂に手を出したあの地下室に、翡翠のランプがあるかもしれない。家の人が調べに入れたとして、わたしの父親も魔法使いなんでしょ? なら捨ててないと思うんだよね」
翡翠のランプ。魔女の魂を持ち運ぶための入れ物。継ぎ目のない閉じた緑の六角柱。
月明かりの魔女も、翡翠のランプで魂のかけらを渡してきた。六角柱の中で、魂のかけらが
(しかし、しかしだ。あれが割れたのを私は見ている)
あの日、翡翠のランプは少女の手から滑り落ち、目の前で二つに割れた。そして使い魔リールーは
魔女の魂を取り込もうとした幼く未熟な魔法使いの娘は、不適格者だった。
自らの魂を喰われる痛みに絶叫し、石床をかきむしり、両親を求めて泣きわめく少女の右目を、リールーはよく覚えている。
その右目を抉りだした時の手ごたえも、今は無い前肢に残っている。
自身であった白猫が倒れ伏しているのを、少女の眼窩から見た。
少女を求める魔女の声が、もう存在しない耳に響く。
誰ぞ
お主は
あの小娘は
何処か
呼べ
呼び示せ我が前に――
ユエが続ける。
「――それでも、お腹の居候を追いだす手がかりになるかもしれないし、あとはほら、月明かりの魔女の住処を探ってみてもいいかも。元の名前を呼ばれたらまずいのはわかってるけど、まさか四十年前の女の子が今でも同じ姿をしているなんて、普通の人は思わないよ」
普通の家系の産まれではないだろうに、とリールーは振動する。
(そなたの父君は魔法使いだぞ? 年を取らぬ人間を見ても『あり得ない』とは言わんだろう。むしろどうしたらあり得るのかを調べる立場ではないのか? ユエ、先ほどから妙に楽観的と言うか強引と言うか、なぜそうもシュダパヒに行きたがる?)
うーん、と唸りながら、ユエは
「罪悪感、なのかなぁ。わたしにも家族ができて……別れてさ。そしたら、やっぱりこのままじゃ良くないって思ったんだよ。シュダパヒに住んでる人たち、わたしがそこに住んでた頃の家族には、何かしら伝えなきゃいけないんだ、きっと」
ユエは乙女部の頭部をこねるのをやめ、荷物を見回して「ちょうどいいや」と塩の空き袋に突っ込んだ。モノの怪退治の証拠品として持ち帰るのだ。
「何をどう言うのがいいのかは、思いついてないんだけどさ」
立ち上がり、ぱしぱしと尻をはたいて泥をおとしてユエは黙った。
(――ならば、始めからそう言えば良いだろうに)
「だって……反対されると思ったんだもの」
(子供かね。だいたい、私にユエを止める手段はないのだぞ)
「だからって好き勝手にリールーを連れ回したくはないよ」と、平笠をかぶる「まだシュダパヒで、ジュールさんもニュイさんも生きててくれるかな……口に出すとひどい言いぐさ」
ユエはいつからか、「父さん」とも「母さん」とも言わなくなった。
リールーだけが、ジュールとニュイの娘であった彼女を覚えている。シュダパヒで暮らした少女の、十四歳の冬至から十五歳の冬までを知っている。
少女と同じ声で出た「シュダパヒ」という単語には、リールー自身も予想しなかったほどに郷愁を誘う響きがあった。
(……ユエ、最大の懸念はそなたが元の名で呼ばれてしまう事だ。私もあそこに居ったのは一年と少しで多くはわからぬ。が、肉親である三人に最も気を付けねばならないのには違いあるまい)
「三人?」
ふるるん、とリールーは震えた。確認してよかった。
(父君と母君、そして弟君のウェラン殿だ。そなたは四人家族の長女なのだよ)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます