第440話 灰になった筈の少女


「いひひひひ……」


 薄ら笑い、瞬きする間に距離を詰めて来た鴉紋の邪悪がジャンヌへと至ろうとしたその時……


「ぬぁ――?!」


 ――鴉紋の眼前には、巨大な岩盤が落下してくる光景が映っていた。


「先程あんなに豪快な一撃を放ったのです。周囲の岩盤が脆くなってしまったのですね」

「……ッ!!」


 側の岩壁が崩れ、超大なる落石が光の速度に達しようとする鴉紋をピンポイントで押し沈めていた。


「潰れましたか……?」

「いやッ、鴉紋!?」


 眉を上げて呑気に落石を覗き込んだジャンヌに続いて、セイルが短い悲鳴を発して口元に手をやった。

 しかしそこで、彼等はくぐもった声を聞き届ける。


「……みみっちぃんだよ、くだらねぇ!」


 次の瞬間、足元より突き抜けた黒き稲妻が、大岩を木っ端微塵に割り砕いて石塊を吹き飛ばしていた。


「それだけかクソ女ぁッ!!」


 鬼の形相を上げて拳を引き絞った鴉紋が、地鳴りのする程に強く地を踏み込んで、ジャンヌの頬を殴り付け様とした時――


「が……っ!!」

「あらあら……」


 ぬかるみに足を取られた鴉紋は無様に転倒し、背後で噴出する自らの暗黒に引きずられて地を転がっていった。


「先程の曇天で小雨が降りました、ちゃんと足場を確認しないからです」

「――く!!! っ舐めてんじゃねぇぞコラァッ!!」


 引きずり回されていく体を無理に腕の剛力で止めた鴉紋は、泥だらけになりながら獣の様に四足となった姿勢で怒号を上げる。


「そこで待っていやがれ――ッ!!」

「いっひひ、私は先程からずっとここで貴方を待ち望んでいるのですがね」


 再びに破裂した暗黒の邪気と面相……しかし次に襲い来たのは、大気震える怒号に揺すられ高所より降り注いだ岩の雨であった。


「なっ――! お前ら! セイル!!」


 広域に被害をもたらしていく落石が、ただでさえ数を少なくしている赤目の兵達を押し潰していく。


「ゥウウウウウゥウッ!!」

「獣の真似事ですか、終夜鴉紋」


 激怒する赤面で唸りを上げた鴉紋は、止む無く面前のジャンヌより離れて落石の対応を余儀無くする。


「『黒炎こくえん』!」

「セイル!」

「ここは私に任せて!」

 

 セイルの手元より放たれた巨大な漆黒の火球が、頭上の落石を全て呑み込んで灰に変えていく。

 被害を最小限に食い止めたセイルを見届け、鴉紋は再び空に闇を走らせる――が、


「待って鴉紋!」


 鴉紋の正面に現れた転移の魔法陣が、彼を呑み込んでセイルの側へと移動させていた。

 出鼻をくじかれ、隣のセイルに苦い面相を向ける鴉紋。


「なんだセイル!」

「落ち着いてよ! あの女は得体が知れない、上手く言えないけど危険だよ!」

「……確かにそうだ、さっきから立て続けに訳が分からねぇ不運に見舞われやがる……だが俺には無理に道をこじ開ける手段しか思い浮かばねぇ!」

「だったら尚更不用意に近付くのは危ないよ、やっぱり遠距離から様子を見よう!」

「はぁ?」

 

 視線を空へと彷徨さまよわせる鴉紋。その頬に付いた泥を指先で拭ったセイルが、紅蓮の大弓を現して天へと向ける――


「確率とか知らないけど、ようは避けられない攻撃なら良いんでしょう!」


 横に構えられた等身を超える炎の大弓に、無数の炎の矢じりが創造されて――解き放たれた。


「『焔雨ほむらあめ』、これなら何処にも逃げ場なんて残されないよ!」

「成程、そのまま焼き殺せセイル!」


 弧を描いて降り注ぐ天よりの炎の矢じり――余りの矢数に豪雨となった焔が、一人取り残された光の少女を襲う。


「舐められたものです。こんなものでどうにかなるなど……」

「え!? そんな、さっきまでこんな突風……っ!」


 天より落下する炎の群れはジャンヌより徐々にと離れ、少女が空に振るう巨大なる光の御旗に呼応する突風に吹き流された――


「貴方達は頭が悪いのですか? まぁ、私も余り学はありませんけど、いひひ……」

「何よこの風……ッ! 私の炎がこっちに返って!」


 ――そうして結果炎の海に晒されたのは、あろう事か自軍の兵達であった。


「ァ……キ――ッ」

「アヂ……ァ!」


「そんな……ごめん皆、もう何なのあの能力!」

「得体が知れねぇが……とにかく遠距離じゃあ埒が明かねぇらしい」


 鴉紋はそこに佇んだままのジャンヌへと掌を開き、そのまま握り潰す。


「運否天賦だ偶然だなどと言う余地もねぇ位に……この手で確かに奴の首を掴んでへし折ってやる!」


 爛々らんらんと灯る右の赤目と、深い暗黒の左目。人と魔族の織り成す壮絶なる覇気が、空に邪悪を巻かせて神の使徒へと歩み出す。

 しかしその背後で怪訝な顔付きとなったセイルが鴉紋の背を掴んだ。


「次はなんだセイル、さっさと奴を殺してエドワードの加勢にいかねぇと」

「……本当に殺せるのかな、あのジャンヌ・ダルクって女」

「どういう事だ?」


 何やら尋常じゃなさそうな様子のセイルの不安に気付き、鴉紋はわしゃわしゃと赤い髪を混ぜた。


「あのね、さっき鴉紋が来てくれる前、私達の前にもあの女が現れたの」

「あのクソ女が?」


 困惑した鴉紋を上目遣いに見上げたセイルが、乱れた頭髪を撫で付けながら横目にジャンヌを眺める。


「そう……そして私はね、確かにこの手で奴を

「あ……?」


 まるで不気味な何かに背をなぞられているかの様な居心地の悪さに襲われながら、セイルはたなびくセフトの旗印を睨む。


「間違いない……死に顔だって確認した。あれは分身でも幻影でも無く、確かに生身のジャンヌ・ダルクだった」

「何を言っているんだセイル」


 すると彼等の疑念に答える声が、論議の的であるジャンヌ本人より放たれて来た。


「ああ、私は貴方に殺されたのですね」

「殺した、殺したわ……でもだったらなんで貴女はそこに居るの?」

「いひひ……」


 感慨も無さそうに沈んでいったジャンヌの長いまつ毛。程無くすると少女は、惜しみも無くセイルの声に解答を述べていた。


「それも私です、紛れも無いまでの私

 ――ただし、

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