第400話 人の王と奴隷


「ふん……家畜が一端の目を――っするなァ!」


 シャルルを中心とした“球”がグンと範囲を広げ、風巻が強くなって生命達を飲み込み始めた。

 だがそこに、そんな事など意にも介さず暴走する男が一人……


「キサマの脆く危うい体はァああ!! こぉのクレイスが割り崩してくれるぅうッ!!」

「誰に口を利いている……貴様達の身分というのを、今より知らしめてくれよう……」


 滾り合う両者の眼光が火花を散らしていると、凛々しい風格を保ったままの老王の前に、半透明となったクリッソンが歩み出して来た。彼は乱れた襟元を直しながら、諭す様にしてシャルルへと口を開いた。


「頭を冷やせシャルル。奴は“気骨の悪魔”よ。その情動を揺さぶる程に力を増す」

「……クリッソン」

「大丈夫だ。淡々とやっていればお前が敗れる事は万に一つもあり得ん。故に、頭に血を登らせるのは辞めろと言っておるのだ」

「……」

「お前の身を案じて言っておるのだ。我が生涯のな」


 輝かしい眼光より、次第に沈んだ瞳となっていったシャルルは、誰よりも信頼する参謀を前にしながら、ガクンと首を落として項垂れた。


「ぁぅう〜クリッソン〜良かった〜お前が居てくれて〜……ん、ひぃぁぁあっ!! なんだ、お腹が〜私のお腹にヒビが入ってぇ〜!! 割れる〜〜ッッ!!」


 そして次に顔を上げたシャルルはすっかり元の“狂気王”元の鬱々うつうつとした風体へと様変わりしていた。


「ぐっふふふー慌てるなシャルル……そんな傷などがどうした。お前は私の言う通りにしていれば、必ず無事な勝利を得られる」

「ぅぅあ〜クリッソン〜!」

「シャルルよ。今まで私の言う通りにして思い通りにならなかった事はあったかぁ? んー?」

「あぁそうだ〜、確かにそうだ〜……今すぐ帰りたい程に怖いが〜お前の言う通りにする事がその一番の近道なのだろう〜、私は友を信頼している〜」

「ぐふふ、そうだシャルル……それで良いのだ、ぐふ、ぐっふふ」


 笑みを交わしたそんな二人の元へと、激情する男の声と共に、鉄片の礫が投じられた――


「ハァ――ッ!!」


 背筋を直したシャルルによって造作も無く打ち返されたそれは、クレイスの側のロチアートの頭を吹き飛ばしていった。


「行儀の悪い犬が……」

「がぁぁああッッ!! 貴様らの茶番など見ておられるかァァァ!!」

「茶番……か」


 ギラつくシャルルの眼光に向き合いながら、クレイスは増々と範囲を広げ始めた“球”を目前にして息荒ぶる。


「ヤーバイっすよクレイス! シャルルの『硝子世界グラスワールド』が広がって来てるっす。壁を打ち壊してもすぐクリッソンに直されちまうし、早く手を打たないと本当にこの教会の中で全員ガラスにされるっす!」

「ポックよ、お前に一つ聞きたい事がある」


 眉をピクつかせながらも何とか平静を取り戻し始めたクレイスは、肩を並べて双剣を構えるポックへと血走った目を下ろしていった。


「お前の“風”を俺に纏わせる事は出来るか?」

「は……? 一体何を考えてるっすか?」

「大王のあの“球”の中へと踏み込む!」

「――っはぁ?!! いや、いやいやいやいや、そんな事したら、“球”の中を吹き荒れる風に直ぐに砕かれて……!」

「故にお前の風を纏う……奴もまた同じ様にして自らの身を暴風より守っているのだろう、可能な筈だ」

「いや、まぁ……確かに出来なくも無いっすけど、俺の風じゃあ、ごく短い間しかシャルルの“球”の中で魔力を維持してられないっす! 割れたらその瞬間に自分の身が砕けるんすよ?!」

「案ずるなポック……」


 すると一瞬、温かい目付きとなったクレイス。しかしその面相も、ただ瞬間的な嵐の前の静けさであったかの様に、みるみる、みるみるとポックを見つめたまま憤激していった。


「直情的発案かと思うだろうが、そうでも無い……」

「ぇ……」

「いずれにせよ、奴に接近せねば我等は死を待つのみ……それに、それにだなぁポック……」

「は……はい?」


 その顔面を満たす程に血管を浮き上がらせたクレイスが、悪魔の様な様相となって口元を吊り上げていった。


「この燃え盛る程の俺の熱情ガッ!! 鴉紋様を思うこの魂がッッ!! ガラスとなった程度で砕け散る訳がナイデあろうが!!」

「いや、イヤイヤイヤイヤ! その理屈はおかしいッス、割れる! 割れるっすよ!」

「バカ野郎がポック!! 我等グラディエーター、この灼熱の気骨はッそんな事で砕ける程にヤワなものではないだろうが!! 我等が飲まされ続けた煮え湯ッあのニンゲンへの憎悪ッ!! この深淵の様な怒りと憤怒が! この俺のが脆く崩れ去る事などありはしないッ!!」

「イヤぁぁ待って待って! 落ち着くっすよクレイス! インテリモードはどこにいったんすか、頭冷やすッスよ! あの術は否も応もなく万物をガラスに変えるッス、気持ちでどうにかなる問題じゃ――」

「気持ちでどうにかならん事などッこの世にありはしないだろうがポック!!」

「ぎゃぁぁあ!! もう駄目だァァァ!!」

「“根性”だ、根性ッッ!! ガラスの身に亀裂が入ろうと、この俺の気合が踏み堪えるのだァァァッッ!!」

「ダメ! ダメ、絶対いかせないっすからね!!」


 酷く狼狽ろうばいしたポックが、踏み出そうとしていくクレイスにしがみついていると――


「ヌ――っ!!?」

「ぎゃぁぁあ、挑発するなッス!!」


 “球”の向こう側――その内部より勝ち気な表情で顎を上げたシャルルが、指先をクイと曲げてグラディエーターを招いていた。


「オモシロイッッ!! キサマが大王としてガラスの身で挑んで来るのならば、俺もまたグラディエーターとしてガラスの土俵に立ってやる!!」

「うぎゃぁぁぁ、何この人! まだやるって言ってないのに! 俺がまだやるって言ってないのに勝手に踏み込んでいくっス!!」

「云うなればこれはであるお前と、である俺との宿年の戦いであるッ!!」

「もおおおお!! まだ風のベールも纏って無いんすから待って欲しいッス! 待って、待って! 分かったから待てよこの筋肉やろぉおお!!」


 向こう気の良い面相が突き合わせ、いざ“球”へと踏み入ろうとする刹那――


「その役目……一先ず私が請け負いましょう」


 その場に飛び込んで来た“肉の異形”――全身の筋肉を過度に膨張させたフロンスが、クレイスとポックの前へと着地した。

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