第352話 神の意志宿し、人の極地へと


「なれば死ねぇ……惨たらしく、この神聖なる聖十字架の鉄槌でぇ……!」


 眼下に鴉紋を見据え、その両手に回転する紅き聖十字を握り込んだヘルヴィム。彼は白い歯を嬉しそうに剥き出しながら、何世代にも渡る宿願の成就を祝福する……


「さぁぁぁ……さぁさぁさぁさぁ、さぁさぁっ――ッッサァ!!!」

「……っ」


 勇んだヘルヴィムが因縁へとケリをつける為、その聖十字を振り下ろそうとした時――

 地に埋もれた鴉紋の背で、くすぶっていた暗黒が息を吹き返して闇の煌めきを放散した。


「――フゥやッ!!?」

「ゴタゴタ能書き垂れてねぇで振り下ろせば良かったんだ……」


 埋もれた大地より迫り上がる様にしてヘルヴィムの目前へと迫っていた鴉紋。その黒き豪腕によるアッパーが、ギリリと歯を噛みしめる音と共にスータンの腹部を突き上げた――


「げブゥあ――ッ!!!」


 目を剥き体をくの字に曲げたヘルヴィムの背より、凄まじい衝撃波が伝って大河を吹き飛ばす。


「くっくく……!」


 打ち込んだ拳を名残惜しくヘルヴィムの腹に残した鴉紋は、冷酷なる笑みを残す。


「いかに強かろうが所詮は人の身……身を貫け無かった事には素直に驚いたけどよぉ」

「――ヵ……ぁう…………ッぁ!」

「この俺の力で潰れねぇ人間など、もう誰もいやしねぇんだよ」


 血眼になって口元からダラダラと吐血していったヘルヴィム。額突き合わした悪魔と神父の姿に、周囲からその様子を窺っていた騎士達が愕然と膝をついていった。


「ヘルヴィムが、人類が負ける……?」

「圧倒していたのに、ただの一撃で全部無かった事にされちまった」


 戦意を喪失していった騎士の首に魔物が喰らいついていく。ロチアートの剣が腹を刺し貫いていく。


「あんなのにどうやって……あの悪魔に、俺達人類が勝つ手段なんてある訳無いじゃないか……」


 彼等が希望であるヘルヴィムが一撃に沈め込まれた光景に、優勢していた筈の騎士に絶望のムードが蔓延まんえんしていった。


「――Shitクソ野郎がッ!!」


 だがそこに、満ち始めようとしていた負の色合いに抵抗を示す光があった。


「――フゥド?」

「よぉく聞けよテメェら……神罰代行人とは、神の意志を全うする人間の事だ」

「……」

「例えそれが弱き人の身に宿っていようと、絶対なる神の意志はそこに揺るがない……その神聖なる意思に推し進められる様にして、代行人は人の成し得る極地へと足を踏み入れる!」

「人の極地……」

「戦え、神罰代行人の勇姿を信じろ!」


 ヘルヴィムと同じ紫色の眼光を光らせた次期神罰代行人は、人類の示せる抵抗の可能性を騎士達に示し、黒の狂信者と共により過激に敵陣へと切り込んでいった。


「う…………ぐ……ぅ」

「アっ……!?」


 その勇猛なる姿に触発されたのは騎士のみならず、未だ腹を突き上げられた格好で宙釣りにされている――この男であった。


「う……ぬぅぅぅぁあ……」

「俺の一撃をもろに食らって……人間が?」


 俯いたヘルヴィムの頭髪が捻れて空へと捲くり上がると、彼は顔を上げながら鴉紋の腕をガッチリと掴み始めた。


「目ぇ覚めちまったぜぇ……あぁぁ、腑抜けていたぁ」

「……!」


 鴉紋の目前でヘルヴィムが破顔すると、力んだ拍子に鼻血が吹き出した。


「動かん……なんて力でッ! 何故人間如きが!」

「大ぉきく成りやがってクソガキがぁぁ……」


 鴉紋の剛力を持ってしても、ヘルヴィムの腕による拘束を解く事が叶わなかった。それ程の膂力りょりょくが目前の人間に宿っているという事に、鴉紋は目を疑うしか無くなった。


「おのれッ離せヘルヴィムっ!!」

「まぁったく……なれば親父がボヤボヤしている訳にも行くまいかぁ……行くまいなぁ……ああ、行くまいかァ」

「……ん!」


 そしてギリギリと引き伸ばされていったヘルヴィムの左腕――紅き聖十字の滾る一撃を、鴉紋は目前で見つめている事しか出来なかった。

 ――そして放たれ、豹変するは激烈なる悪魔の面相!


「――ッイィィイイクマイカァァアアアァアアアッッ!!!」

「――――げぁッッ!!?」


 鋼鉄の皮膚をものともせずに豪快に振り払われた聖十字が、鴉紋を吹き飛ばして岩壁に沈めた。


聖釘せいてい――ッ!!」

「ぅボ!!?」


 上がる砂煙に向かって苛烈に駆け始めたヘルヴィムが、懐より釘を解き放って鴉紋の皮膚に三本の釘を突き立てる。


「イバラ――ッ!!」


 釘を体に刺したまま飛び退こうとした鴉紋であったが、目前の砂煙を割って飛び込んで来た二本のイバラに体を雁字搦がんじからめに拘束される。


「鬱陶しいと言ってんだッ!!」


 無理矢理にイバラを引き剥がした鴉紋。中間で千切れたそれがヘルヴィムの手元へと戻っていきながら再生していく。

 するとその場に荒々しい詠唱が響き込む――


「その聖なる力でけがれ人を喰い荒らせ……聖釘ィ!!!」


 胸に手早く十字を切ったヘルヴィムが、鴉紋の身に刺さった聖遺物に力を注ぎ、真なる力を解放する。


「こぉ……ッノ……貴様ぁ!!」


 黒き皮膚に切っ先を刺し込んだ聖釘が、カタカタと揺れて体内への侵入を試みている。それを許せば釘は対象の体を駆け巡り心臓を穿つであろう。それを直感した鴉紋は目一杯に全身を力ませて耐え忍びながら、纏わり付いた釘の三本を払い落としていった。

 カランと音を立てて地に落ちた釘。

 ――すぐさま顔を上げた鴉紋は次の瞬間に、


「『狂怒ディヴァイン・神罰パニッシュメント』ぉおオオオゥガァア――――ッ!!」

「ぅバ――ッッ!!」


 紅き血の風車による一閃に視界を覆われ、次に来る凄まじい衝撃と共に空へと打ち上げられていた。


「げボォあ――っ!!」


 続け様の猛打によって遂に多量の吐血をした鴉紋。そこに更なる追い打ちをかける様にして、空へと打ち上がっていた血の濁流が彼を呑み込んで地に引きずり込んでいった。


「すごい、ヘルヴィム神父が……やった、やったぞ! やっぱりあの人ならやってくれる……!」

「なんて御人だ。まさしく神の使い、人間の極限にいる存在だ!」


 騎士の歓声が湧き上がる中で、ヘルヴィムは血の雨に身を濡らしながら丸い鼻眼鏡アイグラシズを光らせる。

 ――そうしてギラリと眼光瞬かせ、全開で力み、叫ぶ――!!


「ホォザンナァァァアアアアアアアァァァアアアアアアッッッ!!!」


 そこに猛る全力全開の“人類”は、遥かな高みへと達した筈の“魔王”の首元へ迫っている――

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