黄鶯睍睆(うぐいすなく)

 聞けば食事は持ち回りで用意しているのだと言う。朝はユースケとササ、昼はアマネとチカ、夕はコーイチ、アオ、マシロ……という割り当てになっているらしい。


 軽い食事になりがちな朝がユースケとササであるのは、ササがあまり料理の類いが得意ではないからだそうだ。


 夕はがっつり食べる傾向にあるので、コーイチ、アオ、マシロの三人で作る。


 そして消去法で残るアマネとチカが昼食の担当であるらしい。


 寝室がある階から下がって一階に食堂はあった。本来であれば火を扱う台所――規模としては厨房か――はもっと遠い場所にあるらしいのだが、特別に食堂のすぐ隣に作られているので、料理を運ぶのはさほど大変な仕事ではないようだ。


 固いパン、野菜スープ、スクランブルエッグ、ベーコン、レタスとプチトマト。想像していたよりはちゃんとした食事が出てきたので、チカは内心でおどろいていた。


 なんとなく、もっと質素な食事をしているのではないかと想像していたのだ。服装に決まりごとがあったり、外へは出られないらしい理由があるらしかったり――。


 そこから想像するのはなんらかの宗教的理由によるものではないか、というものだったので、食事がちゃんとしたものだったことにチカはおどろいたわけである。


「冷める前に食えよ」


 配膳したユースケがそう言ったので、チカは手を合わせて「いただきます」と告げる。


 昨日は混乱していたこともあったのでお腹が空いていなかった。ゆえに夕食は口にしなかったのだが、チカの体はしっかりと空腹になっていたようで、朝食はあっという間にその胃に収まった。


 しかし朝食をたいらげたのが一番乗りだったのには、なんだか気恥ずかしい気持ちになる。しかも食堂の席にまだアマネがきていない。二度寝をしていないことを祈りつつ、ぐるりと周囲を見やった。


 食堂の席も同室者同士で固まっている。


 チカの向かい側にはマシロが座っており、彼女を挟むようにしてコーイチとアオがいる。


 チカの左隣、席をいくつか空けて腰を下ろしているのはユースケとササだ。ササは眠たげな顔をしながらパンにジャムを塗っている。それをユースケが逐次見守っているのは離れていてもわかった。


 前を向けばマシロと目線が合う。カリカリに焼いた薄いベーコンを食いちぎって咀嚼し、飲み込んだあと、口を開く。


「聞いた?」


 マシロがなにを問うたのか、チカにはよくわかった。


「幽霊なの?」


 昨晩、“城”を徘徊していたもの……あれが扉を叩く音は肝が冷える思いをした。


「わかんない。でもいるし、どうにかできるものでもないらしいし……でも、まあ、実害はないでしょ?」

「うるさくない?」

「たぶんチカたちの部屋にも耳栓あると思うよ。あとピンポイントでこっちのいる部屋の扉を叩くことはあんまりないし……って、叩かれた?」

「うん……」

「それは災難! でもそうそうないと思うよ。うん」


 そこへアマネが食堂の扉を開けて入ってくる。すでにチカは朝食を終えていたし、マシロもきれいに食べ終わることだった。


 アマネはまっすぐにチカのほうへやってきたかと思うと、粗雑な動作でチカの隣に腰を下ろした。長イスであるから、その際の振動はありありと伝わってくる。もちろんユースケにも伝わったらしく、ちらりと横目でこちら――より正確にはアマネ――を見たのがわかった。


「……いただきます」


 野菜スープから立ち上っていた湯気がなくなり始めていたころだったが、アマネは気にすることなく口をつける。


 それよりもチカはぶっきらぼうな言動ばかりのアマネでも、食事の前に「いただきます」と言うことにちょっとおどろいていた。


 悪い人間ではないということは昨夜のやり取りからわかってはいたものの、チカにはアマネの言葉は少々意外に聞こえたのだった。


「チカがいいなら今日はオレが色々案内してやろうか?」


 アマネのほうを見ていれば今度は席正面のマシロから声がかかる。そう言えば彼女の一人称はオレなのだった、と面食らいつつ思い出す。


「マシロがいいなら頼もうかな」

「じゃー食器片付けたら植物園行こう! ウメの花がほころび始めてるんだ」

「植物園? 外には出られないんじゃ……」

「地下にあるんだ」

「地下?」

「行って見ればわかると思う」


 食堂に隣接している台所へ入り、シンクに食器を置く。コンロは三口あるものが二台備わっていたが、近くにあるシンク自体はそう大きくはない。食器洗いは食事担当がする決まりのようだ。


 チカは約束通り、マシロと共にランタンを手にして地下への階段を下りて行く。地下へ続いている階段は、当たり前だが光の差し込む余地がないのでランタンなしでは下りることはできないだろう。そして天井が低い。


 本当にこの先に植物園とやらがあるのだろうかとチカが疑念を抱き始めたころ、急に視界が開けた上に、まぶしさに思わずまぶたを閉じてしまう。


 恐る恐る目を開けば、教会を思わせるひどく高いアーチ天井に、白熱電球に似た光源が並んでいた。


 そしてその下では植物が躍動している。季節柄、緑を見せているのは常緑樹だろう。それでもこの地下というロケーションに見合わぬ生命を感じさせるその色に、思わず目を奪われる。


 地下であるから寒々しいかと思えばそういうこともなく、天井に並ぶ光源からはかすかに熱が伝わってくる。それらはまるで擬似太陽のようだった。


「ほんとうに地下に植物園がある……」

「信じてなかったの?」

「いや、信じろってほうがムリじゃない?」

「そうなの?」

「『そうなの?』って……うん、まあ、そう」


 マシロは「ふーん」とだけ言ってチカの言葉に興味を持った様子はなかった。


 そのままくるりときびすを返すや、樹木群へと近づく。


「ほらほら、これがウメ! もう咲いてるところもあるんだよ」


 マシロのあとをついてチカは歩みを進める。両腕を回せば両手が触れられそうな太さのウメの木の枝に、濃い桃色の花がついていた。


 “城”の中にいても外の寒さは伝わってくるが、この植物園が外の季節に則って生きているのであれば、春はそう遠くはないのかもしれない。チカはそんなことを考えながらウメの花に顔を寄せる。


 そこへどこからともなく「ホーホケキョッ」という鳴き声が聞こえてきた。


「ウメにウグイスか。風流だね」

「でもウグイスの声、なんか近くなかった?」

「どこかから“城”に入り込んだのかな。ウグイスくらいなら隙間から入れちゃいそうだし……」


「ホーホケキョッ」とまたウグイスの声が植物園に響き渡る。それはささやかとは言いがたいほどの大声に聞こえた。


「……ウグイスってこんな大きな声で鳴くっけ」


 チカとマシロは顔を見合わせてなんだかおかしいぞ、と事態の異様さに気づく。しかしそうした判断をするのは少し遅かったようだ。


「――っ! チカ! うしろっ」

「え? はあっ?!」


 チカは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。


 それと言うのもマシロの言葉に釣られて振り返れば、がんぜない子供の落書きのような――巨大な顔から手足を生やし、妖精、あるいは昆虫を思わせる透き通ったはねを持つ怪物がいたからだ。


 顔面の全長は一メートルほどだろうか。巨大な顔は無表情のまま唇を動かすと、「ホーホケキョッ」と鳴いた。


「……ウグイスってこんなんなの?」

「んなわけないっ!」


 のんびりとしたマシロの言葉にチカは思わず突っ込みを入れる。どうやらマシロはわざとボケたわけではなく、本気で言っているらしい。どうにも彼女は本物のウグイスを知らないようだ。


「と、とにかくわけわかんないし逃げる?!」

「そうだね。退治するにしても今なにも道具持ってないし……」

「退治?!」


 次から次へと予想外の情報が押し寄せてくるので、チカは半ばパニックに陥りかけていた。


 しかしそんなチカを平静へと戻すような声がひとつかかる。


「あー……見つかんないと思ったらここに逃げ込んでたのか」


 一切の気配なくチカたちの後ろに立っていたのはアオだ。その手には長い金属製らしき棒を持っている。そしてその隣には当たり前のようにコーイチもいた。彼もまた金属製と思しき長い棒を手にしている。


「コーイチ! ……と、アオ」

「なんで俺おまけみたいな扱いなの?」

「マシロ、チカ、大丈夫か? なんもされてねえか?」

「うん、だいじょーぶ。さっき現れたところだから」

「え? 無視?」

「あれってウグイス?」

「んなわけねえだろ。って、マシロはウグイス見たことねえんだっけ」

「うん」

「え? マジで無視……?」


 ぽんぽんとテンポのいい会話を交わす三人を、チカはぽかんと見守ることしかできない。


「ホーホケキョッ」。弛緩した空気をさらに緩ませるかのように、頭だけの怪物が鳴いた。本当にウグイスにしか聞こえない鳴き声であったが、怪物から出ているのだと思うと不気味さしか感じられない。


「はあ……いいわ。俺が退治するわ」

「おっ、やってくれんの?」

「ガンバレー」

「こういうときだけ応援する!」


 コーイチとマシロに送り出され、アオは怪物に向かって駆け出す。そして容赦なく長棒を怪物の鼻っ面に叩きつけた。


「ホケキョッ!」。無表情だった怪物は苦悶の表情を浮かべて叫ぶ。しかしその顔の横についている手足をアオに振るうことはなかった。怪物は見た目に面食らうが、幸いにも暴力的な性質は持ち合わせていないようだった。


 そういうわけでアオの一方的な殴る蹴るの暴行を受けた怪物は、「キョッ!」とひときわ甲高い声を上げたあと、ぴたりと動かなくなった。


 そのころにはチカからすれば怪物よりアオのほうが恐ろしく見えた。なにせアオはチンピラのごとき威勢のいい言葉を吐きつつ怪物を殴り倒していたのだ。しかも笑顔で。


 初対面では一筋縄ではいかない人間に思えたが、今回はより恐ろしい一面を見てしまった。


 ウメとウグイスの組み合わせに春の兆しを感ずるどころか、冬の寒さを思い知るような一幕であった。

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