第311話 「ほぅら……これが“痛み”だよ、坊や」


 さも面倒そうな振る舞いへと変わったベリアルは、中空に浮いたままヘルヴィムを見下す様にしていた。


「通りで人間離れしている訳だ……形の無いアイツが、よもやこんな姿と変わっていようとはね……弱き次元に受命してまで、体を分裂させて神の為に全うする……神罰代行人とはキミの事だったんだね」

「訳の分からなねぇ事をくっちゃべってんじゃねぇ!! ほぅら来いよ蛇ぃ……怖いのかッ! アァッ!!」


 まるで怒ってでもいるかの様に、ベリアルは背に邪爆の翼を拡散する。そして煌々とした赤き邪眼を押し開いていった。


「怖い……この僕が、力を分散させてしまったキミ如き存在を?」


 先程までそれぞれの体内を暴れ回っていた魔力の影響で、周囲の者達はやがて頭上で起きるであろう激突に備えるしか無かった。


 ――そしてその衝突は、直ぐに巻き起こる事となる。


「ヘルヴィ…ム、神……父」


 急激に血を吸い上げられていったフゥドが背後に卒倒すると、そこには巨大なる血の翼を伸ばす聖十字と、それを握るヘルヴィムのみが残った。

 地上からの“聖”が頭上より降り掛かってくる“邪”に対する。


「蛇――――ィィッッ!!」

「ヘルヴィム……神の遣いよ。未だ父に与えられた任に忙殺されるか」


 それぞれの大翼は、空を飲み込んでしまえる程に何処までも広がり合っていった。

 

「ハレェェエエルヤァァァアアアア――ッッ!!」


 空へと打ち上がったヘルヴィム。手に掲げた血の車輪を回し、濁流の中に潜り込んで勢い良く這い出していた――!


「『狂怒ディヴァイン・神罰パニッシュメント』ォオオ!!!」

「……く!」


 せり上がって来た紅い濁流から突き出してきた聖十字が、下からベリアルを突き上げた。

 狂乱している面相を目前に、ベリアルが鍔迫り合うと、勢いのまま空へと打ち上がった血液が少年の身に降り注いでいた。


「ぁ……ゥあ!?」

「どうしたぁぁ……それが“熱い”だ蛇ぃ!!」


 ベリアルの纏う溶融ようゆうの大気が、代行人達の聖なる血液に触れて白き灰に変わっていった。血に降り注がれた少年の体も、同じ様にして脆く崩れ落ちていく。

 苦悶の表情を見せたベリアルが、邪悪を強く噴き上げ返してそれに拮抗する。


「熱い……これ、が熱い?」


 身を灰に変えられていく事に灼熱感を覚えるベリアル。驚異的な事にヘルヴィムの操る聖者達の血は、目前の悪魔により一層の苦痛を与えるが為に、彼に擬似的な“感覚”を植え付けていた!

 互いに侵食し合って譲らないエネルギー。喰らい合い、侵し合い、互いの質量をイタズラに消滅させていく。


「そしてこれがぁぁ!! “痛み”だぁぁあ!!」

「ぁう……ッ!!? アッ、アアアアアア!!」


 血の車輪を体に押し当てられ、体内を掻き混ぜられ始めたベリアル。彼は初めて覚える“痛み”への対処の仕方が分からず、ただ声帯が自然と絞り出すがままに絶叫していた。


「痛い……これが――痛み!!?」

「そうだぁあ! それが貴様が無感覚に与えて来た――痛みの正体だぁあ!!」


 その感覚に堪えられず涙を溢し始めた少年を、車輪に巻き込んだヘルヴィムは紅い大河に引き摺り込んでいく。


「ウワァァァ!! やめ、やめてぇええ!!」

「チッ……!」


 遮二無二暴れて侵食の翼を振り回したベリアルが、強引に車輪を抜けて空へと戻っていく。


「イバラァァァ!!」

「いギャ――ッアアアァ痛い痛いイタイイタイ!!!」


 泣きべそをかいた少年をイバラが縛り上げ、鋭いトゲをズブズブと刺し込んでいく。


聖釘せいてい――!!」

「ぁヵ――――?!!」


 額を貫いていった激痛に、ベリアルは泡を吹いて震えていた。そしてヘルヴィムはイバラを引き寄せて少年を血の大河へと引っ張り込んでいく。

 ――ベリアルは眉を下げて竦ませながら、涎と涙でベタベタになった顔で無様に抵抗する。


「いやァァァ!! イヤだイヤだイヤだぁぁあ!! イタイイタイイタタタタ゛ァ!! ギャァァァ!!」

「なぁにを脅えているゥゥウ……!」

「ぁ――――」


 グンと引き寄せられた少年が、呆気に取られたまま血の大河に呑み込まれた――


「ゥゥアビャァァァア!!?!?」


 大河の内部で、ズタズタに引き裂かれるまま地に連れ戻されていくベリアル。

 威厳も何も取り払われたかの様な悪魔が、絶叫したまま墜落を余儀無くされていた。


「あっっギャァアアアアアアアアアアガッッ?!!」


 高所より大地へと打ち落されたベリアル。彼の様相が先程までとは違い……痛みと恐怖に怯えている事に皆が気付く。


「いだぁぁぁあいい!! いだいいだいだい!! 痛ァァアア!!」


 無様に転がり回るベリアルの頭上に、大地を踏み割る程の踵が落ちて来た。


「ゥあ……アァ――ヒギャァァァア!!!」


 脅威を見上げて清々しい程に怖気付いた少年に、ヘルヴィムはまるで、神父が幼子に教えるかの様に、柔和な笑みで言い放った――


「それが“恐怖”だよ……坊や」

「ぅヒィっ……ィィイイイ!!」


 次の瞬間に憎悪の塊の様に豹変した顔面に、ベリアルは頭を抱え込んで恐々とするしか無かった。


「こおおぉおのッックゥぅゥソッアクマァァァァアア――ッッ!!!!!!」

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