第309話 血の大河


 獄魔の空の下に立つ生命。それらの内包する魔力を暴走させる術――『終焉の鐘マガル・ゴルゴ』が中断された事によって、それぞれは疲弊しきった面相で、しばしヘルヴィムという男を傍観する形となっていた。


「利用? 馬鹿げた事を言う蛇だぁ……我等は神にそうされる事を至上の喜びとし、何世紀にも渡って使命を相伝して来たというのにぃ」


 胸を貫かれながら背を踏み付けられたベリアルは、音を立てて激しく回転し始めた血の風車に振り返っていく。


「キミも魔力が無いの? アハ……でもキミはいい線いってる……過去の代行人達と比べても、何の遜色も無……げほ」


 聖遺物よりの一撃で確実なダメージを負ったベリアルが、血反吐を吐いて笑う。


「『威赫流呀イカルガ』ァァアッッ!!」


 分裂した大槌の先端が、血の濁流を噴き出して苛烈に振動し始める。過去吸い上げ、宿して来た分だけ強大に、そして過激に血の風車は回転する!!


「それはマズイ、マズイよぉ……そんな聖者達の血潮の集合体を押し当てられたら――」

「我等紡いで来た血肉の記憶がぁ……今ここに大願を叶えるべくして咆哮しているぅ……ホウコウシテイルゥウウ!!!」


 不気味に笑う少年の頭上で、液であり固形でもある奇跡の血が、折り重なった共鳴を上げ始めたかと思うと――


「――ぅボゥあラっ……!!?」


 ――ベリアルの頭蓋を巻き込み、押し潰して、赤い血肉と脳漿を飛び散らせた!


「あぼぅッアッぼ!? いバ……ごボホほぼ!!」


 僅かに口元を残した少年の亡骸が、吹き荒れる紅き液に呑まれて、白き光に浄化されていく。

 過剰に痙攣する体を足で抑え込みながら、ヘルヴィムは血走った紫眼で風車を蛇へと押し当てる。


「アタマが、ボヤボヤす…………? アブっアブゥララララららラララっ!」


 無残な姿と変わっても、ベリアルは残された口元だけで愉しそうに喘ぐ事を辞めなかった。

 跳ね上がる体躯は血に消えていき、緩やかなる光の蒸気が空に立ち上っていく。


「吸われ……無くなっちゃう……アハ……ゥベ! アバ、アババババババババ!!」

「なんて膨大な邪悪なのだぁ……!」


 どれだけ浄化しても立ち去らない莫大なるエネルギーを目下にして、ヘルヴィムは紅き聖十字に無けなしの血液を吸い込まれて蒼白になっていく。

 しかして神罰代行人ヘルヴィム・ロードシャインの本領は、この窮地を持って尚照り輝いている――!


「だがぁッッ!! ここに我等の悲願を、大願を果たす為にぃ!! チィィツジョノタメニィィイイ!!!」

「ボボ……ッバ! アババ、ババババババボボっ!! イビイブゥイイイイ!!」

「邪ァァァアアアア――!!!」


 今だケタケタと笑う悪魔の背でやがて……


「かァァ……っ!!」

「んん……? あれ〜?」


 紅き聖十字の回転が静止した――

 溢れていた奇跡の液が、聖十字へと押し戻っていく。

 眼球を上転させたヘルヴィムは、グッタリと項垂れて干乾びた顔を眼下に向けた。


「キミも所詮、体は人間という訳か……」

「――っ?!」


 血の大河に引き離されていた邪悪の大気が、砕け散ったベリアルの頭を、そして体を再生し始めた。


「ヘルヴィム神父!!」


 抜け殻の様になったヘルヴィムを認めて、フゥドは思わず叫び出していた。

 そしてベリアルの背に集った大気が、神罰代行人の体を溶解しながら吹き飛ばした。


「――――っ!!」

「危なかったぁ……半分近く持っていかれちゃったぁ」


 すっくと立ち上がった少年は、邪悪の翼を立ち上らせながら、吹き上がっていくヘルヴィムを仰いでいく。

 ヘルヴィムの敗退に息を呑んだ面々は、消え掛かっていた邪炎が再びに燃え上がり始めたのに愕然とするしか無かった。


「イバラ――!!」

「あれぇ……まだやるの?」


 フゥドの声に揺り動かされたヘルヴィムが中空で目を覚まし、腕に巻き付けたイバラでベリアルを縛り付け始めていた。


「動けないなぁ、これも聖遺物の類の何か?」

「――ジィぇァァァッ!!」


 中空に手繰り寄せた蛇を、懐から取り出した聖釘せいていで滅多刺しにするヘルヴィム。

 半死半生の相貌より繰り出された渾身の一撃であったが……


「弱いよ……これじゃあ駄目だ。僕は殺せない」

「ふヤァ――?!!」


 ベリアルの身に刺さった釘は邪悪に溶かされ尽くし、彼の身を拘束したイバラでさえもが、紫色の濃霧で溶けて消え去っていた。


 手繰り寄せられた勢いのまま宙に躍り出たベリアルは、その大翼でヘルヴィムの頭上へと舞い上がったかと思うと、強烈な踵を大地一直線に振り下ろしていった――


「ウボァガァあ――!!?」

「分かるだろう……神罰代行人ならッ!」


 無邪気に笑う悪魔の踵を、頭上でクロスした腕に受けたヘルヴィム。邪悪に触れた前腕を肉毎に溶かされながら、そのまま地に叩き付けられるしか無かった。


「防いだ……フフ、アッハハ! 流石キミだよ」


 高く上がった土煙が消え去ると、そこには幽鬼の様に生き死にの曖昧な男が、頭から血を被った姿で立ち尽くしていた。

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