路地裏のちょっと変わったお店
@uji-na
路地裏のちょっと変わったお店
小さな商店街の一角に、古びた帽子屋がある。
その帽子屋の店長は
少々変わっている前衛的なファッションに身を包む彼女は、シャッター通りとなりつつあるくたびれた商店街では珍しい若者だった。
「……はあ」
彼女は頬杖をつきながら溜息をこぼす。
もともとは祖父母が経営していた帽子屋を、葵が引き継ぎ店長になったのは良いものの客入りは芳しくない。
日が沈み、暗くなっていく外の様子を、彼女は店の中から眺めた。
今日はもう店じまいにしようと立ち上がってはみたものの、空の明るい夕焼けが徐々に闇色に染まっていくように、心持ちもなんだか沈んでいくような気になる。
そういった訳で、何もやる気が起きずに今日の晩御飯の準備すら面倒だと思ってしまうのである。
――そういえば、商店街の路地裏に新しく食堂が出来たという話があったっけ。
葵はそんなことをつらつらと考えていた。
それで、ますます今日は外食で済ませてしまおうという思いが強くなっていく。
物件が安かったのか、腕に自信があるのか。
わざわざ寂れた商店街の路地裏に新店舗を出すという奇妙さに、ちょっとした野次馬根性も刺激されて、彼女はその食堂に行くことに決めたのだった。
**********
――お、あれかな?
暗い路地裏に明かりが一か所だけついている。
葵が見つけた明かりに寄っていくと、木造の大きな扉が出迎える。
ランタンのような照明器具で照らされる店は、どこぞの国のカントリー調といった雰囲気がある素朴な外観だった。
聞いた話では、どこにでもありそうなただの大衆食堂らしいということだったが、話から想像していた店の姿とは大きく違うことに彼女は驚く。
――まあ、それも良いか。
と、何の気なしに扉を開けた彼女だったが、中は異様な様子だった。
客も店員も極めて妙な格好なのである。
ボロボロの布切れだけだったり、絵本に出てくるトンガリ帽子の魔女のような服だったり、全身甲冑姿だったり。
葵自身、やたら派手な柄の服やラッパズボン、珍しいアクセサリーを身に着けるものだから一般的な格好とは言い難い。しかし、それはある種のファッションの範疇に入るものだと言えるし、少なくとも彼女はそう考えている。
が、この店にいる人間の姿はファッション云々の話ではない。
もはや仮装やコスプレの類だ。しかも、彼女以外の全員がそうだから店内は仮装パーティー状態である。
それだけでも困惑する話だが、加えて店員も客も恐らく皆外国人であるらしい。
客の話す言葉は何を言っているのか分からないし、雰囲気も日本人ではなさそうである。
彼女は店内の独特の雰囲気に覚えがあった。
前に一度、インド人だかネパール人だかが経営するカレー店に行った時にも感じた雰囲気である。
「…………」
日本の何処か。山奥の秘境に代々住む田舎一族が、親族引き連れてやって来ているだけで、訳の分からぬ言葉はひどい訛り混じりの談笑だったということもありえる。皆の奇妙な格好は、開店祝いの仮装パーティーという線もなくはない。
しかし、カレー店の時の経験が、葵にこの店がカレー店と同じようなものであると確信させるのだった。日本滞在中の外国人向けの料理店を外国人経営者が開いたのだろう。昨今は、海外で日本の漫画やアニメが人気だと聞く。その手の物好き外国人が予約をとり、内輪でコスプレパーティーでも開いていたのかもしれない。
――でも、なんだってこんな場末の商店街の路地裏なんだろう。
と、彼女は思わずにはいられなかった。
とにもかくにも、邪魔しては悪い。
すぐに退散しようとした彼女に、ニコニコと笑う若い女の店員が声をかけて引き留める。カウンター席が空いているとばかりにこちらを見つめる店員に、なんとなくそのまま帰ることは
何を言っているのか分からない店員に勧められるまま席に着いた。
商店街の年配から物珍し気に見られるのとも違った、奇異の目が向けられる。
もちろん、好きでやっている自身のファッションや格好が多少好奇の目を向けられた所で気にする彼女ではない。だが、店内中から突き刺さる「場違いな奴がいるぞ」と言わんばかりの反応の中、妙にじろじろ周囲から見られては流石に彼女も委縮する他ない。
来て早々に帰りたいなと葵は思っていた。
店のメニューらしきものはどこにもないが、店員は笑顔でこちらの注文を待っているようだった。
「え……あのメニューは」
「?」
――日本語通じねえのかよ!
と思わず頭を抱えたくなるところをぐっとこらえて、彼女はちらっと他の客のテーブルを見る。ほとんどの客のテーブルには木樽ジョッキがいくつも置いているだけで、注文の参考にしようにも料理らしい料理がない。
ほとほと困り果てたところで、店員が何やら話しかけてくる。
ところが全く何を言っているのか分からないので答えようがない。頭に
とにかくうんうんと頷いているだけだった葵に、遂に店員は店の奥へと引っ込んでいってしまう。
もはや絶望的と言っていい状況だった。帰ってカップラーメンでも食べていた方がよっぽど良いと席から腰を半分あげたところで、隣の席にやけに図体の立派な男がドカリと座った。その勢いに気圧されて、彼女の腰は自然とまた席に着くことになった。
半裸の男は、ぼろきれのような薄い布を着て、その上から獣臭の漂う皮鎧を身につけていた。顔にはヤクザのような切り傷の跡があって、葵は頭から血の気が引くのを感じた。特殊メイクにしては気合が入りすぎている。もしかしたら不良外国人のたまり場なのかもしれないという考えが頭をよぎる。
――まてまて。ただの商店街の路地裏にそんなものが居るわけないだろ。気のせいだ。気のせい。
己を鼓舞するように、彼女はそう心の中で自分に言い聞かせた。
男が何かを葵に話しかけてくる。それを奥のテーブルに座る男の仲間達らしき集団が茶化す様に野次を飛ばすのだが、ひきつった愛想笑いを浮かべることしか彼女にはできない。
体は冷え切ってしまい、椅子に縫い付けられたように体は動かず、もはや彼女は、自分が呼吸さえ上手くできているかも分からない状態だった。
意味不明の言葉で話し続ける男へと愛想笑いを返す地獄の時間がしばらく続いたところで、先程奥へと引っ込んでいた店員が戻ってきた。持ってきた料理を葵の前に置くと、隣の男と少し談笑して店員は仕事に戻っていく。
どうやら、いつの間にか注文は出来ていたらしい。適当に相槌を打っていたからだろうかと彼女はやって来た料理を見つめた。
――とにかく早く食べて帰ろう。
やって来た料理は、これも見た目からはよく分からないものだった。
「……い、いただきます」
大皿に乗った、小麦色に焼き目の付いたドーム状の何かだ。表面はざらざらで硬そうな姿。木製の匙と何故か木製の小槌が添えられている。
――なんだろう、これ。……パンの一種か?
コンビニのメロンパンやスイートブールあるいは甘食を彷彿とさせる姿から、葵は料理の正体を推測する。
先っぽの方を匙でつつくと、ポロリと欠片がこぼれたのでそれをつまんで彼女は食べてみる。
――しょっぱっ!!
食べた直後の塩辛さで、葵はこれが塩だとすぐ分かった。
これは塩の塊だ。何というものを食べさせる店だ。注文で意思疎通が取れなかったからと塩の塊焼きを嫌がらせで出してきたのだろうか。と、もはや頭がパニックになりつつあった彼女を隣の男が笑う。
何がおかしいんだと睨みつける彼女を、まるで意に介さない男は木槌を手に取ってそれを振り上げる。そうして驚く彼女をよそにそのまま力強く木槌を振り下ろした。
「ひいっ!」
悲鳴が漏れて、彼女の身体は仰け反る。
果たして、塩の塊焼きは粉々に砕け、その中からは皮の付いた肉らしきものが湯気を立てて顔を覗かせた。
「…………え?」
男が何かを言った。厳めしい顔付きだが表情は穏やかに笑っていた。
――これって。塩釜焼き?
恐る恐る匙を伸ばして、顔を出した肉をほぐして口に運ぶ。
鶏肉に似ているが食べたことのない味だった。とにかくこれが肉の塩釜焼きであるというのは間違いなかった。
と同時に、とんでもない勘違いをしていたことに葵は気が付いた。嫌がらせでも何でもなかったのだ。悪い方に考え警戒していた自身の思い違いだったのだと。
隣の男が何か言っている。
先程は恐怖と鬱陶しさしか感じなかったが、よく見れば人の良さそうな笑みを浮かべている。彼女はなんだか、とても申し訳ない気分になった。
「……ありがとうございます。あ、サ、サンキュー?」
木槌で割ってもらった礼を言葉にするが、男には葵の言葉が分かっていないようだった。
それにしても。と彼女は目の前の料理をじっくりと見る。
昔、鯛の塩釜焼きは食べたことがあった。肉でもできると聞いてはいたがこんな風になるのかと彼女は感心した。
分厚い塩の欠片をどかすと、白い湯気を立てた薄皮の付いた肉が姿を現す。
つやつやとした身は驚くほど柔らかく、肉を切るとじゅわりと脂が蕩けだした。
きつね色に火の通った皮は、食欲を一層そそらせる。
それを口に運べば、程よい塩味と肉汁が口いっぱいに広がった。瑞々しい身は思いの外柔らかく、ふわふわとした食感の後とろりと消えていく。
――おいしい。
思わず頬が緩んだ。
〈路地裏食堂の謎肉塩釜焼き〉とでもいうべきこの料理。欲を言えば、酒あるいは炊き立てのご飯でもあればと葵は思う。
そう思いながらも、食べる手は止まらずに大皿に乗った料理はどんどんと減っていった。
――どこかの地鶏なのかな?
よく食べる鶏とはどこか違った味。程よく乗った脂はさっぱりとしていて、身はプリプリとしていながら、ふわふわとした食感でとろけてしまう。そして塩釜焼きによる程よく効いた塩。よく熱が通って白く立ち上る湯気と、料理の香ばしい匂い。
料理を食べ、じんわりと体が温まる頃には、大分落ち着いた彼女の心は穏やかなものだった。
隣の男を見ると、彼は店員や他の客と談笑しながら酒を飲んでいるようであった。
思えば、言葉が分からなかったり妙な格好だったりというところで気を張っていたのだろう。
心のどこかで妙な奴らだと思っていたに違いなかった。
――自分だって、商店街じゃ妙な格好の変人扱いで通ってるのにね。
少しだけ、心の中で自省した葵は木匙を静かに置いた。
「ごちそうさまでした」
彼女は店員に声をかける。
通じてはいないだろうが店員も葵が食べ終わったのだということは分かったようだった。店に入った時と同じくニコニコとした笑顔でやってくる店員に、彼女は一万円札を財布から取り出した。
客を精一杯歓迎するためものなのだろう。入店したときは面倒に感じた店員の笑顔も、今の葵には好意的に感じられた。
**********
神隠しにあったのか、そうではなかったのか。
偶然にも葵は商店街の路地裏から、全く異なる世界とでもいうべき食堂に迷い込んだのだった。
ところで、かの世界には、紙幣という概念自体がない。
食い逃げを疑われた彼女が、死にそうな思いをするまであと少し。
路地裏のちょっと変わったお店 @uji-na
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