第453話 踏み躙る運命論


「悪いがよクソ女、テメェみたいな小者の覚醒を待っている程暇じゃねぇ、仲間が待ってんだ」

「はっ……はっ……はっ…………」

「聖域に肩まで浸かるその前に、みじめな女の生涯にカタを付けてやる……」


 おぞましいまでの邪気を噴き上げた獄魔が、赤黒い陽光の中を歩んで来る……

 過呼吸めいた様相となったジャンヌ・ダルクであったが、動揺したその瞳を閉じて胸にそっと手を当てていった。


「主よ、お導き下さい。目前の魔を払えるだけの光明を私に……今こそ人類の為、救済の“奇跡”を」


 次の瞬間にジャンヌは落ち着き払った面相を上げていた。そして増していく彼女の“神聖”――身に纏う桃色のオーラと空に完成されていく天輪。


「神聖は私と共にあり……」


 開かれし桜の大翼が、鴉紋の打ち出す黒き旋風に薄紅の花弁を混入する。

 吹き荒れる桜吹雪に纏わりつかれた鴉紋は、その身に無数の桃色の光明を爆ぜさせた。


「痛む筈です、苦しい筈です! その強がりがいつ迄続けられますか!」

「……っ」


 声も上げずに歩み続ける鴉紋であるが、その目が徐々にと血走っていく事にジャンヌは気付いていた。“魔”を滅し得る“神聖”は降り止まず、更にと追撃を掛ける超常現象が闇を押し潰す――


「私には神の加護があるのです!」


 鴉紋を襲う落雷、豪雨、突風、落石、周囲を舞い飛ぶ砂塵でさえもが鴉紋に牙を剥き、その目に飛び込んで視界をくらませる。


「神に背を向け、運命論を冒涜ぼうとくした貴方に天罰があります」


 大地が割れて鴉紋を挟み込み、風が鋭利を連れて突撃してくる。豪雨に足元を絡め取られ、落雷が通電する――


「いっひひひ……もうすぐです、もうすぐ私は“天魔”として完成する!」


 あらゆる摂理、因果と神にたゆまぬ助力を受けるジャンヌ・ダルクが、巨大化した光の御旗を空へと振るった。


「あら、原型も無くスリ潰れてしまったのでしょうか?」


 ジャンヌが見下ろすは、桃色の竜巻に沈んでいった暴虐の翼――やがて漆黒さえもが鳴りを潜めて消えていく。

 だがやはり……


「『黒雷こくらい』」

「いひひ、ですよね」


 空より落ちた漆黒の雷撃が、爆裂音と共にジャンヌを襲う――


「当たりませんよ……私は神に愛されている。あらゆるが私に味方するのですから」


 そう少女の信じた通りに、黒き雷電は少女より逸れて御旗に吸い込まれて消えていった……


「この世の全てが私にこうべを垂れているのです……神の御力を宿したこの私に」


 不敵に笑ったジャンヌの前で、風を切り払った鴉紋が姿を現した。


「私の足元を見ないのは……貴方だけです終夜鴉紋」

「テメェ自身が何かした訳でもねぇのに、何処までもおめでたい奴だな」

「……ん」


 一気に間合いを詰めてくるのかと思いきや、鴉紋は顎を上げてジャンヌを見下したまま、先と同じ様に……まるで少女の“神聖”をあざけってでもいるかの様に、悠々と大手を振って戦場を闊歩かっぽして来る。


「貴方はそうやって、また私を小馬鹿にして……」


 時間の経過と共にジャンヌは“聖域”へと近付き、やがて天魔としての力を完成させる。見るからに刻一刻と迫っているその時を前に、堂々歩んで来るだけのその男は、その表情は……明らかに少女を軽視していた。


「良くもまぁ、そんな高慢にしていられるもんだ……俺だったら羞恥心で顔から火の出るところだ」

「チッ……!」


 舌打ちをしてみせたジャンヌが、超大となっていく光の御旗の切っ先鴉紋へと差し向ける。


「『桜花おうかの命運』」

「……」


 吹き荒れた突風がジャンヌの花弁を寄せ集めて御旗の軌道上へと集う。そこに出来上がった肉厚のトンネルの花道を、黒き魔王が牙を剥いて踏み出して来る。


「死ね悪魔……」


 桃色のオーラ立ち上り、桜の大翼が空に開いていく。御旗を突き出した形の少女の照準は、ただ滅すべき“魔”へと向けられていった。


「本性、出て来てんじゃねぇか」


 桜の螺旋を背に打ち出して、ジャンヌは鴉紋へと迫り、頭上に“神聖”を振り下ろしていた――!


「黙りなさい――ッッ!!」


 既に人の領域を超えし速度と膂力りょりょく。地盤舞い上がる神の一撃に、鴉紋の姿は埋もれて桃色の発光に包まれた――


「いひ……! イッヒヒヒ、すごい、すごいですね! これが“天魔”の力、これが神に選ばれた私の――っ!!」


 ジャンヌの頭上……その天空に桃色の領域が広がっていく。そこに完成されゆくは、神に祝福されし薄紅の天輪。

 ――だがしかし、彼女は悪魔の囁きを聞く。


「この世はなんかじゃねぇよジャンヌ・ダルク……」

「な……」


 自身でさえもが驚きを隠せないインパクト。その天罰を確かに叩き込んだ筈のジャンヌの手元で、不可解なる感触が御旗を伝わって来ていた……

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