第372話 許しを乞う挽肉共


 シクスの背後に続く恐怖の権化を、こぼれ落ちそうな瞳で見上げたギーとジル・ド・レ。そして前方を歩む変貌してしまったかの様な面持ちのシクスに一瞬気を取られる……


「“地獄の淵より蘇った亡者は神の光明に照らされて消滅していく”!!」


 震えたままのギーが化け物を凝視しながらノートに記す。すると雲を割った陽光が異形を照らし、起きる砂塵がその全身を包み上げた――

 しかし、何時まで経っても消え去る事の無い暗澹あんたんたる気配にギーは飛び上がる。


「どど、どうなってんだ兄者ぁあ!!? やっぱり消えやがらねぇっ『俺の観測する世界ヘブンリー・レター』の力が、ど、どういう訳だか奴には通用しないんだぁあッ!」


 巻かれた砂塵を細長い腕で振り払ったジャクラが、天よりの光に二本角を輝かせながら、人間達を嫌らしく見渡していった。


 ――ギーが動揺するのも無理はなかった。ジャクラという存在がシクスの『げん』によって創造された幻影であるならば、現実の光景を書き換えるギーの能力によってそれは消え去る筈なのである。だがそこには未だ、現実に存在して良い筈も無い、凄惨たる存在が立ち尽くしている。


 胡乱うろんな目をしたシクスが、黒い刀身のダガーをぬらりと眼前に掲げていくのを認めたジル・ド・レが、周囲の大気を歪ませながら小首を傾げ始めた。


「現実を改変するギーの能力をも意に介さない異形……あのバケモノは奴の作り出した“夢”では無いという事か……」

「ギュぅアッ!!? そそ、そんな兄者! それなら、あの恐ろしいバケモノは現実に存在しているって言うのかよぉぉフニャァァッ」

「ひとまずはそう仮定するしか無いだろうな、ギーよ」


 竦み上がった騎士の群れへと、ジャクラの放散する怨霊の風が吹き込む。すると狂った様に叫び出した人間達が、まるで魑魅魍魎ちみもうりょうの中へと投げ出されたかの様な心持ちとなって狂乱し始めた。


「いやぁあ来るな、くるなバケモノぉお!」

「醜い……オェ、何なんだこの臓物をこねくり回した様な匂いは……それに、この恐ろしい怨霊達は……はぅふぅ……ぁッ」

「おぞましい……ヒィィ、見たくない見たくない見たくない見たくない……ぁぁ、アアアッ!!」


 白く長い腕を地面に着くまで垂らした異形が、闇を被ったかの様な黒のざんばら髪より、様々な形相をした無数の顔を前へと向けた――


「ひやぁぁあッッ!」

「いい、イィいいいいいいい!!」


 ジャクラと視線を合わせた者達が、白目の無い暗黒に吸い込まれる様にして膝を折った。

 そして次の瞬間より――


「潰せ――ジャクラ」

「「「ぉヒ……ぉひぃひぃひぃひぃッ!! キィィィィぉぉャぁ……!!」」」


 それぞれの口が裂けて叫び出し、顔を激憤させながら不協和音を奏で始めた。人間達の負の感情を駆り立てる声ともないジャグラの雄叫びが、僅かに闘志を保っていた者の尊厳をも剥奪して失禁させた……


「「「ヒィィァァァァァァァああ!!!」」」


 群れへと飛び込み、地を這った虫ケラをゴミの様に押し潰し始めたジャクラ。全身を覆った長き頭髪より続々と無数の腕が現れながら、愉悦に歪んだ顔で奈落の化け物は嗤い……


「あっひ、イヒヒヒぃ……アッヒャヒャヒャ!」


 怨霊の風に巻かれ狂乱していく人間達を見下ろし、両手を水平に掲げたシクス。血の詰まった袋が音を立てて破裂していく壮大なオーケストラに手を打つと、涙が出る程に腹を捩って嗤い始めた。


「人間が……ィィっヒヒヒ人間ガッ! 俺達をくずか何かかと思って虐め抜いて来たニンゲンがッぁぁ!!」


「うわぁぁ、怖い、許してくれ怖い怖い怖い!」


「ただの喰い物として繁殖させ、てめぇらの都合でブチブチ潰してぇ、肉を裂き喰らった人間様がぁぁッ」


「こんな悪夢、こんな悪夢見るくらいなら自分でッあんな醜く死ぬ位ならッ!!」


ロチアートオレたちの夢に許しを乞いながらッアッっはぁ!! グチャグチャに潰れていきやがるぅぅヒィァァアアッ!!!」


 潰したミンチを口元に運んで呑み込んでいくジャクラが、真っ白な顔に血のペイントを付けてカタカタと嗤った。やがて強く痙攣するかの様に顔をガタガタと揺らしていくと――ピタリと止まって無表情に次の獲物を見つめ下ろす……


「嫌だぁあ、こんな光景で、こんな悪夢に!!」

「奈落に引きずり込まれて死ぬナンテ……ひぁぁあ!!!」


「ヒヤァァァァアッッハハハハハハァァァアッ最高だぜぇ、兄貴ィィイイイイ!!!!」


 そり返る位の姿勢で大粒の降る嵐へと叫んだシクスが、瞳を弓形にして人間達の首元へダガーを滑り込ませていった――

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