四季

鍋谷葵

四季

 春。

 青いふきのとうが若い芽を出す頃、君は梅の花に目もくれず、まだ雪が残る松を一人で見ていた。友達は皆、残った雪を集めて、必死にその年最後の冬を楽しもうと晴れた空の下で笑ってる中、君だけは松のごつごつとした肌に小さい手を置いていた。

 不思議だよ。あんなに元気だった君は黙って、一本の黒松を触っているんだから。皆の中で一番明るかった君は、一人で寂しそうだ。せっかく、新しい袴を着てるのに君は楽しくなさそうだ。僕はそんな君に皆の所に戻る様に言いたかった。


「minnanotokoroni、modorouyo」


 僕の言葉はもうすぐ春風になる冷たい風にかき消されて君に届かなかった。でも、君は僕の言葉に気付いてくれた。ぽかんと似合わない呆けた顔を浮かべていたけど、君は僕の声にほんのり耳を傾けてくれた。痛そうな松から手を離して、きょろきょろと広い庭を見渡す君は面白い。土と雪がぐちゃっと混ざった地面もぴちゃぴちゃと楽しそうだ。

 だけど、君と話せないことはとても寂しい。お喋りがしたい。面白い遊びをまた一緒に考えたい。君が僕に言ってくれたとんちの利いた変わった遊びをしてみたい。

 君と僕にしか分からない遊びをしたいなあ……。



 夏。

 やまぐわに赤黒い実が成る頃、君は空の音に耳を貸さず、真緑のとげとげしい松葉を見上げていた。空は青いのに、真っ黒な煙と銀色のおっきい鳥が邪魔している。友達は皆、それから逃げるために、汗水たらしてお庭に穴を掘っているのに、君は一人怯えながらごつごつとした松にほっそりとした腕でしがみついていた。一人ぼっちで、縮こまっている君は悲しかった。

 可哀そうに。あんなに元気だった君は、茶色に汚れた木綿のモンペを着て、目に涙を浮かべながら怯えているんだから。お洒落も何も出来ず、回れ右に付き合わされているなんてとても見てられない。


「kimihakireida。konnabasyokaranigeyouyo」


 だけど、僕の言葉は空から降ってくる花火にかき消されて届かなかった。でも、君はやっぱり僕の声に気付いてくれた。うるうると瞳を涙ぐませながら怖がる君は、松から手を離して、きょろきょろと助けを求めているようだった。

 僕は君に手を差し伸べたかった。でも、僕の手は君に届かなかった。その代わり、君にはあんなにやさしかった皆の怒鳴り声が届く。皆昔より背が高いのに、痩せている。けれど、声だけは空の音よりも大きかった。

 怖い雰囲気に君は声を上げて泣き出しそうになった。でも、君はグッと我慢した。

 君とお喋りしたい。あの時、枕元で僕としていたような楽しいおしゃべりがしたい。でも、今の僕にはそれが出来ない……。



 秋。

 なめこがむらむらと山に群生し始める頃、君は僕が君と出会った時と同じ年頃の女の子の声を聞くことなく、少し皺が出来た手を合わせて、松を拝むように見ていた。松ぼっくりを両手いっぱいに持つ女の子は、君の小豆色のセーターを摘まみながらはしゃいでいる。女の子はすごく遊んでほしそうだ。僕も一緒に遊びたいな。

 でも、君は黙って松を拝んでいた。表情はとても楽しそうで、夏の頃より安らかだった。ゆったりと柔らかく笑っている君の横顔は、君のお母さんにそっくりだ。

 びっくりした。いつの間にか君は大人になっているんだから。しかも、あの時、あんなに怒っていた皆も大人になっていた。皆、皆のお父さんとお母さんに似ていた。


「urayamashiina……」


 僕のほしがりの言葉は、枯葉を乗せた肌寒い秋風にかき消されて君に届かなかった。けれど、君は僕の言葉に気付いて、ほんわかとした笑みを浮かべてくれた。お天道様が沈む前の真っ赤な光に、君の笑みは嬉しそうだった。

 乾いた土が舞い上がると、君は女の子の手を引いて、笑いながら家に帰って行った。僕は少しだけ寂しかった。君はもう僕だけの君じゃないと思うと、僕は何とも言えない気分になった。

 咳き込んで、青白くなった僕の枕元で僕と話してくれた君はもういなかったんだ……。



 冬。

 綿毛のような雪がぼとぼとと降ってる寒い寒い灰色の空の下、君は皺だらけの手で冷たい松をぶるぶると震えながら触っていた。女の子は大きくなって、君の体を支えてくれていた。

 僕は今にも倒れそうな君が心配だった。僕が寝込んでいた時と同じように、青白くなった君が心配で心配で仕方が無かった。こんな雪の中、手袋も無しに冷たい松に触って、目を閉じる君が今にも逝きそうで僕は怖かった。

 真っ白な雪の上に深々とした足跡は、空から降ってくる雪で直ぐに消えていた。君の真っ白な髪の毛の上に積もる雪を、僕は払い落としてあげたかった。でも、僕の手は君の頭に触れられなかった。


「大丈夫ですよ。貴方がそこに居ることは知ってますから。それだけで十分です」


 君のはっきりとした優しい声に僕は泣きそうになった。でも、僕は君の前で泣けない。僕は君の前からいなくなる時、そう約束したんだ。


「arigatou」


 だから、こういうことだけ君に伝えておく。

 君は僕の声にやっぱり笑ってくれた。



 何時か。

 僕と君とが約束した松の木は立派に立っている。

 大きなお庭には、しっとりとした心地いい風が吹いている。

 君は幸せそうに空を見て笑っている。

 僕はそんな君を見つめて笑う。

 

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四季 鍋谷葵 @dondon8989

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