第11話
空は晴れ渡り青を惜しみなく見せつける。
その青に焼かれる屋上で京はベンチに座り空を眺めていた。
太陽はすでに天高く折り返し地点を過ぎそうな時間。
つまりお昼休みに京は一人屋上で陽の光を浴びている。
その手に握りしめられた一枚のメモ用紙。
差出人は当然ながら鈴代 未来だ。
今朝も京が靴箱を開けると一枚のメモ用紙がいられており、前の2日で妙に慣れた京は内容を読んで大人しく昼休みが始まると屋上に上がった。
「おまたせ」
つい陽気にやられて京がふらふらしていると、屋上の扉が開かれて京を呼び出した人物である未来が現れた。
いつも通り艶のある黒い髪を風に靡かせ、白い肌にガーゼと包帯がトレードマークの少女は京の姿を確認すると声をかけながらベンチに近づいていく。
未来の声に閉じていた瞼を開いた京は昨日と同じようにベンチの端に寄り、未来は空けられたスペースにスッと腰掛けた。
そして手に持っていたお弁当入れのポーチから二つのお弁当を取り出すと、片方を京の方へと差し出した。
「本当に作ってくれるんだな」
「お礼だから。迷惑だった?」
「いや、普通に嬉しいけどさ。ありがと」
本日京は手ぶらである。
京の手に収められているメモ用紙には呼び出しの文言の他に、昼食は未来の方に用意がある旨がきちんと記載されていた。
昨日の失敗を学習して対策を実行した未来のメモの効果を受け、京は購買には寄らずにこの屋上に直行している。
完全に未来のお弁当を当てにしている京はむしろ無かったらどうしようかと思っていた。
そのため差し出されたお弁当箱に京は安堵しつつお礼という言葉に対しては後悔を禁じ得ない。
しかし思春期の少年はそんな素振りは微塵も見せずに未来のお弁当を受け取った。
そしてそのお弁当箱を開き、蓋に備え付けられていた箸を取り出して手を合わせる。
「いただきます」
京はまず何を食べようかと膝に置いたお弁当箱を見下ろした。
卵焼き、ウインナー、ミニトマト、牛肉と玉ねぎを炒めた野菜とおかず達。
そして昨日とは別のふりかけがかけられた白米。
京はおかずの中から卵焼きを選び一つを口に運んだ。
「うまっ」
お世辞ではない純粋な感想が京の口から溢れた。
砂糖で甘く味付けされた卵焼きにかけられた少量のケチャップが旨味を引き立てている。
京はついでにウインナーも口の中に放り込んでご飯をかきこむように口に入れた。
「昨日も思ったけど鈴代は料理上手だよな」
「……」
お弁当を頬張る京を横目で確認しながら自分も少しづつご飯を口に運んでいた未来の動きが固まった。
「うまっ」と言われた時に京は見逃してしまった微笑みもなく、箸も口も表情も未来の全てが止まったようだった。
その様子を見て京は直感的に自分が何か未来の気に触ったのだと気づく。
しかし何が気に触ったのかは分からず、あれこれ思考を巡らせているうちに京の動きも止まってしまった。
そのまま数秒沈黙が流れ、ようやく動き出した未来は寂しそうに俯いてしまう。
いったい何が起こったのかと不安になる京に対し、未来はひとこと呟いた。
「みく」
「……うん?」
その意味がうまく理解出来ずに京は再び思考を巡らせる。
当然「みく」という言葉が指すのが鈴代の名前である未来だと言うことは京にも察しがついた。
ではなぜ今不機嫌になり、そしてその言葉を呟いたのか。
そこで京は自分の発言を振り返り一つの仮説に思い至った。
「あー、その、名前で呼んで欲しい的な?」
「友達、でしょ?」
そう言われてようやく京は納得した。
確かに京は昨日未来のことを出会ってから初めて未来と呼んだ。
それは鈴代未来と鈴代由香という二人の鈴代がいる状況にあって呼び分けるために呼んだものだが、未来にとっては京と友人になってから初めて呼ばれた自らの呼称だ。
つまり未来は京が自分と友達になった証に名前呼びを始めたものだと理解していた。
これは幼い時からコミュニケーションが得意ではなかった未来の勝手な思い込みでしか無い。
そもそも京はとても古い友人以外は友達であろうと苗字で呼ぶ。
高校で知り合った友人達はクラス全体で浸透しているあだ名でも無ければ基本的に苗字呼びだ。
更に女生徒に至っては基本的にさん付けをする。
むしろ鈴代と呼び捨てにしていたのは近づき始めた距離感を戻すべく、怖い人という印象を持たせると言う無意識的な拒絶の現れでもあった。
しかし未来はそんな事など知りもしない。
友人の証だったはずの名前呼びが無くなり、突然京から距離を置かれたと思い一瞬とはいえ思考が停止するほどショックを受けていた。
そして何とか絞り出した疑問と訴えの言葉が「みく」の一言である。
どうしてそう呼んでくれないのかと言う疑問と、未来と読んで欲しいと言う訴え。
そんな訴えが京を激しく貫く。
なぜなら思春期の京は友人としての歴史が浅い女生徒を名前で呼ぶのがとても恥ずかしかった。
恋人のような呼び方は照れ臭いとも言い換えられるが、とにかく気恥ずかしかった。
しかし横目で見た友達だと訴える未来は京ですらわかるほどに激しく落ち込み、涙すら流すのではないかと言う顔をしている。
その表情を見て漢気を見せたいと意地を張るのも京が思春期の証だった。
「そっか……そうだな。じゃあ未来って呼ぶわ」
震えるな、上擦るなと念じながら動揺を見せず何でもない風を装って京はまた格好をつけた。
その甲斐あって未来の表情は空のようによく晴れる。
そして何も考えていない未来は自らが一歩を踏み出すことを躊躇わなかった。
「私も京って呼んでいい?」
「……おう、いいよ」
そう呟きながら緩い感情を映すように口元を緩ませる京に動揺を隠す事など出来るはずは無い。
不幸中の幸いに、未来は京の緩んだ口元の理由に気がつくことは無かった。
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