第485話 『不死』の亡霊、激情の眼光と


 繰り返され続ける処刑の連続を、誰も彼もが放心して眺め続ける事しか出来ないでいた。

 黙々と狂気に沈んでいく鴉紋は、やり場の無い情念をそうして紛らわしているかの様にも見える。

 振り下ろされる暗黒の拳……幾度も血飛沫が飛び散り、爆発する様な音で肉が爆ぜる――

 だが何度でも、何度でも再生し続けるダルフ……

 悲惨極まる勇者の末路を眺めている事しか出来ないでいたバギットが、ようやくと震えた口元で話し始めた。


「なんでだよ……すぐに再生するかは自分で決められるんだろう? だったら黙ってやり過ごせばいいじゃねぇか!」

「バギットさん……」

「もういいよ旦那、アンタがそれ以上苦しい思いをする必要なんてねぇ! すぐに再生するのをやめて――」


 血眼になって蘇生を繰り返す力無き人類を皆が見つめる。そして静まり返ったテラスに響き渡る、万感交々こもごもった涙の絶叫――!


「退けないんですよ!!」


 背を預けたグレオより放たれた怒号……思いもよらぬ相棒からの代弁に、バギットは目を丸くしながら苦痛に歪んでいく青年の横顔を見つめていった。


「グレオ……?」

「退けないんです……」

「退けないって……なんで!」

「背負っているから!」

「背負……う?」

「ダルフさんは全部一人で背負っているんです!」

「だから何を!」

「僕達の、人類の命運を一人でっ!」

「……っ!!」


 痛い位に青年に伝わっていたダルフの辛苦に、落涙したまま歯を喰い縛ったグレオが真っ赤になっていく。


「もうどう足搔いても敵わない事が分かっていても、それが分かっていても!!」

「グレオ……」

「ダルフさんはっ……! 人々のを、人類の残す最期の咆哮を……決して挫けぬそのを示しているんです!」

「そんなの……あんまりに残酷じゃねぇか……たった一人で、旦那は俺達の……ぅっ」

「もうそれしかッ、ダルフさんには出来ないんです!!」

「ぅう、うぁぁあ旦那ぁぁあ――ッ!!」


 腫れた目元に熱い涙を垂らしながら、バギットとグレオは執拗に代償を支払い続けるダルフの有志を見届けていく……


 もう真っ当な思考すら許されない、まるで枯れ枝の様になってしまった黄金の騎士を、執拗に、永遠に、死が襲い続ける……

 沈んだ顔付きのまま虐殺を繰り返し続ける鴉紋へと、懇願する様な口振りでリットーが歩み始めた。


「やめて……くれ……もうこれ以上、勇敢な……私達の夢をいたぶる事を」

「あぶねぇリットーさん!」


 リットーへと迫る魔物の牙を、バギットの大槌が打ち返す。

 動き始めた人類へと、思い出した様に赤目の兵が剣を振り上げ始める……

 

 ……そして始まる、虐殺の唸り!


「なぁダルフ……」

「ぅ…………ぁ……っ」


 肥厚した皮膚に刻まれた深きシワ、もう声すらもまともにあげられなくなったボロ雑巾の様な生命へと、鴉紋は囁きかける……


「まだ意識はあるのか? 俺への恨みは? 恐怖は、お前の中に渦巻く正義とやらは?」

「……っ…………」


 ダルフの背は丸まり、もう面影すらも残っていない。ただ血みどろになった肉塊が、生命としての死を許されずに必死に呼吸を繰り返しているだけだ。


「それが莫大なる力を使用したお前への代償だ」

「――っ……ぁ――」

「仲間達が殺されているぞ、お前はそこでボンヤリと呆けているだけなのか?」

「か……――っ……」

「夢を見ているのか? それとも、もう何も考えられない位に脳が萎縮しているか」

「……ぁ……ぁぅ……」


 引き上げられていった血みどろの拳……

 そこに残されていたのは、もう人間と形容すべきかも分からない――ただ生きたナニカ。

 

「もう……いいか」


 何処か悲しみに満ち満ちた声を最後に、鴉紋は黒ずみ、しわがれた骨と皮の残骸より立ち上がった。


「……」

 

 首の骨を勢い良く鳴らし、ダルフだったものに背を向けて歩み出した鴉紋が……


「………………は?」


 ――その全身をまるで氷結に押し固めたかの様にしていた。


「そんな訳がねぇ……」


 背中に鋭利な刃を突き付けられているかの様な感覚、その殺意、果てどもないの気迫に、鴉紋は振り返る事も出来ぬまま、冷たい汗を額から垂らした。


「もうお前はただの木偶でくだ……まともに思考する事さえ出来ねぇ――」

「…………ぁ……………………」

「――――ッ!!」


 背中より確かに聞こえたか細い声に、鴉紋ともあろう男でさえもが、ビクリと肩を飛び上がらせて驚嘆していた。


 そして振り返る――


「……ッ!!」

「…………ぁ………………も…………」

「なんなんだ……ッ」


 そこにあったに、鴉紋は激烈に憤激してその牙を剥いた。



「なんなんだよハ――ッ!!!」



 もはや喘ぐだけとなった肉塊が、まともに語れず、考える事も動く事も出来なくなったが――


「――――ッッぅううううおおああぁぁああぁああああぁああああぁあああああアアァァアッッッ!!!!!」


 ――その金色のまなこより、溢れ出さんばかりの煌めきを乗せて……


「見るんじゃねぇッッ!! その目でこのオレをぉォオオオオオ――ッ!!!」




   確かに鴉紋を見つめていた。

 そこに、焼け付くかの様な執念を燃え上がらせて――!!


「キサマぁ……そんな姿になって尚ッ!!」


 噴き上げる闇に乗ってダルフの目前に舞い降りて来た悪魔が、理解の出来ぬ人間の意志、薄ら寒くなるかの様な、真っ直ぐ光る不気味な“想い”に強烈に憤慨した――


「オレの行く手に立ちはだかるノカァ――ッ!!」


 ――全開で振り下ろされた冥府の拳に、テラスは真っ二つに割れて人波を呑み込んでいった。

 ダルフの名を呼び、奈落へと転落していく戦友達……

 そこらの雑草と大差もない存在に向かって全力の一撃を振り下ろす魔王の姿は、何処か臆病に、滑稽に、得体の知れぬ怨霊にでも怯えているかの様に竦みきっていた……

 その息を荒らげる鴉紋の目前に、粉微塵となったダルフが再生して地に転がる……


「お前……ッ!!」


 意志を持って成し遂げられる即座の蘇生。未だ鴉紋へと反逆の意思を燃やす、今ダルフの出来る唯一の意思表示。


「――ッッガァァァァァアアアアアッッッ!!!!」


 地に投げ出され、ただ明後日の方角を見つめたダルフの目と鼻の先に、忿怒にまみれた鴉紋の大口が開いている――


 どれ程破壊しても、何度殺しても、


 決してその場を立ち退かぬ『不死』に、鴉紋はただ声を張り上げる事しか出来なかった。


「ハァ……ハァ……ハァ……ゥウウッ!!」


 怒りに満ち満ちた鴉紋の表情は、完膚なきまでに敵を叩きのめした勝者のものとは思えなかった。


「おのれ……おのれ……ッ」


 荒れ果てたテラスに、人間達の亡骸が転がる。阿鼻叫喚とする悲鳴を上げて、赤目の兵によって階下に投げ捨てられていく……


「ダルフぅう……ッッ!!」


 勝利の余韻など何処にも無い、後味の悪い結果と仲間達の“死”だけを残されて、鴉紋はぶつくさと怨敵の名を繰り返し続けた。



「嫉妬……してしまうな」

「――――ッ!!」



 天界より射した光明が紅蓮の空を割り、透き通るかの様な“天魔”の声が、鴉紋の頭上に舞い降りて来た。


「来てくれなかったねルシル……信じてずっと待っていたのに」

「そこにさっきまでいた人間を、全て見殺しにしてかよ……」

「私じゃなくて、ダルフに夢中だったのが悔しかったんだよ」


 遂に現れた天界の存在が、空に開いた天輪を広げて空を白き光に満たし始めた。

 自らに匹敵するだけの“天性”のエネルギーに、眉を吊り上げた鴉紋は激昂しながら翼を押し開いていく。


「おやおや……折角順番を待っていたんだ、ゆっくりやろうよ」

「黙れミハイル……俺はとっととテメェを殺して」

「殺して……?」

「殺……して……っ」


 妖艶に微笑んだ天使を見上げ、鴉紋は言葉に詰まる……何故なら鴉紋の願った世界は、もう既に仲間達の死によってその実現を不可能としているのだから。


「殺して……? ん?」

「性格悪いんだよ……テメェ」

「フフフフフ……」

「それでも俺はアイツらの願った世界を、全ての赤目の未来の為に戦う……今ここで肩を並べる、全ての家族の為にも」


 ミハイルの黄色い瞳が発光する。彼の持つ『先見の眼』によって、ルシルの全ては見透かされているのだろう。

 そして、ゆったりと空に開かれた六枚の天使の翼――美しく舞い落ちる羽が、躍動する生命を物語っていく……


「お前が細事に執心している間に『天上の羅針盤』が完成されたよ」

「だったらなんだ……クソ野郎」


 手にした光の花束を前に、柄となったはかりを前へと突き出して、ミハイルは笑う――


「『業の秤ごうのはかり』……お前の命の罪は決定した」


 バラけて宙を舞い上がり始めた光の花、その長剣の茎が、意志を持って浮遊するかの様にテラスに残った赤目の上空へと留まった。


よりももっと重い……神によって下されたお前……いや、の審判は」

「何をしていやがる……っまさか、やめろミハイル――!!」


――現世からの追放……つまり存在の抹消だとさ」

「ミハイ――――」


 天を激しく旋回した光の花より、白き光明が照射されてテラスが爆散した。


「ハハハハハハハッ!! アッハハハハハハハハ!! ここまでは見た事が無いだろうルシル、これが父さんの赦した最大限の“神聖”、お前へと下されたの形だよ!」


 子どもの様に無邪気に笑うミハイルの眼下で、赤き生命は一撃の元に光となっていった。


「ミハイル……ッオマエ!!!」

「アッハハハハハハ!! せめて最期に、私と遊んでくれよルシル……ねぇ、二人きりでッ!! ――っねぇいいだろッ!!」


 剥き出されていく天使の本性……彼を突き動かす唯一の情動――そのを確かめるかの様に、ミハイルは純白の頬を紅潮させながら、屈託も無く笑った。

 あらゆる命をその手に握り潰しながら……


「アッハハハハハハハハ!! アッハハハハハハハハハハハハハハハッハーッハハハハハハハアハ、アハアハアハ! アアァッハハハハギヒィ!!」


 集う光が花束となりて、ミハイルの手元で花弁を押し広げた。


「愛シテル!!」


 愛を告白するかの様にして、ミハイルはそれを鴉紋へと突き出した。

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