第406話 生命の癇癪


「はい……!! ん……ぇ、いまなんて?」

「いま……なんて言ったんだ、ジャンヌ様は?」


「はい、ですから“今迄お疲れ様でした”と」


「え」

「ぁ…………え?」


 邪気を感じさせないあどけない少女の笑み。屈託の無い表情を携えたまま、ジャンヌは顔を凍り付かせた騎士達へと白い歯を見せた――


「私はシャルルを諭す事も、貴方方をこの教会より助け出す事も出来ますが、そうは致しません」

「あれ……?」

「は……」

「それ程の忠義があれば出来ます。勝利の為の“にえ”となって下さい」

「なん…………て、は、え?」

「シャルルとクリッソンが何をしようとしているのかは知りませんが、彼等は勝機を見出してそうしているのでしょう。ならば貴方方は、彼等の意志にのっとってここで死んでください」

「ジャンヌ……さま?」


 最後に縋った者のさに、ぽろぽろと涙を落とし始めた騎士達の姿が――


「私は共にあの時代を走った八英傑達を信用しています。人類の砦たるセフトを思い、八英傑の為に死死ぬのです」


 ――場違いな程にほがらかで、汚れを知らないかの様な柔和な笑み。

 ジャンヌ・ダルクという少女の人外ぶりを目前にした騎士達は、大きな声で咽び泣き、乱心し始めた。


「おかしいよ、おかしい……なんであんな、無邪気な顔で」

「ここに居る奴ら全員ッ狂ってる! 狂ってるんだぁあ!!!」


 放心して命を諦める者も少なくない中、多くの者はぶつけ先を失った拳を、周囲の赤目達へと向けて振るい始める。


「うわァァァあ、お前等が来なければ!」

「この家畜!! ロチアートめがぁあ!!」


 ――無作為に当たり散らす命最後の感情は、みるみるとその場に居た騎士達へと伝播でんぱして、遂には赤目と人間達の入り乱れる大混戦となっていった。


「くそっ人間! こんな時にお前等の相手をしている場合では!」

「貴様ら人間の癇癪かんしゃくに我等を巻き込むな!」


 ただ暴発しそうな感情を吐き出す為だけに始まった戦闘は、彼等の足を止めさせ『硝子世界グラスワールド』の恰好かっこうの餌食となっていく。


「お前達駄目だ、退け!」


 クレイスの声も虚しく、ただ無為に生命は“球”へと巻き込まれるガラスとなっていった。

 そこに乱心する騎士達からすれば、それはただの八つ当たりにしか過ぎず、また、迫り来る恐怖を誤魔化す陳腐な手段でしか無かった。

 彼等の涙が宙を舞い、スノードームの中を銀が飛び交う――


「いひひ、なんだか騒々しいですね」


 あっけらかんとした少女が御旗を振るう。高き天井に届き得るかの様な、巨大な旗を――


「割り砕く〜〜花瓶の様に〜ッッ!! ガラスの様に脆く無惨に〜ッッ!!」

「ぐっふふふ……諦めろ家畜共、こうなれば我等が勝利は約束された様なものだ」

「ぁぁあ〜〜ッ!! 裏切り者、裏切り者ウラギリモノには粛清を〜〜!! 私の体に傷を付けられる前に〜ッ!!」

「いっひひひ……なんだかご子息とは正反対の性格をしてらっしゃるんですね、6世」


 予想を裏切って突如現れた八英傑の頭領――ジャンヌ・ダルク。いま神からの恩寵おんちょうを一身に受ける巫女みこが、シャルルの後方より無邪気な笑みでこちらを向いている。


「さぁ、主の意志に従って魔を討ち滅ぼしましょう」


 上がる光の御旗、白き闘志を昂らせた狂気の王が、全てをガラスと変える“球”を猛然と拡大している。

 クレイス達と肩を並べたフロンスが、眉間に深いシワを寄せていった。


「何故八英傑のトップがここに……」

「ほんと、なんでなんすかね。ドシンと腰を据えてるかと思ったのに予想外っす」

「だがこれは好機なのではないかフロンスさん? 八英傑の頭をここでもぎ取れれば、きっと鴉紋様の負担は大きく軽減する筈だ!」

「そう……ですね」


 何やら納得出来ない様子のフロンスであったが、今にも教会を占拠してしまいそうな勢いで拡大していく“球”に、疑念を一度飲み込んでいった。


「私がシャルルさんのお相手をします。クレイスさん達はジャンヌ・ダルクさんをお願い出来ますか?」

「ヨォッシ来たぁ! ワァーッハハハ、八英傑の頭、必ずや鴉紋様の手土産にしてみせるぞ!」

「ちょっと待つっす……」


 バカ笑いしながら闘志を上げていったクレイスの傍らで、ポックは一人神妙な顔付きを始めている様だった。


「どうしたのでポックさん?」

「ジャンヌ・ダルクは、俺が相手をするっす」

「え、貴方一人で……?」

「良く言ったポック! それでこそグラディエーターの……て、は? どういう事だポック!」


 そこまで語ると、さも面倒そうに頭を掻きむしり出したポック。普段やる気の乏しそうに見える彼だが、彼は彼なりにしっかりと戦況を判断して、ナイトメアの一員としての役割というのを見据えている様だ。


「シャルルは強いっす……確実に処理しないと俺達全滅っすから、戦力はそっちに割くべきっす」

「しかしだぞポック……勇敢なのは良いがお前一人でジャンヌの相手をするのか?」

「俺だってグラディエーターの端くれっすよ」


 緑色の風を纏い流麗りゅうれいなる剣舞を披露するポック。らしくないかの様な彼の気概にクレイスは眉をしかめるが、早くもポックは向こう気の良い顔付きでジャンヌを睨み始めていた。


「それに、なんでかあの女はあんまり戦闘が得意そうに見えないんす……まぁ、直感すけど」

「ポック〜〜!! うおおおお成長したなぁお前〜ッ!!」

「うわぁあ!! 鼻水付けるなっす!!」


 大号泣したクレイスがポックを抱き寄せるが、彼はそれを嫌がって筋肉の拘束を即座に抜け出していった。

 緩やかに微笑んだフロンスが、肉の盛り上がった体をシャルルへと向けていった。


「ふむ、ならばポックさんのやる気に免じ……ここは貴方の言う通りにするとしましょうか」


 ポックが風のベールを全員に施した。そして頷き合った三人は、それぞれに闘争の構えを取っていく。


「保って3分か……ワァーハハハ、奴を砕くには充分なリミットだ!」

「あぁーもう2分だって言ってんでしょう……まぁ、そう言うと思って気合入れといたっすけど」

「さぁ行きましょう……私達の野望の為に」


 赤目の群れとグラディエーター達の咆哮が起こると同時に、ポックは一人高く飛び上がっていった。

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