第338話 ヘブンリー・レター


 騎士側の劣勢で火の手に包まれ始めた戦況であったが、ジル・ド・レは未だ余裕気にさらさらとしたオカッパ頭を整えている。


「地の利を取ってもこのままではジリ貧……我が軍の敗走が目に見えているか……ギー、おいギーよ」

「ほべぇ〜?」

「何を呆けているのだ、さっさとお前の力で敵を押し退けろ」

「いっ嫌だぁ……筆も乗らないし、もう乙女以外の事は書きたくないのだぁ〜! さっきも兄者も言っていたでは無いかー!」

「そうだな、確かに言った。ジャンヌの事ばかり考えるが故、つい言ってしまったのだ。だが状況を考えろ」

「イヤだ!」

「全く……」


 ブンブンと頭を振ってノートを閉じてしまったギー。そんな彼を横目に嘆息したジル・ド・レは、精悍な顔付きのまま懐から魔石をチラリと覗かせる。


「ここに、ジャンヌの湯浴ゆあみを密かに記録した魔石がある」

「――っホア?!!」


 ニタリと笑うジル・ド・レをギーは驚愕として見上げるが、直ぐに頭を振って、これまで幾度も騙された事を思い出す。


「うっ嘘だろう兄者! そんな事を言って俺を何度も騙せると思うなっ! どうせまた、薄ぼやけた給仕のおばばの記録なのであろう!」

「ほう、そう思うか? 本当にそう思うのかギーよ」

「ぅ……」

「ここに記録されている映像が本当にジャンヌであったとしたら? 私が嘘を言っていないとしたら? お前はこれ程の国宝を、みすみす取り逃した事になろう。その可能性が万に一つでもあるのならば……貴様は追い求めるべきだ――そう、夢を!」

「ゆ、夢……!! ぽァァ……」


 魔石に記録された映像を想像して恍惚とするギー。そんな彼にジル・ド・レはズイと顔を寄せていく。


「どうする、どうするのだギー。私はどちらでも構わない」

「い、いや……やっぱり信じられない、兄貴はそうやって何度も俺の事を騙して来たんだ! アンギャァァア!」

「……そうか、残念だギーよ。お前と分かちたかったのだがな、この感動を……」


 問答に決着がついたのか、名残惜しそうにしたギーを残してジル・ド・レが空を仰いでいく。


「今回はセミヌードでは無く……フルヌードであるのだがな……」

「――ッッハバゥ!!!?」


 彼の囁きに目を剥いたギーが、擦り寄る様にジル・ド・レの足にしがみついていた。


「兄者ぁあ……冗談に決まっているであろ〜……俺が兄者の力にならぬなど、今迄一度だってあった事など無かったであろ〜」

「そうか、それは良かったぞ……なればギー、この魔石はお前に」


 そう言ったジル・ド・レは凛々しい表情のまま、ギーの懐に給仕のおばばのフルヌード湯浴み映像の記録を押し込んだ。


「アッへへへへホンギャァァァ!! やるぞおお兄者!!」

「良いぞ、その息だギー!」


 パチパチと手を打ったジル・ド・レの前に出て、興奮冷めやらぬ吐息のギー。


「『俺の観測する世界ヘブンリー・レター』!!」


 ――そして勢い良く開いたノートに、青年は文字を記し始めた。


「“赤く血の様であった空は終わりを告げ変わらぬ空がそこに帰って来た”」


 シクスの『げん』によって赤く変貌した空を見上げたギーがそう記すと、立ちどころに天井に満ちていた幻影の色が落ちていった。

 仰天したシクスが飛び上がって声を上げる。


「はぁッ!? んだ……俺の夢が!」

「“進軍する異形の群れは突如陥没した地盤より奈落へ転落する”」


 ギーがそう記した通りに、シクスの現した怪異の群れが、突如として陥没した地面の大穴に転落していって消えた。


「まさかおいおい……あいつ!」

「“空を舞う醜き生物は突風に突き落とされる”」

「ま、間違いねぇ……!」

「“晴れ渡ったその視界には栄光の騎士の姿しか残されなかった!”」


 舌打ちをしたシクスは、すっかりと塗り替えられてしまった自らの夢に強く歯噛みをするしか無かった。


「俺の『げん』を……夢を書き換えやがった!」


 奮い立った騎士達の放つ魔法球が、ロチアートを正面より焼き払い始める。

 赤い空が終わってしまった事に、動揺を露わにシクスに振り返ったセイル。


「シクスの術が解けて……いや、上書きされた!?」

「あ〜マズイな……ミハイルの奴、あの不気味な目で見てやがったのか、しっかりと適材適所に兵を配置していやがる」

「何が起きてるのよ!」


 頭をボリボリと掻いたシクスは、苦い顔をして額から汗を落とした。


「アイツは俺の天敵みてぇだ……」


 勢い付いた騎士が、揉みくちゃになりながらロチアートと魔物を斬り伏せていく。遠距離からの魔法弾も着実に標的を捉えていくが、まだまだ数は魔族が圧倒している。しかし兵を減らしているのはこちらのようだ……手を打つならば早くしなければいけない。


「クソがぁッんなら全部掻き消してみやがれ! テメェのノートが無くなるまでやってやらぁ!」

「落ち着いてシクス、頭に血を上らせたら敵の思う壺だよ」

 

 すると騎士達の後衛より、愉快そうにジル・ド・レとギーが笑い始めた。


「集団戦は経験が無いか? フッフッフ、どうやらお前の力で鼻を明かしてしまったようだぞギー」

「アンギャァァアァァァ滑稽こっけい滑稽!!」


「あのギーとかいう男の能力なの? 何の能力か全然分からない!」


 やかましく笑うギーを見上げ、シクスは忌々しそうに唾を吐いた。


「アイツの能力はおそらく……見た光景を改変する能力」

「え……それってなんだか……」

「そうだぜ嬢ちゃん……あいつは俺と同じ“夢使い”……いや、“妄想使い”だ」

 

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