第8話

「随分暗くなったけど平気そう?」

「うん。駅から家まで遠くないから」


 駅まで歩く道すがら随分と暗くなった空を見て京が鈴代に尋ねる。

 

「よかったら送るけど」

「いいよ、それに多分お母さんが怒ってるから」

「そ、そうなのか?」


 また京が気遣いから藪を叩いて蛇を出した。


 至って普通の気遣いからかけた言葉が次々と地雷を踏み抜いていく。


 言葉のままに地雷系。


 鈴代はまるで地雷原のような女だと京は再認識する。


 しかし今更認識を改めたところで既に踏み抜いた地雷。


 爆発は避けられるものではなかった。


「門限過ぎたし、遅くなる連絡してない。来てた連絡にも気が付かなかった。多分、すごく怒られる」

「いや、え?だって鈴代から誘ったよな?何で連絡くらいしなかったんだよ」


 京は責任の所在を自分に求められたく無かったわけではない。


 ただ普通の人間ですらするような連絡を親に虐待される、家庭環境の厳しい鈴代がなぜ怠ったのか。


 京から見て優秀で要領のいい鈴代がするようなミスとは思えなかったのだ。


 その京に対する鈴代の答えは簡潔明瞭。


「知らなかったから。今まで誰かと放課後に遊んだりした事なかった。時間が経つのが早くて」


 鈴代は知らなかった。


 誰かと遊ぶ時間、何かに没頭する時間が如何に早く過ぎるのかを。


 3ゲーム目を投げ終わった時、まだ5時過ぎくらいだと思っていた。


 室内で日の沈み方が分からず、普段から家と学校を往復するだけの決まった生活リズムで活動していた鈴代にはこまめに時間を見る癖がない。


 ただ友達と遊べば帰りが遅くなる。


 帰りが遅くなる時は親に連絡をしないと親に心配をかける。


 だから友達と遊ぶ前には親に連絡をしなくてはならない。


 そんな小学生の時に学ぶような単純な事を鈴代は知らなかった。


 知らなかったから、失敗した。


 鈴代にとってはただ知らない事を失敗しただけ。


 それは当たり前のことだった。


「……いや、でも怒られるって、大丈夫なのか?」

「うん。包帯とガーゼも買ったから。平気だよ」

「それはっ–––」


 全然平気じゃないだろう、と。


 誰が包帯とガーゼの心配をするんだ、と。


 何でそんなに平気そうな顔をしているんだ、と。


 京はいろんな事を言いたくなった。


 だがそれらを言ったところで自分がそこに巻き込まれるだけ。


 そもそも問題は鈴代の家庭にあり、そんな家庭にありながら気を抜いた鈴代が悪い。


 京が巻き込まれなければならない理由などなかった。


 駅まで歩いて別れればそれで済む話。


 そして明日からはもう関わらないようにすればそれでいいと京には解っている。

 

「それじゃ––」


 京は俺は駅までで帰るからと言いたかった。


 いくら可愛くても一緒にいるだけで神経を削るような人間とは一緒にいたくないとも思っていた。


 そんな京の脳裏にいつかの光景が蘇る。


『……ケイ。最近、楽しい?……そっか、ならよかった。私も最近学校が楽しいんだ!』

 

 思い出すだけで頭が痛くなり、吐き気がするようなトラウマが京の頭を埋め尽くしていく。


『–––さよなら、ケイちゃん』


「–––ねぇ、大丈夫?」

「……え?あ、あぁ、ごめん。大丈夫」


 気が付かないうちに片手で額を抑えていた京は鈴代の言葉で我に帰り、荒くなった息を落ちつけ、袖で冷や汗を拭った。


 いつのまにか心配していたはずの鈴代に心配されていた京が首を振って思考を切り替える。


「なぁ、悪いんだけど鈴代、頼みがあるんだ」

「……何?」

「俺が鈴代の親に謝るから俺も連れて行ってほしい」


 鈴代を地雷だなんだと評価した京。


 しかし他人のことを言えるほど京は過去を気にしなくていいような人生を送れていない。


 京は京で面倒なトラウマを背負っていた。


 そのトラウマに囚われている京に鈴代を見捨てることは出来なかった。


「別に大丈夫だよ」

「流石に一緒に遊んで……その、怒られるってわかってるのに無視できないから」

「……お母さんは優しいから許してくれるよ。青山君が謝るようなことも無いし」


 鈴代としては京に迷惑をかけたく無い。


 わざわざ怒っている自分の親の元へ友達を導いて謝らせるような事はさせたくなかった。


 母に叩かれたとしてもそれは自分が悪いからで、自分に付き合ってくれただけの京に責任はないのだから。


「ごめん、わがまま言うようだけど、ここで見捨てたらもう鈴代とは遊べない。多分、顔も見れなくなる」


 しかし京の意志は固い。


 漢気や人情、同情などから来る意志では無く、ただ今の意志の根底にあるのが過去の恐怖だからだ。


 京はただこのまま鈴代と別れることがとても怖かった。


「……わかった」


 鈴代も京の意志が固いと理解し、京を家まで連れていくことを了承した。

 

「でも本当にあんまり心配しなくていいよ。お母さんは優しいから」


 隣でそう言って頬のガーゼに触れる鈴代を、京は酷く複雑な気持ちで見つめていた。

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