第10話

「見えたよ」

 

 言葉は無く、それでも多少軽くなった二人の空気がまた張り詰めた。


 正確には張り詰めたのは京だけだ。


 鈴代はいつも通り家に帰りついたというだけの話でしか無い。


 歩きながら鈴代が指差したのは一軒のアパート。


 住宅地の一軒と言った感じのどこにでもある二階建てのアパートだ。


 一階左右に一室ずつでその上にそれぞれ一室ずつ。


 四世帯が暮らせてるであろうというアパート普通のアパートを見て京は複雑な気持ちだった。


 女友達の家に案内された事に対しての嬉しさと緊張と多少の恐怖がよく混ぜられた複雑な感情に京は生唾を飲み込む。


 隣の鈴代が妙にスッキリした顔をしている事がより京の不安を煽った。


「2階の右だから」


 いよいよアパートの前にたどり着くと鈴代が先導して二階への階段を登り出した。


 京は二階と言われてなんとなく上げた視線をすぐさま階段へと戻す。


 京の学校の校則ではスカートはかなり長めに規定されている。


 しかし校外の女子高生にとってスカートの上を二、三度折り返すことは当然の事だ。


 それはひとりぼっちで友達もいないクラス全体から避けられがちな鈴代であっても同じ事であり、特に今日はボーリングをするにあたってスカート丈は当たり前のように膝上。


 否応なく京の脳裏に蘇る先日の目に焼き付いた鈴代の下半身。


 今度は先ほどとは違う意味で京の眉間に皺が寄り、唇が固く結ばれた。


 足元だけを見ながら階段を登りきった京を横目で確認し、鈴代がポケットから小さなぬいぐるみがついた鍵を取り出す。


 ジャラジャラと音を鳴らしながら三つついている鍵の中から一つを選び、その鍵をシリンダーへと差し込んだ。


 鈴代の手によって鍵が捻られると、カチャリという金属音が階段に響く。


 その金属音に京はまた唾液を飲み込む。


「おかえりなさい」


 そして鈴代が扉を開くと玄関先に鈴代の母、由美が立っていた。


 玄関の近くにある部屋からちょうど出てきたところに鈴代達が帰宅したのだ。


 京の耳に届いた「おかえりなさい」という言葉はとても優しく、そこには怒りや悪感情は感じられなかった。

 

「ただいま、お母さん」


 そして京の隣に立つ鈴代–––未来の表情に思わず京は見惚れてしまう。


 今まで京が見てきたどこか遠くを見ているようで無機質な表情では無くとても柔らかで、それこそ家族に対して向けるごく自然な表情だった。


 しかし京が未来に見惚れたのは一瞬だ。


 そんな事よりも先にすべき事を思い出した。


「未来さんの帰宅が遅くなってしまいすみません」


 京はすぐに頭を下げて歩いてきている途中に決めておいた謝罪の言葉を口にした。 


 京にとって由美のファーストインプレッションは優しそうな人だが、だからといって油断はできない。


 初見の印象など人としての本質を見抜くには大した判断材料にはならないのだから。


「あら、この子が未来のお友達の青山君?」

「うん、送ってくれたの」

「いい子ね!ほら、頭を上げて」


 由美は未来の言葉を聞いてとても嬉しそうだった。


 本当に怒っている様子などなく、ただの優しい母親の言葉に京も素直に頭を上げることができた。


 頭を上げた京はようやくはっきりと由美の姿を確認する。


 緩くパーマのかけられた髪と年相応そうな落ち着いた服、年齢も未来の母親として相応に見という印象だ。


「昨日も遊んでくれたんでしょ?この子ったら連絡もしてくれないから心配したけど、青山君と一緒なら安心ね」

「いえ、こんな時間まで連れ回してしまいましたし」

「こんな時間って言うほどの時間でもないでしょう?」


 京は由美をはかりかねていた。


 噂話は当てにならないとは言うが、隣で表情を緩める未来の怪我は本物だ。


 それでも和やかに笑い母親として見せる態度は未来が再三訴えていたようにとても優しいものだった。


 何かがちぐはぐなようで京には状況の全てが飲み込めてはいなかったが、とにかく鈴代の母は怒っていないという事は何となく理解することができる。


「門限も心配するからって言っておいたのに、連絡もしないんだから。未来は要領はいいけどちょっと抜けてるのよね」

「ごめんなさい」


 特に厳しくもなく娘を心配する母親と失敗を気にする娘。


 予想していたよりも穏やかな雰囲気に京はほっと安堵した。


「青山君も送ってくれてありがとうね。また遊んであげてちょうだい」

「はい、あまり遅くならないように注意します」

「それじゃあ時間も遅いから気をつけてね。ほら、未来も」


 そう言いながら由美は未来の背中をポンと叩いた。


 するとハッとしたように未来が京の方を向いて頭を下げる。


「送ってくれてありがとう。また明日」

「うん、また明日」


 最後に扉が閉められる前に鈴代は京に手を振った。


 それに応えるように京も手を振って返し、扉が閉め切られると本当に呆気なく未来を家まで送るという課題が終わりを告げた。


 京は来る時よりも軽い足取りで階段を降り、アパートを出たところで思わず大きくため息をつく。


 緊張して不安ばかりだったが終わってみれば未来の言う通りあっさりと京は許してもらえた。


 未来の怪我については謎が残る京だったが、足取りは軽く来た道を戻るように自宅へと足をすすめた。


 翌日朝京が見かけた未来にはガーゼや包帯は増えていなかった。









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