第3話
終礼の挨拶が教室に響く。
屋上での出来事を思い返しては一日中悶々とした日を過ごした京は、終礼と同時に鞄を持ってすぐに帰宅することにした。
京は部活動には参加していない。
土日を含め週に四日バイトをしている京は、普段であればバイトがない日は帰宅する前に教室で授業内容の復習を行う。
しかし本日の京はまるで勉強に身が入っていなかった。
当然思春期の男子的な部分も悩ましかったが、それ以外にも、もしかしたら今回の件を誰かに言いふらされるのではないかと言う不安があった。
良くも悪くも悶々とした気持ちで学校にいるのがストレスになると京は決断を下す。
とにかく家に帰って落ち着きたい気分だった。
「……なんだ、これ?」
しかしそんな京が昇降口で靴箱から靴を取り出そうとした時、カサリと音を立てて二つ折りにされた一枚の紙切れが床に落ちた。
京が眉を顰めながらその紙切れを開くと、中には『屋上で待っています。鈴代』とだけ書かれている。
その文字を見た瞬間京の脳裏に色々な事がよぎった。
強請られる。
告白?
呼び出し。
一人で。
行きたくない。
それら全てを言葉にする事は京本人にさえ難しかったが、たった一つ、
(面倒な事になった)
という事だけははっきりと理解できていた。
そうは思いつつも京に行かないと言う選択肢は無い。
京は一度気になった事は解決するまでモヤモヤと引き摺ってしまう自分の性分を知っていた。
逡巡の後小さな紙切れをズボンのポケットに入れ、靴を仕舞い踵を返して屋上へと向かう。
その足取りは重く、いったい何を言われるのかと思考を巡らせながら京は屋上の扉を押し開いた。
また吹き抜ける夕暮れの春風。
反射的に瞼を閉じた京が目を開けると、鈴代は昼間に京が座っていたベンチに腰掛けていた。
鈴代もすぐに京に気がつき、風に靡く髪を手で押さえながら立ち上がる。
京はドアから手を離し、鈴代のあるベンチへと向かった。
手を離しされたドアは蝶番の軋む音を響かせながら閉じていく。
扉が閉じ終わる音が響く頃には京と鈴代は互いの手が届くほどの距離になっていた。
そこまで近づき、京は言葉が出ない。
一体何を言われるのだろうかと冷や汗を流す始末だ。
ごくりと京が唾を飲み下す音すら響く。
結局口火を切ったのは鈴代だった。
「呼び出してごめんなさい。お願いがあって」
そんなありきたりな言葉すら脅しの枕詞では無いのか。
疑心暗鬼の最中にいる京は鈴代の言葉の続きを待つ。
ほんの少しの躊躇いと共に目を逸らしながら、鈴代が再び唇を開いた。
「……遊びに、連れて行って欲しいん、です、けど」
「……はい?」
予想していなかった言葉に京は理解が追いつかなかった。
かろうじて返した返答は裏返り、その返事に鈴代が首を傾げる。
「えっと、それはその、遊びに行くから金を払えって事?」
京は混乱しながらも何とか頭を回して自分が理解のできる状況への変換を試みた。
「お金?お金は自分で出します。青山君の分も待ち合わせが無ければ私が出してもいいです」
しかし京の混乱は深まるばかりだ。
「いや、待ち合わせは……あるんだけど。え、いや、なに、どういうこと?」
「どういうこと、ですか?ただ遊びに連れて行って欲しいんです」
京も強請の類ならまだ理解ができた。
しかしまさか事故とはいえ昼間にショーツを見られた男子を相手に遊びに誘う女子がいるなど京の思考では理解ができなかった。
「え、本当にただ、遊びに?」
「はい」
しかしはっきりと問い返してみれば京の目を見ている鈴代の空虚な瞳と表情は真面目そのものだった。
躊躇いはあるようだが恥じらいはなく、遠慮はあっても思慮はない。
含むところなどかけらも無い透明な表情だった。
「何で、俺なの?」
いよいよ本当にただ遊びに誘われているという事が分かった京は新たな疑問を口にした。
鈴代とは同じ学年な事もあってこれまですれ違ったり偶然目があったりということはある。
しかしそれらは決して印象に残るようなものでは無く、出会いというのなら昼間の悪戯な風が京にとって鈴代との初めての出会いだった。
京にとって鈴代は遊びに誘われるような理由が全くない本当に赤の他人だったのだ。
「……私から逃げなかったから。みんな私と二人きりにはなろうともしない」
鈴代の言葉で京は納得した。
京にとって鈴代は遊びに誘い誘われるような相手ではない。
しかしクラスどころか学年で孤立している鈴代にとっては、ただ自分から逃げないというだけの相手が十分に遊びに誘う対象となるというだけの事だった。
(事情はわかったし同情もできる。女の子と二人で遊びっていうのに期待がない訳じゃないけど)
理解できた上で考えれば直ぐに京の答えは出た。
絶対に面倒な事になる断ろう、と。
「悪いんだけど–––」
しかしそんな決意はあっさりと砕かれる。
断りの言葉を口にしようとした京の言葉を遮り、鈴代が滑らかな動きでそっとスカートを摘んだ。
「それに–––」
そして顔色一つ変えずに本人の手によって捲り上げられる鈴代のスカート。
焦らしたりなど一瞬もなく、すぐに露わになった鈴代の下腹部。
「これで交渉できそうだったから」
言葉も息も思考も奪われた思春期の京が、いつの間にか鈴代と共に屋上を後にすることになったのは自明の理だった。
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