第312話 肉薄する終焉


 荒い息を上げながら、灰に変わった体をボロボロと崩したベリアルは、真っ赤になった顔で邪気を噴出させた。


「これが“感覚”……おのれ、人間如きが僕にこんな呪いを掛けやがって……!」


 初めての感覚に呻く少年は、少しずつであるが妖気を纏めて体を再生していっている。周囲に飛散する大気は、宙に逆巻く聖者の血に呑まれて消えている。


「なんだぁ〜、てっきり知りたがっていると思ったから教えてやったのにぃ……」

「っ……!」

「大人として、坊やに……よぉぉ」


 閉じ掛けた瞼を上げるヘルヴィム。今にも気絶してしまいそうな彼の姿を認めて、ベリアルは鼻を鳴らす。


「強がるなよ……人間の身であるキミは、そのまま体を再生する事も叶わずに死に絶えていくだけだ!」

「そう……見えるのかぁ蛇」

「な――――っ」


 踏み込んだヘルヴィムは、肩に担いだ血の車輪を激しく回転させ始めた。凄まじい音を立てて、今すぐに少年を丸呑みしてしまいそうな迫力で血が逆巻く。

 唖然としたベリアルは無意識に後退りながら、どれだけダメージを負っても迫り来る、不可思議な人間に目を見張っていく。


「キミも襲われているんだろう……この感覚を“痛み”を……なのに、何故……」


 赤黒い天からの陽光に、血塗れの男の丸いレンズが瞬く。


「命に対して軽薄な貴様達とは違い、人間にはぁ……があるんだ」

「こころ……?」


 背後に掻き混ぜる神罰代行人達の血。その記憶を背負い、ヘルヴィムはカッと目を剥いて少年を竦ませる。


「人間は一度死んだらしまいだ、不完全だぁ……だがなぁ、だからこそ俺達はこの命に重みを感じるのだぁ……」

「……?」

「……分からねぇか? ワカラネェよなぁ!!」

「なにを言って……?」

「だからこそ俺達は大切な者を想い、護る。あらゆる苦痛に堪え、決して諦めねぇ心を宿す事が出来るぅ!!」

「分からない……僕にはなにを言ってるのか」

「かけがえのない命だからこそぉ、人は人を想い、あらゆる困難を退ける力を宿す! ……命を繋ぎ、遂げられなかった残夢を託す事もぉ」

「……!」

「貴様にはソレが無いと言っているのだぁ……貴様等は個で完成しているが故にぃ、強きこの人間の様ながぁッ!」


 再びに開かれていくヘルヴィムの血の大翼。しかしベリアルはその男の言葉を受けて取ると、不敵な声を落とし始めていた。


「それが人間の強みという訳か……」

「――そうだァァ!!!」


 ベリアルへと飛び掛かっていったヘルヴィム。しかし目前の少年は、ニタリと笑って背後のメロニアスに視線を向けていった。


「だけど同時に、弱みでもある――」

「な――っまさか……ッてめぇええ!!」


 突如ベリアルが手元に表した紫色のレイピア――それが瀕死の帝王の向かって投げ放たれていた――!

 凄まじい速度での投擲に、反応を示せたのはダルフだけであった。


「メロニアス!」


 巨大な鉄塊がレイピアの切っ先を阻む――しかし高濃度のエネルギーを濃縮した刀身は、岩の様な鉄塊を即座に溶解してダルフの体を貫いていった。


「ぁ……ッアアアァ!!」

「駄目だよダルフくん、邪魔しないで」


 胸を溶かされて呻くダルフの頭上で、漂っていた大気より無数のレイピアが形成されてメロニアスへと指し向いた――


「僕の狙いは初めからキミだけなんだよ、天使もどき」

「ボォオオケガァァア! メロニアスウウとっとと逃げやがれぇええ!!」


 ヘルヴィムは彼の元へと飛来しながら帝王を叫び付ける……しかしメロニアスの足は、既に『終焉の鐘マガル・ゴルゴ』での魔力の暴走によって、筋肉を焼き切られてしまっていた。


「メロニアスくん!」

「メロニアス!」


 ピーターの爆発鉄球とリオンの氷塊がレイピアを阻もうとするも、おそらくありったけのエネルギーを押し固めたと思われるレイピアは、近付くだけでそれらを溶かし尽くしてしまっていた。


「なんて強い酸よ!」

「いけない! メロニアスくん!」


「さよなら弱き人間の王よ」


 強烈なる酸の雨が、完成間近の大剣を手にしたメロニアスに向かって解き放たれた――!


「――ぅガァあああああッ!!」

「ヘルヴィム!?」


 帝王の盾となっていた神罰代行人が、レイピアの一本に貫かれていた。

 ヘルヴィムと共に流れ込んで来た血の濁流は、ほとんどのレイピアの進行を阻んだが……しかし一本――どうしても間に合わなかったその切っ先を、彼は自らの体を投げ出して腹に受けていた。


「お前……ヘルヴィム!!」

「こぉおおおのクソ蛇ィイイ!!」


 即座にレイピアを振い落したヘルヴィムであったが、強烈な酸で腹に穴が空いて、だくだくと血が溢れ出していた。


「アッハハハ本当に守った! 人の身に堕ちたキミの弱点は……なーんだ簡単な事じゃないかっ! アッハハ何が心だ」

「『威赫流呀イカルガ』ァァ!!」


 溶解された肉の煙を嗅ぎながら、ヘルヴィムは最後に、血の風車を回してベリアルを壁に叩き付けた。

 神罰代行人の打ち出す血の大河が夢と消えていき、メロニアスは愕然と彼の背に叫んでいた。


「ヘルヴィム! 足をやられた役立たずの俺など捨て置けば……馬鹿者、おいヘルヴィム!」

「ぁう……お…………っ」


 溶け出していく腹からの出血に白目を剥いたヘルヴィムは、膝を着いてうつ伏せに倒れゆきながら、彼等に向かってこう言い残した。


「後……は、頼んだぞ……クソ……ガキ…………共」


 血溜りに沈むヘルヴィムに、青褪めたダルフは絶望の声を残していった。


「ヘルヴィム――!!」


 落ちた神罰代行人を力無く見下しながら、ダルフは思う……


 ――悪魔を倒し得る最後の男が失われた。それはつまり、この世界の終わりが間もなく――


「――ぅぐあっ!!?」

「――メロ…………ニアス?」


 突如声を上げたメロニアスの背後より、大気を押し固めて形成された毒のレイピアが、その胸を突き抜けて切っ先をこちらに覗かせていた。


「メロニアス……?」


 絶望のままに瞳を揺らしたダルフは、彼の背後に霧散した大気より、ベリアルが現れてレイピアを引き抜いていくのを目撃する――


「ダル……フ」


 胸から肉を溶かさゆくままに、メロニアスは大剣を抱いて地に落ちていった。


「メロ……ニア…………」


 みかどが落ちた……この世界に残された、残る二人の内の一人までもが。


 ――それすなわち、世界は今この瞬間に、“魔”に王手をかけられた事を意味していた。


「終わりだね、ダルフくん……」


 赤目を灯した少年は笑う。灰となった体はもう半分程再生を終えていた。

 ――そしてベリアルは、絶望の名を口にする。


「『終焉の鐘マガル・ゴルゴ』」


 視界が歪み、魔力マナが暴走する。空に終焉を告げる鐘の音が轟き始めた。


「ウワァァァァ!!!」


 割れる様に痛む体と頭……

 もう人間達に、勝ちの目など僅かにも見えない。

 絶望に絶望を塗り重ねられ、そこに見えるモノは最早……暗黒だった……


 ――だがヘルヴィムは言った。彼は託したのだ。


 今闇の底に落ちるかの様な悲鳴を上げる男と、そこに倒れ伏したままの次期神罰代行人に向かって……


 ――――後は頼んだ、と。


 まるでこの地獄の最中に置いて、未だ勝機が残されてでもいるかの様に。

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