第2話

 

 青山 京が鈴代 未来と出会ったのは高校二年の春、桜咲く校庭を見下ろす屋上での事だった。


 進学に強いと県内で有名な程度の公立高校。


 全校生徒およそ九百人、一学年に二百八十人程の中で成績は上の下である京は学期始まってすぐの試験の結果を受け風にあたりに屋上に上がった。


 平均89.3点。


 決して悪くは無く試験の難易度から言えばクラス内でも一桁後半、学年で見ても30位程の成績である。


 しかし自らが期待していた結果よりは幾分か低かった。


 試験にはかなり前から対策をして臨み、それなりの手応えはあったが、自己の目標としていた平均90点に僅かながら及ばない。


 それは小さくとも確かな自らへの失望となり、京の気持ちを曇らせた。


 京は落ち込んだ気分を晴らす為にコツコツと靴音を鳴らし階段を登った先にある扉を開く。


 吹き抜ける涼しい風と照らす暖かな陽光。


 寒暖の調和が取れた春特有の快感に包まれた京は、それを感じる間も無く扉を開けた先の景色に目を奪われた。


 扉を開けた先にはいると思っていなかった先客の姿。


 肩上程の長さの黒い髪を風に靡かせる女生徒。


 季節変わりに見られる中間服特有のブラウスを着ていない状態での長袖のシャツと、スカートの先から見えるすらりと伸びた色白の足。


 ヒンジの放つ錆びた音を聞いてかその女生徒が屋上の扉、その扉を開けた京へと視線を向けた。

 

(三組の鈴代だ)


 京はその女生徒、鈴代 未来の事を知っていた。


 というよりも鈴代は学年の中で有名人だ。


 有名な理由はその容姿が比較的整っている事もあるが、それとは別に大きな要因が二つ。


 まず第一に成績が良い。


 一年生の時から学年での成績が一位で当たり前。


 時折二位に順位を落とすことはあったが三位以下に落ちたことがなく、平均点は常に97以上を保っている。


 秀才として有名だった。


 しかし、テストの点については話題を呼ぶ鈴代 未来は決して人気者では無い。


 だからと言って嫌われているわけでも無く、ただ誰も鈴代には関わろうとしなかった。


 その理由が鈴代が有名な第二の要因。


 鈴代 未来は母親から虐待を受けている。


(今日も包帯とガーゼ)


 誰もが見慣れた鈴代の異様な姿。


 額には頭を一周する様に包帯が巻かれ、頬には大きなガーゼを嵌めている。


 一見して異常とわかる出で立ちであり、嫌でも人目を引く。


 入学して当初はその姿から厨二病、メンヘラとクラスメイトから揶揄われていた。


 そんなある日、一人の女生徒が悪ふざけで包帯とガーゼを外した事で冗談に出来ない事柄だと知れ渡る事になる。


 鈴代の周りから人が居なくなったのはごく自然な事だった。


(……まあ、いいや)


 普段の京であれば間違いなく開いていた扉を閉めて階段を降りていた。


 虐待をされている女子高校生が屋上に一人。

 

 空を眺め風を浴びて黄昏ている。


 万が一にも目の前で飛び降りなどされては堪らない。


 しかし今日の京はテストの影響でほんの少し荒んでいた。


 鈴代が自分よりも成績上位者だった事もあり鈴代のために踵を返すのが癪に触ったのだ。

 

 京は開きかけていた扉を完全に開き、屋上へと一歩を踏み出す。


 屋上に設置されているベンチへと足を進めると、人の気配に気づいた鈴代が京を振り返った。


 その視線に気づいた京も鈴代の方を見返す。


 視線が合ったその一瞬、屋上を一際強い春風が吹き抜けた。


 屋上に吹く風は独特で、屋上に横から吹く風と校舎に当たって上方向に流れた風が下方向から吹く。


 安全のために屋上際に設置されたフェンスに手を置いていた鈴代にもその風が吹いた。 


 必然的に鈴代のスカートはふわりと捲れ、風にたなびいた。


 顕になる鈴代の白い肌、そして水色の下着。


 京の両目は無意識の視線の動きすら意識的にも思えるほどその光景を焼き付けてしまう。


 時間にしてほんの一、二秒。 


 鈴代は捲れたスカートを抑えることすらせずにただ京の方を見ていた。


 そして訪れる静寂の時間。


 先程まであれほど吹いていた風が嘘のように凪いだ。


 捲れていたスカートも元に戻り、焦る京とは対照的に鈴代は眉一つ動かさない。


「いやっ、これは流石に事故っ」


 しどろもどろに言い訳をしようとした京だったが、鈴代はその言葉を聞きもせずに京から視線を外し、また空を見上げる。


 まるで何事も無かったかのようで、そのリアクションだけは予想していなかった京は数秒固まった。


 教室に帰るか否か思考が逡巡した京だったが、ここで帰ってはバツが悪いと最初に目的としていたベンチへ腰掛ける。


 座ってすぐに京は後悔した。


 もはや先ほどまで頭の中を占めていた点数への気落ちなどかけらもなくなり、思い返されるのは先程の光景ばかり。


 健全な男子高校生であり彼女が居ない京にとってその光景はあまりにも刺激が強すぎた。


 忘れよう、忘れようと思えば思うほどに鮮明に思い出される記憶。


 本人を前に湧き出る劣情と、それでも治らない興奮に悶々としているうちに予鈴がスピーカーから響き渡る。


 京はこれ幸いと立ち上がり、急いで先程開いて入ってきた扉を開き校舎内へと戻った。


 閉まりゆく扉の隙間を京が振り返った時、鈴代はまだ風が吹き抜ける空を見上げていた。


 

 

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