第13話

「京、今日は遊べる?」


 午前の授業は終わりまた迎えた春休み、今日も変わらぬ二人の昼食の時間が流れていた。


 この質問も毎日のものであり、京からすれば飽きないのかと思うほど未来は常に遊びたがる。


 ボーリングとゲームセンターは週一、ニ回は通い、京は他に行く場所を新しく探しているほどだ。


 ちなみに京は未来にボーリングのスコアを抜かれている。


「……あー、まあ、そうな」


 ボーリングのスコアは関係ないが、京の返答は芳しく無い。


 人付き合いの経験値が圧倒的に足りていない未来にも流石にその事は伝わった。

 

「……京?」


 不安な表情を浮かべる未来が首を傾げながら京の顔を覗き込んだ。


「あー、そのさ。あの噂って知ってる?」

 

 なんと言うべきかと迷った京は結局今朝の瑠夏と同じような質問の仕方になってしまう。


 京には突然「俺と未来が付き合ってる事になってるの知ってる?」と未来に聞けるような勇気はなかった。


「……あの噂?」


 当然未来に伝わるはずもない。


 なぜなら未来には心当たりがありすぎた。


 如何にぼっちの鈴代未来といえど、教室という限られた空間内に多くの人間がいるのだから噂話程度は耳に入る。


 その耳に入る内容は大したものではない。


 せいぜいが京と同程度の収集率だ。


 しかし未来は京とは正反対に集まる噂がかなりの確率で自らに関連するものなのである。


 ガーゼと包帯がトレードマーク。


 クラスの噂の渦中の人物といえばこの未来なのだから、京が気になる噂の話がどれの事なのか判断がつかなかった。


「いや、だから……あー、その」


 朝から随分と言い淀んだ瑠夏の気持ちが京にも理解できた。


 これは瑠夏も言いにくいよなぁ、などという寸感を抱きつつようやく京の覚悟も決まった。


「だから、俺と未来が付き合ってるっていう噂だよ」


「うん、知ってる」


「は!?知ってたの!?」


 京の質問に未来は何でも無い事のように答えた。


 未来がこの噂を知っていた事と、あまりにも気にしていない未来の様子に京は二重で驚くしかない。


 思春期の高校生にとって色恋沙汰の噂を流される事は、真偽はどちらにせよかなり重大な問題だ。


 揶揄われることもあるし、そのせいで関係がギクシャクする事もある。


「なんで無視してたんだ?気になら無かったのか?」


 平然とした顔でお弁当を食べ進める未来に京が問いかける。


 それに対する未来の解答は淡白だった。


「気にならないよ、その程度」


「その程度って、俺にとっては結構問題なんだけど」


 強がりなどではなく未来には本当に気にしている様子がない。


 京にとってかなりの一大事でも、当事者の片割れである未来がこの様子では否定したところで効果は薄いだろう。


 そもそも耳に入る位置で噂話をされていた未来が全く否定する様子を見せなかったこともこの噂が広まった原因の一つだ。


「言わなきゃいけないのかな」


「……未来?」

 

 ぽつりと呟かれた未来の言葉が京の耳に届いた。


 京に向かって放たれた言葉ではなく、本当に小さな声で呟かれた言葉がはっきりと京に聞き取れた。


 京には誰に対しての呟きなのか理解できなかったそれは、酷く冷たい静かな怒りを含んでいたからだ。


「わざわざ言わなきゃいけないのかな。お母さんの事も勝手な想像で悪く言って、下らない妄想で京にまで迷惑をかけるんだから」


「未来?」


「いい加減、そういうのも潰さないといけないのかな」


 あまりにも冷たい未来の言葉に京は思わず震え上がった。


 これまで京が見てきた鈴代未来という少女は、感情が希薄で怒りや羞恥の感情を持っていないかのような人間だ。


 しかし今ははっきりと怒りと不快感を露わにしている。


 それを見て京は未来が言った「気にならない」という言葉の意味を掴み損ねていたことに気がついた。


 「気にしていない」のではなく「気にならない」と言った未来は既に、色恋沙汰の噂話など気にならない程のストレスを感じていたのだ。


 京が見た未来は彼女が母と呼ぶ人物を少なからず愛していた。


 そんな未来が母に関する噂を好き勝手に言われて何も感じていない筈は無かった。


 むしろ母を慕う未来は勝手な憶測で母が酷い人間に仕立て上げられる事にいつも憤りを感じていた。


 それでも未来が何も言わなかったのは、その噂をしていた人物達が自分の友達になり得る唯一の存在という可能性があったからだ。


 だから何を言われても我慢して、事を荒立たずにいた。


 しかし今は状況が違う。


 未来には既に京という一人の友人ができているのだ。


 既に母を悪くいうクラスメイトの存在が未来にとって害でしか無くなりつつあり、それに加えて今回の噂はこれまでストレスを堪えてでも欲していた友人に迷惑をかけている。


 これは未来には到底我慢ならない事だった。


 未来の堪えてきた大きな怒りに触れた京は底冷えするような恐怖を感じつつ、それでも不思議とほっとしていた。


「なんていうか、未来ってそういう風に怒るのか。っていうかちゃんと怒るんだな」


 未来が見せた怒りは京にとってとても新鮮で、感情がどこか欠けているような未来もちゃんと怒りを感じるという事が分かり不思議と安心できた。


 そんな京の間抜けな言葉にクラスメイトと本格的に対立する覚悟を決めつつあった未来も思わず気が抜けてしまう。


「……私だって怒るよ」


「まあ、そうだよな」


 未来の怒りに触れてほっとした京は先ほどまで勝手な噂話に感じていた小さな憤りが消えてしまった。


 心の中では「何も知らず勝手な事言いやがって」と思っていたはずが今ではそのかけらの感情も残っていない。


「なーんかどうでも良くなったわ」


「本当に京が気になるなら私からちゃんと言っておくよ?」


 未来も先程まで感じていた怒りはかなり収まり、それでもクラスメイトと決定的に決別する覚悟をもって京に問いかける。


「いや、いいよ。それより未来がよかったらなんだけど、俺の友達紹介していい?」


 既に憤りが収まった京はこんな事で未来の立場をさらに悪くするべきでは無いと判断し、全く別の話題に切り替えた。


「京の友達?」


「そう。二人いるんだけど片方は女だし、そいつら誘ってカラオケに行こうよ」


 京の友達とは当然、山城瑠夏と柏木悠のことである。


 これまでは2人きりでの行動だったため個室に2人きりになってしまうカラオケは避けてきたが、京もいい加減未来の事を信用できた。


 しかしカラオケ初心者である未来と2人きりでは様々な不安要素がある。


 今回の噂話の件もあるが、自分が信頼している2人の友人ならば未来を紹介しても大丈夫だと京は判断した。


 男女二対二のならばカラオケにも行きやすい。


 未来と二人が友達になれば遊ぶ場所も増え、噂話も解消できるという一石二鳥の計算が京にはあった。


「行く」


 京の誘いに対して未来は食い気味に即答した。


 京が紹介してくれる友達というのがとても気になったし、一人ぼっちでカラオケに行った事がない未来にとって憧れの場所でもあった。


「じゃあ、今日の昼休みは一旦ここに集合な」


「うん」

 

 それから京はすぐに瑠夏と悠へメッセージを飛ばし、昼食が終わると期待に胸を膨らませた未来は足速に教室へと帰っていった。

 

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