第507話 不死鳥の羽音


「なんでここに……ここは何処で、俺は一体どうなって」

「時間が無いから、要点だけをキミに伝える」


 目を白黒させたダルフへと微笑みながら、美しき姿へと立ち返った天使は彼の頭に掌を置いた。


「全ての命運をお前に託そう……ヴェルトの息子ダルフ・ロードシャインよ」

「それはどういう……」


 神聖なる大翼がダルフを包み、その頬を撫で上げる。見上げた先には、母の様な温もりを感じさせる天使の瞳があった。


「私のを君に授ける。とはいえ人の身であるお前に、この力の全てを行使する事は叶わないが、同じ条件ともなるあの悪逆に抗う事は出来るだろう」

「授ける……そんな事が……?」

「私を象徴する最大限の力は何だった?」

「それは、天使の子を指名し、都を治めるだけの力を……っ」

「そうだ……私にとって最大限の力とは、この力を人類へと授ける、その事なのだ」

「……!」


 ミハイルはこの世界に“生命の樹”のセフィラになぞらえた9人の天使の子を配置し、彼等に人ならざる力を与えて統治させた。神に課された使命、三度目のエデンの管理の為に……


「どうして俺に……俺なんかに」

「目には目を、毒には毒を……大罪には大罪をだ。どうやら奴を堕とす事は、同じ土俵に立たねば叶わないらしい」

「ですが、ですが俺の体は老いさらばえて……っ」

「出来ないのかい?」

「……!」


 悪戯っぽい天使の目線に応える様に、ダルフは強く歯噛みしながら首を振って見せた。


「出来る……いや、やってみせる!」

「フフ……」

「どんなに惨めで哀れな姿になろうとも、この目に光宿り続ける限り、奴の首筋へと刃を突き付け続ける!」

「そのだダルフ」

「え……」

「ヴェルトそっくりだ」


 そういってミハイルは、ダルフの頭をぐちゃぐちゃにかき回した……

 真珠の様に丸く見開かれた瞳が思い起こす――


「……っ!」


 ダルフの父、ヴェルトが彼にそうした様に……もしかすると、父もミハイルにこうされたのかも知れないと……

 そんな心情を読み解いたかの様に、天使は彼の心の声にピタリと答えるかの様な言葉を残した。


「世代代われど、託した意志はそこに引き継がれる……か」

「っ……」

「私の意志も、その使命も、お前に託そう」


 そこまで語ると、天使の身はみるみると枯れ枝の様に痩せこけていった。大翼からは羽が抜け落ち、光に瞬いていた肌からは色が失せていく。


「ミハイル様、体が!」

「当然だよ、“天性”を失えば私の身は朽ち果て、原初の石へと立ち返る事もなく完全に消滅する。生物として、余りに永く生き過ぎたんだ」

「そんな、なんでそこまでして俺に……っ!」

「魅せられたからだよ……人に、その心に、未知なる明日へ向かう、そのに」


 大天使より抜け落ちた“天性”は、余す所なくダルフの胸へと溶け込んでいく。目前に消えていくミハイルは、銅像の様に固く灰色となってその身に亀裂を走らせていった。

 割れ落ちていく唇は、その身に託される栄光を痛い程肌身に感じて涙ぐんだ、次なる“天魔”へと向けて動き始めた。


「さっきはあんな事を言ったが、お前を試す冗談だ。お前はこれより天魔となり『不老』の特性を引き継ぐ」

「俺がミハイル様と同じ天使になって……不老に?」


 ガタンと落ちた石の片翼が、無惨に砕け散る……


「人間達の解釈とは違う様だが、天魔も生誕する時は赤子だ。『不老』とはあるべき瞬間にあり続けるという事。つまりお前の身は全盛の頃へと立ち返って、そこで刻を止めるだろう」

「刻が戻ると?」

「元より天魔には刻という概念が希薄であり、流動的に変異出来る……それ位の苦難は人間をさいなむものでしか無いんだ」


 崩れ落ちていった膝に倒れ込んだミハイルを、ダルフはその胸に抱き留めた。

 みるみると朽ちていく偉大なる天使……何千年もの時を人類の為に費やし、いま最後のバトンを彼へと託し……死んでいく。

 だが不思議とその瞳には、苦しみや悔恨など浮かんでいなかった。むしろ、未知なる好機へと踏み込んでいく、童心の輝きに満ちているかの様に光っていた。


「ただし『不死』と『不老』は同居出来ない。それは神と同義になってしまうからだ……つまりお前の中からは必然的に『不死』の能力を排除される事になる」

「『不死』が……俺の中から消える?」

「そう、あと一度死んだらお終い……ハハ、浮かない顔をするなよ、自然の摂理へと還るだけさ」

「チャンスはあと、一度だけ……っ」


 これまで幾度となくダルフを支え続けて来た『不死』という能力。同時に凄まじいだけの代償を支払う事ともなったが、それを発現していなければ、ダルフはとてもここまで来る事なんて出来やしなかった。

 彼に寄り添った『不死』は、やはり呪いで無く、天からの恩恵だったのかも知れない。

 なぜなら――――


 生き長らえたその結果、どれだけ苦しむ事になろうと、それぞれの主観でのみ動き続ける世界に置いて、“死”とは世界と全生命の消滅に同義なのだから。

 死の先に待ち受けているものなど何も無い、そこにあるのはただ、なのだから――


「…………」


 だから――ありがとう。

 ダルフはそう、胸より抜け落ちていく『不死』に別れを告げた。

 

「私というセフィラを失い、これより創造主による災厄が巻き起こるが……後の事はお前の、人の意志に任せる」

「災厄……?」

「従うも抗うも自由だ。私が父さんに命じられた使命は、人類の為に尽力せよと、それだけなのだから」


 ミハイルの全身がひび割れ、残る片翼が落ちた。その衝撃が彼の身を伝って、脆い体はもう形を保つ事も出来なくなった。


「行けダルフ、の天使。まだ見ぬ10番目のセフィラよ。人類最後のつるぎと成りて……悪を討て」


 胸の内で微笑みながら崩れ去っていった天使から、ダルフは顔を上げていった。


 清々しいまでの光明に祝福され、

 開かれる星屑の瞳――――


 滾る黄金の眼光が、明日を見る。

 

 ――――――

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