第442話 確率的因果の崩壊


 睨み合う光の少女との緊迫の最中に、差し込んで来た声がある。


「『業火の大弓インフェルノ』――!」


 大気焼き払う熱気と黒き炎の矢じりがジャンヌへと迫る――


「……ですがまぁ、確かに貧弱な私のキャパシティを超えているのは事実」

「――っなんで!? 風も何も焼き尽くして直進する私の弓が!」


 睨み合うジャンヌと鴉紋との間を突き抜けていく様にして、漆黒の業火は過ぎ去っていった。


「あとはまぁ、神のみぞ知る……です。いっひひ」


 眉間にシワを寄せたセイルは自らの足元に桃色のサークル出現させると、放散し始めた途方も無い魔力に髪を舞い上げる。


「これならどうなのよ――『獄炎ごくえん』!」


 ジャンヌの足元に現れた超大な転移の魔法陣。セイルはそこへと向けて、万物焼き尽くす漆黒の灼熱をありったけに注ぎ込んでいく――


「確かにこれは逃げ場が無いです」


 弱気というよりもただ感想を述べただけのジャンヌの周囲に、避け難い黒き焔が立ち上って少女を包囲しようとしたその時――


「……しかしきっと神がどうにかして下さいます」

「次は……っナニ!?」


 ジャンヌの佇む地盤に亀裂が走り、激しい地割れが転移の魔法陣を崩壊させていた。

 中断された『獄炎』――のみならず、地に走った亀裂は赤目達まで至り、彼等の命を奈落へと葬り去っていった。


「っタスケ――!」

「まるで天災だ、こんなのを一人の人間が引き起こしているって言うのか!」


 震撼続ける大地と崩落する岩場……まるで天変地異でも相手取るかの様な無慈悲に佇むは、頭上に桃色の光を滾らせた光の御子――


「こんなの人知を超越してるよ、どうしよう鴉紋!」

「クソ女が……こりゃ一体どういう能力だっ!」

「いひひひひ……」


 愉しそうにころころと笑うだけの少女から鴉紋は視線を外し、セイルへと振り返る。


「おいセイル! この奇天烈きてれつな能力は魔力によるものじゃないのか! 一度この女を殺したんだろう、魔力を打ち消すお前の『邪滅の炎レペル・プレイズ』でどうにかならねぇのか!」

「そ、それが鴉紋……っ!」


 冷や汗を垂らし、何か信じられないものでも見詰めているかの形相でセイルはジャンヌの光明を凝視する。

 そしてセイルはすぐに反魔法アンチマジックの性質を持つ『邪滅の炎レペル・プレイズ』では、目前の“奇跡”を止められぬ事を悟った……何故ならばそれは――


……」

「あ? こんな無茶苦茶な力が、魔力も無く使える筈が……」

「でも確かに感じないの……あの女からは異様なまでのオーラが溢れ返っているだけで、。さっき私が殺した女とはその性質毎まるで違う」

「魔力じゃないだと……?」


「――それも私の“奇跡”の一つであるとは思わないのですか?」


 光の御旗を振りしきり、空より神聖の光が垂れる。そこに照らし出された少女の未知が、下々とは遠い次元に居る事を周知させる。


「詰まる所、これはである私の能力……というよりも主の力。魔力というよりも特性であり、この世の創造主より執行される超自然的事象に過ぎないのです」


 首を振った鴉紋は憎々しそうに少女を一瞥いちべつする。


「お前自身は何もしてねぇとでも言うつもりか!」

「ええその通り、卓越した力も無い私は、ただ神の御力に導かれるのみ」


 神々しいまでの光の御旗を肩に担ぎ上げたジャンヌ・ダルクが、八重歯を見せて妖艶に微笑んだ。


「隠し立てるつもりもありませんし、分かった所でどうしようもないのでお教えしましょうか」


 上品さと共にやはり無邪気さも同席した声音で、少女は聞き耳を立てる魔族達へとその口を開いていった。


「私の力はその名の通りに『奇跡』……確率的因果に起因する事象は全て――」

 

 次に確かに語られた言葉に、鴉紋を含む赤目達は放心するしか無かった。



「――



 驚天動地の真実に息を呑む彼等……

 単純なようでいて、考えれば考える程に“最悪”極まり無い、ことわりの崩壊――余りにもこの世界に優遇され過ぎる一人の人類に、まさしく神の御力に相対するかの様な錯覚と無力感が赤目をさいなんだ。


「それって……この世界の全部、本当に全部が私達の敵になるって事じゃ」


 愕然と膝を着いてしまったセイル。


「確率的因果って……この世で起こり得る最悪の可能性が、それが僅かにでもあれば私達に降り掛かり続けるって事でしょう……?」


 噛み締めれば噛み締める程に……その絶望が味を濃くしていくのを彼女は感じていた。


「常識なんて関係ない……ありとあらゆるこの世の万物が私達に牙を剥く……それが、本来起こり得ない程に些細なでも」


 因果の崩壊を意味する程の超越的な力に、ロチアート達を襲った衝撃は相当なものであった。皆が狼狽ろうばいし、剣を落として落涙していく。


「そんな馬鹿な力……そんな、そんな!」

「こんな奴にどうやって……あぁそうだ、きっと嘘だ、全部偽りなんだ、でなきゃそんな無茶苦茶な」

「それなら、さっきまでの事象は何だったんだ、迫り行く鴉紋様の足をも止めたあの災害が、本当に偶然だったとでも言うのか!」

「ぁぁー! ァァァーッ!!」


 世を呑み込まんとする魔王の覇気に、ここまで意気揚々と波乱を闊歩かっぽして来たロチアート達が、魔物と共にへたり込んでいくのが見える。


「ジャンヌ・ダルク自身が弱くとも、彼女を守護するのが“世界”では、それがではどうする事も……っ」


 世界の根幹さえ揺るがしかねない“創造主”の守護を前に、赤目達は意気を消沈していくしか無かった。

 細い腰をくねり、垂れた前髪を払うジャンヌ・ダルクがミステリアスに笑う……


「いっひひ……ようやく分かりましたか? 私に抗うという事の愚かしさが」


 天上に上がる光の御旗……眼下の黒き嵐を照らし、雲間からの後光が指す。


「理解が出来ないのは……」


 神の御前に平伏した有象無象を満足気に見渡したジャンヌが、細くなったまなこをある一点で止める。


「あとお一方だけの様ですが……?」


 未だ絶望の淵へと沈み込まぬ、唯一人の黒き魔王へ向けて……


「馬鹿かテメェ……つまりは全部って事じゃねぇか、くだらねぇ」


「…………は?」


 これ以上無い位の不愉快を刻み込んだ顔で、ジャンヌのまぶたがピクリと震えた――

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