黄鶯睍睆(うぐいすなく)・後
「……結局、あれってなんだったの?」
ウグイスと同じ鳴き方をする、鳥とは似ても似つかない怪物をアオがしばき倒したあと。一方的な暴力行為を見届けた――見届けるしかなかった――チカはそれが過ぎ去ったあと、マシロたちに改めて問う。
ちなみに怪物は死んでいなかった。瀕死のままコーイチとアオに運ばれて玄関扉から外へ放り出された。
このチカたちの住まいを“城”と呼ぶのにふさわしい、観音開きの巨大な玄関扉は閂を内側から掛けられる構造だ。けれどもそこから先へは進めなかった。扉が大きく開け放たれていても、だ。
“城”から出られないと言うからには、てっきり外の人間の見張りでもいるのだろうかと思えば、そんなことはなかった。そういうものは必要がないのだ。チカたちは、“城”からは出られない。
玄関扉より先へは、脚がすくんだようになって、動かなくなる。なぜそうなるのかチカにはわからなかった。マシロたちもわかっておらず、ただ「そういうもの」として受け入れているようだ。
マシロ曰く、「ユースケは『暗示のようなものじゃないか』って言ってた」とのこと。
わかるような、わからないような、不可思議な気持ちになる。しかしまあ、「そういうこともあるのだ」と言われれば、なんとなく納得はできるような、やはりできないような。
腑には落ちないが現実としてチカたちはこの“城”からは出られない。
それを実際のものとして体験したのち、冒頭の言葉へと戻るのであった。
「たまにああいうのは“城”に紛れ込むんだよ」
「ああいうの……」
「バケモンっつーかなんつーか。まあでも弱っちいやつばっかりだから、殴れば退治できる」
金属製と思しき長い棒を手にしたコーイチが答える。一方、アオの棒の先はついさっき殴り倒した怪物の血液らしきもので汚れていた。「あーあとで拭かなきゃ」などとアオは至極面倒くさいといった調子でぼやいている。
そんな中、マシロがコーイチの白い服をちょいちょいと引っ張る。
「ウグイスじゃないんだ?」
「違うって言っただろ。ウグイスってのはもっとくすんだ緑色っていうかさー……。図鑑! 図鑑で見ろ」
マシロは本当にウグイスを見たことがないようだ。
「でもなんでウグイスの鳴きマネ? をしてたんだろう」
チカが素朴な疑問を口すれば、明後日の方向を見ていたアオがこちらを向く。その口元にはにやにやとした笑みが浮かんでいた。イヤな笑い方だなとチカは思う。
「ウグイスがああやって鳴くのはメスを呼び寄せるためらしいぜ」
「求愛の声なんだ」
「じゃあ、あの怪物はオス?」
チカは怪物に性別があることなど考えもしなかったので、マシロのセリフにちょっとおどろいた。そんなマシロの言葉に、アオは我が意を得たりとばかりに、にやにやと笑ったまましたり顔で言う。
「オスならメスをおびき出そうとしていたってことになる。よかったなー、俺らがすぐにきて」
「は? マシロたちはコナかけられたってことか?」
「そのたとえは適切なのかな……」
アオの言葉に反応したのはコーイチだったが、なんとも言えない表現をされたのでチカの眉が思わず下がる。
コーイチはと言えば、冗談などで言ったわけではなく、マシロが求愛をされたのだと解釈して本気で憤っている様子だった。
チカはコーイチなど、アオよりも常識がある人間ではないかと考えていたが、それはどうやら少々的外れであったらしい。
しかしマシロはニコニコと笑顔だ。コーイチが独占欲を見せてくれたのがうれしいのだろう。
「オレにはコーイチとアオだけだって」
「けどムカつく。おれも殴っときゃよかった」
「あれ以上殴ったら死ぬだろ~。コーイチ、馬鹿力だし」
果たして怪物はチカとマシロに求愛するためにあいいう鳴き方をしたのだろうか。
怪物が人語を解するかは定かではないし、そもそも怪物はすでにこの“城”にはいない。
真実は闇の中である。
例のウグイスと同じ鳴き方をする怪物をコーイチとアオが外へ放り出したあと、エントランスホールにアマネが顔を出した。その手にはコーイチとアオ同様、金属製と思しき棒が握られていた。
「なんだアマネ、もう終わったぞ」
コーイチの言葉を受けてアマネは軽くうなずき、「知ってる」と答えた。相変わらず表情はどこか苦々しげで、言い方もぶっきらぼうだ。
アマネのそういう態度は、チカ限定というわけではなく、彼はだれに対してもこんな感じらしい。
コーイチが特に気分を害した様子が見られないのも、チカのそんな想像を裏づけているようだった。
ただ、アオはあからさまに興味を失したような顔になる。コーイチはアマネの、いいとは言えない態度なんて気にしてはいないようだが、アオは違うのかもしれない。
一方、マシロはなぜかうれしそうな顔をしてバルコニーめいた二階部分にいるアマネを見上げる。
マシロが人懐こいのは短い間でもよくわかっていた。他方、アオは人懐こそうな顔つきの割には実際はそうではないらしい。コーイチやマシロとは親しげだが、ふたり以外となると途端に目が冷たくなるのだ。
現に、アオがちらりとアマネに視線を寄越したその温度は、チカから見てもなんだか寒々しさを覚えた。
「心配してきてくれたんだよね?」
マシロが笑顔で言う。暗いエントランスホールだったが、不思議と遠くからでもアマネの眉間にしわが寄るのがわかった。
「そんなんじゃない」
アマネは否定の言葉を口にしたあと、ぷいときびすを返して廊下の暗闇に消えてしまった。
「チカのこと心配してたんだよ、きっと」
ニコニコ笑顔のマシロがそうささやいたが、チカには信じがたかった。
アマネが悪い人間ではないだろうということは、なんとなく思ってはいる。しかし特別己を気にかけてくれているとまではチカが考えていなかったので、マシロの言葉もぴんとはこなかった。
しかしチカが記憶を失う前からアマネとはルームシェアをしていたのだ。おまけにベッドまでシェアしていたのだ。
となればもしかしたら記憶を失う前の自分と、アマネは親しい間柄だったのかもと想像をするのは、なんらおかしなことではないだろう。
ただ今のチカにはアマネに関する記憶がほとんどないわけで、マシロに言われても「そうなんだー」という薄い反応しか返すことができない。
「ところで三人が持ってる棒ってなに?」
チカはマシロの言葉を打ち切るように問うた。
金属質の輝きを持つ長い棒は、先ほどアオが怪物を打ち倒す際に使っていたので、武器の類いだろうということくらいは見当がつく。
「退治のときに使う棒」
「……ひんぱんに使うの?」
万が一の防犯用に手の届く場所に置いてあった可能性もある。というか、そうであって欲しいとチカは思ったのだが、その願いはマシロの言葉でもろくも崩れ去った。
「まあそこそこ。日課ってほどじゃないけれど、一週間に一度くらいは使うかも」
「結構な頻度だね……」
チカは内心でがっくりと肩を落とした。どうにもこの“城”は安全な場所ではないらしい。
「でもいい運動になるよ!」
そんなチカの様子を察したのか、マシロがフォローになっていないフォローを口にする。
そこへアオが言葉を続ける。
「“城”でできることって限られてるし、退治もまあそこそこ娯楽みたいなもんだよ」
アオはマシロと違ってフォローするつもりなどないのだろう。ただ淡々と事実を述べる。そんな声音だった。
コーイチはそれに同意して、
「退治か、あれば内職、それ以外は読書とか……マジでそれくらいしかやることないんだよ」
と、呆れ顔で言う。
“城”での日常などチカはまだ考えたことがなかった。しかし外に出られない、閉じ込められた状態で出来ることなど限りがある。そのことに今さらながら思い至り、ひとによってはその日常は拷問に等しいのではないかと考えた。
果たして己はそういった日常に苦痛を覚えるタイプなのか……。チカの脳裏に「先行き不安」という言葉が浮かんだ。
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