第6話

「–––以上の事からこの式の答えは正しいということがわかります。ケアレスミスが多かった人は注意してください」


 四時間目の終盤。


 あるものは集中が切れて眠くなり、またあるものは空腹で昼食のこと以外は頭の中から消え去るこの時間。


 いずれの人間にしてもほとんどの人間が授業の終わりを望むこの時間に、京は授業の終わりが近づくことを憂う少数派の人間となっていた。


 理由は言うまでもなくポケットの中に丸めて入ったままの紙切れのせいである。


「よし、そんじゃもう少し時間があるけどキリが良いからここまで。号令」


 しかしそんな時にこそ授業は早く終わるもの。


 その予兆を内容から察していた京は起立の号令に天井を仰いだ。


 礼の号令で覚悟を決めた京は机の上も片付けず早々に屋上へ向かう道の途中にある購買へと向かう。


 京は毎日弁当よりも購買派であり、購買で買いそびれば昼食は抜きだ。


 先に買っておけば鈴代の話がどれほどかかっても昼食を食べ損ねる事はない。


 おにぎりを一つと菓子パン一つ。


 普段よりも少ない昼食をを購入して京は屋上に向かった。


 階段を登り陽気な春風を身に浴びて京は屋上を見渡したが、四時間目の終礼が響いてすぐの屋上に鈴代の姿は無い。


 仕方なく昨日座ったベンチに腰掛け京は鈴代を待った。


 ただ待つだけでは過ぎていく時間の圧力に耐えられずおにぎりのビニールの封を切る。


 しかし間が悪いことに一口目を噛みついたところで屋上の扉が開かれてしまう。


 その音に京が視線を向ければ暗い屋上と屋上の陽光との差に目を細める鈴代が立っていた。


 鈴代はその細めた目のまま京の姿を確認し、数秒程無言で停止してしまった。


 なぜ鈴代が動かないのかと思う京もおにぎりすら噛み切れないまま固まる。


 二人の間に、少なくとも京にとっては死ぬほど気まずい沈黙の時間が流れていく。


 あまりの気まずさに京の胃が軋み出す寸前に、意識せずともだんだんと閉じていく京の歯によって引き裂かれた海苔の音で二人の時間は動き出した。

 

「待たせた、かな?」


 まさか自分より早く京が来ていると思っていなかった鈴代が京に声をかけながらベンチへと歩み寄る。


 なんとなく現在座っていた位置からほんの少しベンチの隅に寄って、京はおにぎりを飲み下し、しどろもどろに返事を返した。


「い、いや、今来たところだったけど」

 

 まるで付き合いたてのカップルのような会話だ、と京が寸感を抱いている間に鈴代はするりと京の隣りに腰掛けた。


 自分の前を通った鈴代の匂いに気を引かれながら京は隣に座った鈴代の横顔に視線を向ける。


「呼び出してごめんなさい」


 膝下に視線を落とし鈴代が呟くようにそう言った。


「昨日の、お礼を言いたかったけど、みんなの前で話しかけたら迷惑かかるから」

「……あ、あーね」


 どうやらこれは大した要件では無さそうだと京は胸を撫で下ろし大きくため息をついた。


 そのため息に鈴代の肩が震える。

 

「迷惑、だったよね」

「いや、別に全然いいけど。正直ビビったから次呼び出す時は要件も書いといてくれると助かる」

「次?……うん、次はそうする」


 安堵から無駄に寛容になった京は自分の失言に気がついた。


 終わるのならばこれで終わらせたかった関係にわざわざ『次』を作ってしまったのだ。


 わざわざ面倒な人間に関わる面倒を作ってしまったが、成績において自らの上位者である鈴代には見習うべき点もあるだろうと思い直した。 


 そう思えば学年で腫れ物のように扱われてるだけで鈴代自体に悪い噂もない。


 顔見知りくらいになってもそうそう悪い事は無いと結論をだし、京は手に持っていたおにぎりの残りを口に運んだ。



「ところでさ、それ、二つ食うの?」


 おにぎりを一つ食べ終わり、安堵から増した空腹感で物足りなさを感じながら菓子パンを開けようとした京は鈴代の持ち物に興味を抱いた。


 鈴代が屋上に持ってきたお弁当を包む袋の中には二つの容器が入っている。 


 一つ一つも決して小さくはなく、細身の鈴代が食べるにしては随分と多く見えた。


「これは……失敗したの」

「何が?」


 朝から料理に失敗して、その失敗した分を持ってきたのか。


 それとも何かしらの理由で本来自分以外の人が持っていくはずだった分をうっかり持ってきてしまったのか。


 はたまた一人分でいいところを誤って二人分作ってしまったのか。


 京の頭に様々な考察が浮かんでは消えて行った。


「こう言うの初めてで、内容に書いてなかったから」

「ん?」

 

 京の問いに対し鈴代はお弁当の一つを開きながらボソボソと呟く。


 鈴代の言葉の意味がわからず京は首を傾げた。


 その様子に鈴代がお弁当を開く手を止め、京の目を見返す。


「お礼のつもりだったけど、私が何も言っていなかったから」

「もしかして」


 ここまできてようやく京は一つの可能性に思い至った。


 これはを自らの口で伝えるのは間違いだった時の恥ずかしさが凄まじいが、それでもほぼ間違いないだろうと京は尋ねる。 



「俺の分、だったり?」


 京がそう言うと、鈴代は何も言わずにこくりと頷いた。


 そしてまだひとつお弁当が入っている袋を閉じると京と自分との間にあるベンチの隙間にそれを置いてしまう。


 最初屋上で京の姿を目にした時、おにぎりを食べているのを確認して自らの不手際に気がつき固まってしまった鈴代だった。

 

「無駄になっちゃったけど夕ご飯にでもするから。お礼もできなくてごめんなさい」

「いや、全然食べたいけど」


 昨日会ったばかりの女子からの手作り弁当。


 お礼のセンスとしては致命的だが、京は普通に嬉しかった。


 ガーゼと包帯は気になるが鈴代は京から見てとても可愛い。


 様々な事情を考慮しなければ学年、学校でも五本の指に入る程度には入る容姿だろうと京は思っていた。


 それに今はお腹が空いている。


 そこに女子からの手作り弁当が余っている。


 しかも自分の為に作ってくれたものとくれば食べない選択肢など無かった。


 というより是非も無く食べたかった。


「いいよ、無理はしなくても」

「無理とかしてないって。普通に考えて男子高校生の昼食がおにぎり一個じゃ辛いから。さっきまではちょっと胃がキリキリしてたけど」

「それは……ごめんなさい」


 京の胃を苦しめていた理由が自分の呼び出しであることを察して鈴代が謝罪する。


 確かに午前中は悪意ゼロの鈴代の行動が京のメンタルを蝕んだが、今となっては京はなんとも思っていなかった。


「そっちはいいけどさ、それ、本当に食べていいの?」

「……その為に作ったから。よかったら」

「ありがと!」


 鈴代が袋から取り出したお弁当を受け取り、手渡された割り箸を割って京はお弁当の蓋を開いた。


 タコさんウインナー、卵焼き、アスパラガスのベーコン巻き、ミニトマト、ブロッコリー、唐揚げというお弁当の仲間としてはスタンダードなおかず達と、ふりかけが掛けられた白米。


 そのシンプルなお弁当を京は感動しながら食べ始めた。


「超うまい!」


 味も美味しく、さらに人生初の女子からの手作り弁当という興奮も相まって非常に美味なお弁当を京が平らげていく。


 その隣で鈴代も黙々と自分のお弁当を口に運んでいた。


 十分ほどで京はお弁当を食べ終わり、その5分後に鈴代も昼食を終えた。


 待っている5分の間にしっかり菓子パンまで平らげ、満腹の京は空になったお弁当箱を鈴代に返し、ベンチの背もたれに背を預けて空を仰ぐ。


 春の陽気と吹き抜ける風が心地よかった。


「めっちゃ美味しかったよ」

「うん」


 食べ終わって満足した京が鈴代にそう伝えると、鈴代もお弁当箱を片付けながら答えた。


「下着よりこっちの方がいいかなと思って」

「ぐっ!!」


 油断していたところにまさかの発言を貰い危うく口から昼食が飛び出そうになりながら京は体を起こした。


「猫のぬいぐるみも貰って私なんかの下着じゃお礼にならないから」

「いや、そもそもお礼に下着を見せるなよ!!」


 京は鈴代が多少人とずれているところにツッコミを入れる。

 

「そもそも女子がそう軽々に下着を見せるものじゃないだろ!」

「でも、私のだし」

「そういう事は関係ないだろ!顔は可愛いんだからそういう事やってると変な奴らに絡まれるって!」

「……可愛い、と思う?」


 焦る京の口から出た言葉に鈴代が過敏に反応する。


 鈴代にとって可愛いと言うことの何が琴線に触れたのかわからない京だったが、勢いに任せて答えた。


「まぁ、客観的見て可愛い部類だろ」

「……そう」


 客観的にというクッションを置くあたりに自分の弱さを感じ入る京だったが、鈴代はその解答を受けて10秒ほど何かを考え込んだ。


「じゃあ、今日も私と遊びに行ってくれる?」

「……まあ、それは別にいいけど」

 

 どんな結論を得たのか鈴代は再び京を遊びに誘い、今日もバイトがない京は了承した。


 二日連続で同じ女子と遊びに行くという状況に謎の罪悪感を感じながら京は今日の行き先に思考を巡らせる。


「ボーリングとカラオケ、どっちがいい?」

「分からない。どっちも行ったことがないから」

「あー、じゃあとりあえず近い方のボーリングで」


 京の提案に鈴代が頷き、今日の放課後の予定が決まった。

 

「委員会で呼ばれてるから、また放課後に」

「了解」


 予定が決まるとすぐに立ち上がった鈴代は京の前を通り過ぎて校舎内へと続く扉の前で立ち止まった。


「お礼はお弁当でいいの?」

「……別にお礼はいいよ。遊びに行くだけだし。作って貰えたら嬉しいけど」

「……わかった。じゃあ、また放課後に」


 そう言って校舎内に戻って行った鈴代の背を京が見送る。


 それから数十秒ほど空を見上げていた京が額を手で抑えて俯いた。


「くっそ勿体ないことしたぁ」


 善人ぶった説教のせいでお礼に関して悔いが残る思春期な京だった。

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