第437話 死神の赤い血
赤き虹彩をゲクランに見下されたエドワードが、割れる様な額の痛みに歯を食い縛った。
「私の世界では些細な個性でしかなかったものが、ここでは奴隷の
「虐げられる者とそうでない者の差などその程度の事だろう。人の醜い
「クク……フッフフフ……」
すると目尻に深いシワを刻み付けながらエドワードは笑い始めた。額より垂れる血に指先で触れ、物珍しそうに……そしてまた何故か感慨深そうに恍惚の息を漏らし始める割れる様な頭痛に。
「それにしても……
「悪魔の様な貴様を畏怖して語られる
投げ出したハルバードを拾い上げながら木の幹の様な太さの腕を組んだゲクランが、冷ややかなる目付きで自らの血を
「高貴なるブラックプリンスよ、百の戦場を経ても尚――己の
「これが私、私の血液……フフ、フ……」
数え切れぬ程に数多の戦場を駆けたエドワード黒太子。その実彼は圧倒的過ぎる力によって
――
「
「これが……ぁあ、確かに耐え難い……どうりで泣く訳だ、どうりで喚く訳だ」
にわかには信じ難いその逸話。しかしエドワードという男の非道極まる残虐ぶりは、
先日の終夜鴉紋との闘争でも彼は、余りにも次元の異なる存在を目撃して即座に降伏している。標的の力を見誤ること無く測る彼の観察眼は、エドワードに常勝という結果をもたらし続けたが、その反面……
――彼をひどく、退屈させた。
「よもや貴様に赤い血が流れていようとはな……」
「豚よ……私も驚いている。私の血肉はもっと
同時にそれは、エドワードという男の身に宿る“全力”というものを、遠く遥かに引き離していった……
「貴様に
「……」
「今の貴様に……成熟しきった太陽の様な男の本意気に――我が
「エドワード、貴様……!」
――闇
そこに大口を開いた何処までも未知な深淵が、白日の光明を押し返して世界を夜に染めんと流るる……
「『沈め、
「フハッ……フハッハハハッ……何が爪を隠すだ、それは貴様だろうタヌキが」
闇のゲートより現れた黒馬にゆったりと乗馬していったエドワードが、血に濡れた指先を漆黒の大鎌に塗り付ける。
――すると死神の大鎌より、何よりも陰惨な
「『垂れ続ける闇夜の侵食』」
「ほう……我が白日を前に、あくまで“闇”で抵抗するか」
大鎌より放流されていく暗黒の水が周囲を侵食し、互いの軍勢さえもが視界より消えた……やがて闇のキャンバスには一つの太陽の光だけが映る。
「少しでも気を緩めれば、貴様の深淵に呑み込まれそうだ……この海よりも深い暗黒に」
「……すぐに夜が来る」
自らですら知らぬ全力全開の陽気を放散したエドワードが今、剥き出しの自分をぶつけられる初めての存在を前にする――
「夜など来ぬ……俺の前には何時までも日輪が灯っている」
「明けぬ夜など無い様に、盛者必衰……私にもお前にもいずれ終わりが訪れる」
エドワードより発せられた意外とも言える“摂理”、彼の様に理屈では無く感情で考えるゲクランは、黒太子が弱音を吐いた様に見えた……
が――――
黒馬走らせるエドワードの大鎌が、闇夜に浮かぶ煌めきを解き放つ――
「エドワード……フハッ、フハハハハッ!」
そしてゲクランが見るは、割れた兜の隙間から覗くエドワードの
「だがこの瞬間、この私の全盛となる今この時、この時代にだけは……白昼とやらは訪れない」
振り抜かれた漆黒の大鎌――それは夜を、光を切り払う黒き閃光となって、一筋の軌道には濃縮された暗黒の水面を走らせた。
迫る驚異目前にして、ゲクランは笑う――その手のハルバードを
「とんだ冷血漢かと思いきや、途方も無い程に情熱的では無いか!! その深く被られた兜は
未知なる暗黒の水流を白銀の炎で振り払い、ゲクランは豪快に口角を吊り上がらせた――
「――ますます気に入ったァッッ!!」
水飛沫が発火して夜闇に蒸発する。周囲に満ちた暗黒のキャンバスに、ゲクランの放つ白日の光明が雪の様に降り注いだ……
「この俺、ベルトラン・デュ・ゲクランと
豪快なるハルバードの大薙ぎが、闇を駆ける光の道筋となって暗黒に灼熱を灯した。
「答えろエドワードッッー!」
――即座に返した槍部の一突きが、風を巻き上がらせる強烈なる刺突となって黒馬へと迫り――
「……臆病者め」
――ドプンと音を立てて闇に消えていた……
空を切ったがそこに一筋の光と焔を残し、ゲクランはハルバードを両手に握って下段に構えていった。
「…………」
エドワードの展開したこの暗黒の外で、互いの軍勢が今も激しく雌雄を決し合っているのが信じられない程に……そこは深い海の様に
「ぬぅ……」
そう漏らしたゲクランの呻き一つでさえもが、暗黒の中を何処までも反響していった。
得物を握るその掌、吐息に揺れる甲冑、足元に落ちた汗の一滴さえもが分かる程に……
「その
――闇は
「――ケェエエエィィああああッッ!!!」
触れる程の耳元で囁かれた黒太子の吐息に、ゲクランは鼓膜が割れるかと思う程の奇声を発しながらハルバードを一閃した。
闇夜に爆ぜる光と闇の衝撃――エドワードの手元より忍び寄っていた音速の一撃を、白日のハルバードが確かに捉えていた。
「ぐ……ッ」
――しかし暗黒に垂れた赤の液……それは攻撃を防ぎ切れずに受けたゲクランの腹の傷から流れていた。
「フハ……フハハッ」
正体不明の負傷――
まるで信じられぬ物でも見下ろしているかの様な顔付きになったゲクランであったが、彼は流血する腹を抑える事もせず、肩を揺らしてクスクスと笑うのであった。
「逆境だぁ……これは紛れも無い、
――――“逆境”
過去、あらゆる戦場にて
「これで、俺はまたぁ……」
その戦況が
「
「白日は昇り続ける、どれだけ深い夜にあっても……」
――故に彼、フランス軍大元帥ベルトラン・デュ・ゲクランは、いかなる困難にも立ち向かうのだ。
「ッ幾夜でも――ッッッ!!!」
強烈なる発光を見せる
「“豚”が、何処まで肥えていくつもりだ……クッククク」
エドワードの肌には、今迄感じた事も無い鳥肌というものが立っていた。
ただしそれは、武者震いという名の……
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